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年の瀬 季節感

 数年前までは、クリスマスが終わると途端にお正月用品が並ぶ食品コーナーだったが、最近では、お節料理の数の子・蒲鉾・田作り・昆布巻きなんて隣にサンタさんの乗ったケーキやピザ・チキン・シャンパンが並んでいる。
 コロナ禍やウクライナ侵攻の影響で小さな街のスーパーは全ての行事食を並列開催しているのだろう。
 食品売り場で季節感を感じる時代は終わったのかもしれない。
 毎日、真愛の手作りで晩酌を楽しんでくれた厚洋さんは、
「おっ!松茸の土瓶蒸。
 じゃあ、あん肝もシーズンか?」
「イクラの醤油漬けできたか?」
「あんこう鍋が美味いな!」
と、嬉しい催促をしてくれた。
 当然、スーパーに行けば厚洋さんご所望の食材が「初入荷」の文字と一緒に並んでいた。
 お金に苦労している割には、おつまみ作りに散財してしまったが、後悔はしていない。
 下手くそな真愛の手料理を作るところから、嬉しそうに見ながら飲み始める厚洋さんの視線を感じることも嬉しいことだったからだ。

 しかし、彼が逝ってしまって、食べてもらえる人が居なくなると、「食生活」がいい加減になった。
 スーパーの季節感は果物・野菜コーナーと鮮魚コーナーで感じていたのが、
「ブロッコリースプラウト」
「カットキャベツ」「トマト」「レタス」
「ブロッコリー」「人参」「きのこ類」
「りんご」「バナナ」
「めかぶ」「シラス」「ワカメ」…。
 書き出していて気がついた。
 最近はお魚を買っていない。
 果物コーナーに「ラフランス」が出た時に、
(厚洋さんが好きだったから…。)と手を延ばしたが買わなかった。
(高いなぁ!
 4つなんて要らないし、結局食べるのは
 私だし…。勿体無いね。)
と、今年は買わなかった。
 大好きな人に食事を作ってあげられるという事は、自分にとっても結構良い食事を摂っていたことになるのだ。

Merry Xmas

 真愛の朝ごはんは、ずっと厚洋さんがつくってくれていた。43年間も…。
    有り難かったし、申し訳ないと思っていた。 
 しかし、人に作ってもらう事も嬉しい事だが、人の喜ぶ顔を想像しながら作らせてもらう事の方がずっと健康に良い気がした。
 食材を選ぶにも良いものを選び、丁寧に調理をしながら、「幸せホルモン」が出まくっていたのではないかと思う。
 友達の前で
「俺は、毎朝。
 こいつの飯、作ってんだぜ!」
「へぇ?!
 そうなんだ。奥さんにやらないの?」
「こいつ、寝てるさ?」
「幸せな奥さんね。」
と言われた事があった。
 帰りの車の中で、厚洋さんに向かって、
「明日から、私が作ります!」
と膨れっ面で行った時、
「起きられないだろ?
 良いんだ!
 俺、作るの好きだから!」
とサラッと言われ、
(だったら、人前で真愛の恥になる様な事
 言わないでほしいな。)
と思ったことがあった。
 あれは、本当の彼の思いだ。
 真愛が退職した3月31日。
「明日から、朝飯どうする?」
「どうして?」
「お前が食わないなら、俺はいらないから
 作らない。コーヒーだけでいいや。」
(えっ?
 そんなんじゃ、厚洋さんがどんどん痩せて
 行っちゃうじゃない。まずい!)
「食べる❣️
 ちゃんと起きて食べるので、
 宜しくお願いします。」
って言った。
 あの時は既に彼の具合が悪くなっていて、真愛に隠していた頃だった。
 真愛の不安な思いが、
(食べるから、作って!
 そして、あなたも食べて!)
と言わせたのだろう。
 食事とは栄養を摂るだけでなく、作る喜びと作って貰う幸せで心を満たすものなのだと思う。
 ただひたすらに、空腹を満たすだけの侘しい食卓は心に良くない。
 本日は、ポイント5倍デーである。
 年の瀬のスーパーに行って、お節料理の材料を買う。
 人参・大根・蓮根・里芋・蒟蒻・牛蒡・卵・はんぺん・胡瓜・鶏ガラ・長葱・椎茸・生姜・黒豆…。
 ちゃんとメモをしていかないと、買い忘れそうだ。
 きっと、頭つきのエビが高いぞー!
 三つ葉も、サヤエンドウもチョロギも高くなってるな?
 しかし、息子夫婦が「お節料理」をもらってくれるという。
 誰かのために作る料理の準備は楽しい。
 お節料理作りという季節感が味わえるだけで私は年の瀬に幸せを感じてしまった。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります