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日曜日は、昼まで寝る。

 働いてもいないのに、日曜日になると朝寝坊。11時半、昼近くまで寝てしまった。
 にゃんこも暖かいストーブの前だと、あられもない姿で寝る。いやいや、チャーちゃんの事を言っていられない。真愛自身が日曜日は、昼近くまで寝ている。
 夕方になって、三年日記を書きながら気がついた。
 去年の日曜日も11時半まで寝ていたのだ。
【今朝、厚ちゃんに抱かれた夢を見たので、
 寝ないで本を読み、その余韻に浸った。
 だけど、結局、再度寝てしまって、起きたの
 はなんと11:30分。
 昔、この家に来た頃、34歳ぐらいだったの 
 で、日曜日になるとよく寝ていた。
(家族の朝ご飯は厚洋さんが作ってくれていた 
 ので起きなくても良かったのだ。主婦なんて 
 思わなかった。洗濯も母がやってくれていた 
 のかな。我儘な娘・困った嫁。)
 厚洋さんは、文句ひとつ言わず、
「日頃の頑張りで仕方がない。」
と認めてくれていた。母にもそう言ってくれたらしい。
 本当に人間として愛されていたんだ。
 教育実習生だった時にもらった彼の手紙に書いてあった言葉通り、
『良い教員になるはず。
       応援してやるから頑張れ!』
を守り通してくれたのだ。
          ありがとう厚洋さん。】
と書いてあった。
 厚洋さんが亡くなって、「愛していた事」よりも「愛されていた事」を毎日のように思い出し、幸せを感じていた去年の明日。
 今年も3月の日曜日、11:30まで寝ていたのだ。
 不思議に感じたのは、真愛の思考・行動が同じ時期に同じように考え、同じように行動している事だった。
 行動が同じになるのは仕方がない。
 季節がめぐり、暖かくなれば「畑を耕さなければ」と思う。カーテンを替えたり、玄関周りの飾りを替えるのは、厚洋さんが元気だった頃から同じ事をしている。
 だが、「厚洋さんが夢に出てきて〇〇してくれた。」なんて事が、この時期の日記に多いのだ。
 2年前の4月10日には、「一緒に行こう」と厚洋さんと手を繋ぎ、あちらに行くのではなく、真愛の中に厚洋さんが居るから、「前進する事を生きる事を誓った。
 3月4月は,そんな夢が多い。
 まだ901日しかたってないから、絶対的ではない。偶然かもしれない。
 しかし、三年日記を見ると同じような事をしていて、同じような事を思い出し、同じように泣いている。
 一つだけ違うことは、
「その事についての考え方が、やや落ち着いて 
 きて、厚洋さんのような考えに近くなったよ
 うな気がする。」
大人になった(既にお婆さんだが)のかもしれない。

 お昼だと言うのに、
「食べるの、面倒臭い。」
と、ベットの中でnoteを書いている。
 明らかに、「いい加減な生活」になってきている。
 三年日記には、自分の悪いことは書かない。
 残念日記である。
 自制心が無くなり、反省を始めると日記に書くらしい。それが周期的に来るから、同じ時期に同じ事を反省しているのだ。
 と言うことは,反省日記なんだろうか。
 真実を綴っているつもりでいた日記だが、その日の全てを書くことができないので、心に残ったことだけを書く。自分で無意識のうちに選んで書いているんだ。
 日記も虚構の世界である。
 テレビでよくやる「ドキュメンタリー番組」何もヤラセは入っていないが、編集者がどこを切り、どう組み合わせるかで、大きく変わる。
 書く者・作る者の意図が入らないことはない。意図を入れないと苦労をしても、映像を撮る段階でその方向の違いから、作り手の思いが入ってしまう。
 このnoteも同じだ。
 真実を切り取り繋ぎ合わせた虚構の世界だ。
 
 いよいよ本日の午後1時になってきた。
 起きないと腰が痛くなる。

 高校生の頃。
「何時間寝られるか、試してみたい」
と思ったが、病気でもない限り沢山は寝られなかった。
「朝、うとうと微睡みながら、二度寝・三度寝できたらどんなに幸せだろうか。」
と考えたこともあった。
 今日は、日曜日。
 昼過ぎまで寝ていた。
が、そんなに「幸せ」は、感じなかった。
 高校生の真愛に伝えてやりたい。
(起きて、〇〇かしなければ…。)と思える生活こそ、「幸せ」なんだよ。
 起きて、活動できる若い身体があることが
「幸せ」なんだよ。
 今を生きていることこそが「幸せ」なんだよ。

 チャーちゃんもご飯も食べずに寝ていた。
 
 生きていてくれる事が「幸せ」だと思って、頭を撫でたら、ムックリ起きて、
「ごあん(チャーちゃん語でご飯)。」
と言われてしまった。
 真愛は、チャーちゃんの為にも生きて活動しなければならない。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります