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8月5日 立秋前の黎明
8月5日午前4時25分。黎明というのだろうか。朝靄が立ち込めていた。
昨夜の予報では、熱帯夜。そして、朝から熱中症アラートが発令されると言っていた。
しかし、今朝方、寒くてエアコンを切った。
それで目が覚めてしまったのだろう。
冷たい風が入って来る。
(何処かの窓を開けたままにしていたのかもしれ
ない。)と思いながらカーテンを少し開けて確かめた。
そこに見えたのが、立秋前の「黎明」であった。
我が街の名勝地に鹿野山「九十九谷」がある。
房総丘陵の北側入り口付近なので、南房総の山々が眼下に望める。
かつて、東山魁夷氏が「九十九谷」を望み、「残照」という作品を描いた。
秋から冬の朝夕に雲海が見られるのだ。
鹿野山の標高は379m。房総丘陵の名の如く丘である。しかし、鹿野山の眼前に広がる九十九谷は山間に霧が広がり、雲海のようにみえる。
日本画の巨匠、東山魁夷氏はここでの写生をもとに出世作「残照」を描いたという。
透明感と、深い静けさを感じさせる「東山ブルー」の始まりの一端が見える。
ただ、陽の落ちた後なので
朝靄ではないし、「黎明」ではない。
真愛は、宵っ張りの朝寝坊。「朝ご飯が出来たぞ。」って厚洋さんの声で起きていた。
だから、こんなに早く起きるのは、修学旅行の引率の朝ぐらいだった。
寝苦しい夏の朝でも、汗をかきながら寝ている真愛に向かって、
「おい。起きてみろ。朝靄が綺麗だぞ。
鹿野山にでも、行ってみないか。」
「今?」
「そう。今!
九十九谷の黎明だよ。」
「一人で行って来て。まだ寝る。」
あの時、一緒に出かけて「黎明」を見ていたら
厚洋さんは、元気でいたんだろうかと思いながら
夜明け前の朝靄を眺めた。
厚洋さんは何回も「鹿野山の黎明」鑑賞に誘ってくれた。
雲海は雨上がりで冷え込んだ日がおすすめ。
青一色から水墨画のような景色へと、刻々と表情を変える絶景が見られる。
鹿野山の麓に住んでいると
(ああ、今、九十九谷は素晴らしい雲海が広がっているだろうなあ。)と思う時が何度もある。
しかし、行かない。
石垣りんさんの「峠」を思い出した。
峠 石垣りん
時に 人が通る、それだけ
三日に一度、あるいは五日、十日にひとり、
ふたり、通るという、それだけの――
――それだけでいつも
峠には人の思いが懸かる。
そこをこえてゆく人
そこをこえてくる人
あの高い山の
あの深い木陰の
それとわかぬ小径を通って
姿もみえぬそのゆきかい
峠よ、
あれは峠だ、と呼んで
もう幾年こえない人が
向こうの村に こちらの村に
住んでいることだろう
あれは峠だ、と 朝夕こころに呼んで。
厚洋さんは、真愛に山から望んだ登り来る朝日を見せたかったんだろう。
越えるべき長き峠を超えて、
見るべきその歓喜の思いを。
だからこそ頑張れと、教えたかったのかもしれない。
夕陽の切なさが好きだったが、明け方の静かな高揚感も捨てがたいと思った。
そうだ。厚洋さんも真愛も
暁(あかつき)・東雲(しののめ)・曙(あけぼの)・黎明(れいめい)・払暁(ふつぎょう)彼は誰時(かはたれどき)なんて言葉が好きで、2人で言葉遊びをしたっけ!
全く同じ風景なのに、ちょっと違った季節の
ちょっと違った時間に発見する「見慣れた風景」
それを見た心の動きを様々に表現する「言葉」
素晴らしい日本語を使える国民なのに、ボーと寝ていちゃいけないぞ。
ー 早起きは三文の徳 ー
厚洋さんの声がした。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります