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DVだったの? 何処までOK?

 地域の回覧板にDVについてのパンフレットが入っていた。読んでいくうちのに亡くなった夫がDVだったのではないかと疑問に思った。
 書いてあった事は次の通りだ。
  ーDVの正しい理解のためにー
 暴力を振るう人に決まったタイプは無く、年齢・職種・年収などに関係がないという。また、家庭の外では温和で人当たりが良く社会的信用もあることが多い。特別な人じゃないということ。
 暴力を繰り返し受けた人は、精神的に傷つき無力感や絶望感に打ちのめされている。逃げる気力も持てず、逃げ出したらもっと酷い目にあうかもしれないという恐怖感も抱いている。逃げる事はこれまで築いてきた人間関係や生活から離れなければならず、経済的な問題や子どもの心配からなかなか決心がつかないという。
 配偶者暴力(domestic violence DV)とは、配偶者または事実婚のパートナーなど親密な関係にある男女間における暴力のことを言います。
 (身体的暴力)
 殴る・蹴る・抓る
 平手で叩く・足で蹴る
 身体を傷つける可能性のある物でなぐる
 げんこつでなぐる
 刃物などの凶器をからだにつきつける
 髪をひっぱる・首をしめる・腕をねじる
 引きずりまわす
 (性的暴力)
 嫌がっているのに性的行為を強要する
 中絶を強要する
 避妊に協力しない。別の方法を取る
 見たくないのにポルノビデオを見せる
 成人雑誌を見せる
 いやらしい言葉を言わせる
(精神的暴力)
 心無い言動で、相手の心を傷つける
 精神的な暴力については、その結果、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に至るなど、刑法上の傷害とみなされるほどの精神障害に至れば、刑法上の傷害罪として処罰されることもあります。
 大声でどなる
「誰のおかげで生活できるんだ」
「かいしょうなし」などと言う
 実家や友人とつきあうのを制限する
 スマホやSNSを細かくチェックしたりする
 何を言っても無視して口をきかない
 人の前でバカにする
 命令するような口調でものを言う。
 大切にしている物を壊したり、捨てたりする
 生活費を渡さない
 外で働くなと言ったり、仕事を辞めさせる
 子どもに危害を加えるといっておどす
 なぐるそぶりや、物をなげつけるふりをして、おどかす
 壁や物を壊して威圧感を出す
 以上。

 暴力内容を読んでいたら、愛しい厚洋さんが「DV」だったのではないかと思った。性的暴力なんていったら書けないような暴力を受けていたことになる。
 私は彼が最初の人だったので、そういうものだと思っていた。
 彼のしたことが「DV」と思ったのは、真愛がヤキモチを焼き、彼に向かって「汚い言葉」で罵り、泣き喚いた時の2回。
 1回目は、彼の教え子が我が家に来て、酔っ払って真愛のベットに寝かした時のことだった。彼が教え子の事を心配して真愛のベットに座っていたのを見た。その晩は、彼の横で眠ることもなく一晩中、セーターを編んで夜を明かした。その翌日の夜のこと。何も言わず一日を過ごした真愛に
「何を怒っているの?」って言う厚洋さんに、泣きながら、悲しかった真愛の気持ちを言った。大声でイライラを喚き散らし、何も言わず無視していた彼に対して、
「もういい。私の気持ちが分からないんだ。そんなに可愛いんなら、教え子と結婚すれば?私は出て行くから。」
と、2階に行こうとした時に、飲んでいたウヰスキーグラスを投げ付け、玄関ドアを割った。怖くて固まった私の髪を引っ張り階段から引きずり落とされて、左大腿筋を断裂。
 まだ、息子も母も同居していたので、男の面子もあったのだろう。割れたガラスを片付け、隣同士の部屋にあった真愛のシングルベッドを厚洋さんのベットの横に運び、ワイヤーで括り付けていた。そんな真愛を優しく抱いてくれた。たくさん愛してくれた。
「真愛が一番好きなんだよ。」って言って。
 2回目は、彼の携帯の着信音がなったので、相手の名前を見てしまった時だった。
「浮気をしてるんでしょ?」
「してねぇよ!」
「じゃなんで、こんな時間に電話が入るの? 真愛の何が嫌だったの?なんであの人なの?」
 相手は、私が嫌いな先生だったので、決定的に浮気と思い込み、罵り喚き散らした。
「殺してやりたい」と出かけようとすると、ゲンコツで殴られた。唇は切れ、夜間緊急病院に自分で行った。担当したお医者さんに「ドメスティック バイオレンスです。」といった記憶がある。唇を2針縫った。
 帰って来て、もう一度、厚洋さんの前で泣いた。「俺を信じられるか?」と聞かれ、「信じる。」と答えたら、髪を撫でられ、黙ってずっと抱いてくれた。たくさん愛してくれた。
 彼の晩酌はマイ晩。いつも酒に酔っていて、自分のした事を覚えていない。だから、「アルコール中毒」だと思っていたし、口汚く罵った自分も悪いと分かっていた。
 彼がお酒に酔って「記憶」をなくす事は、40歳ごろから良くあった。狡い真愛は、今夜はずいぶん酔っているなという時に、色々おねだりをした。“着物を買って。” “ブレスレットが欲しい”“お小遣いが欲しい。”と。
 だから、DVとは思わずお酒のせいだと思っていた。そして、朝になると忘れて優しい厚洋さんに戻って、朝食の支度をしてくれた43年間もだ。

前夜のことを話すと、謝る事はしなかったが、必ず抱いてくれて優しくしてくれた。
 おねだりをした翌朝。「昨夜の約束忘れないでね!」と念を押すと、「記憶が無いんだ。酒に弱くなったな。」と言いながら、仕方なく納得してくれた。
 彼の意地悪は、付き合っていた頃からの事で、意地悪をした後は、必ず優しくしてくれたので真愛もわざと拗ねたり、ヤキモチを焼いたことがある。DVなんて思ってもいなかった。

 精神的暴力の中に「生活費を渡さない。」という項目があった。
 真愛が彼と結婚する時の「家訓」は、
「酒の一滴は血の一滴。」
「俺の友達はお前の友達」
「俺は給料入れない。」
だった。厚洋さんが大好きだった真愛は、それがどんなに大変なことが分からなかったが同意した。だから、彼の給料明細も見たことがない。貯金も知らなければ、カードなんて持たせてもらったこともない。
彼は、ずっと独身時代のままのお金を使った。生活費は真愛。真愛は、生活費が足らなくて母に借りたこともある。しかし、家を建てる資金・息子の高額な学費は、彼が出してくれた。同僚から「そりゃ。奥さん大変だぞ。」と言われたのだろう。お詫びのつもりなのか、イベントごとにプレゼントをしてくれて、色々食べに連れて行ってもくれた。
 子どもが自立してからは、ほとんど真愛が生活費を出したので、彼は好きなだけ「好きな事」をしていた。真愛も自分のお金で好きな事をした。家訓だったから「DV」なんて思わなかった。
 まだあった。「人の前でバカにする」「命令するような口調でものを言う。」のも良くあった。6つも離れていた事と教育実習生と教官の立場で知り合ったので、新婚当時は、「先生」と呼んでいた。
「亭主関白」でありたかったのだと思う。真愛も男はそうあるべきだと母から教わった。
 「人前で馬鹿にする」のは、「こいつは朝飯作らないんだ。俺が作るんだぜ。」「何も分からないんだから…。」
 彼のいう通りだったので、「嫌だな。」と思っていたけどニコニコ笑って「だって、真愛より美味しいんだもん。」と平気で自慢した。 「馬鹿にされて」真愛が拗ねる事を面白がり、拗ねると可愛がってくれた。だから、「DV」だとは思わなかった。 
 彼が亡くなってから、「彼は昔人間だったので愛情表現が下手」だったと思った。

 拙著「白い花にそえて」の中にも書いたが、真愛が厚洋さんの事が大好きだったので、「逃げたい」と思った事がない。
 「DV」にあっている女の人の中で
「暴れていない時の彼が優しくて、大好きだから別れられなかった。」
と言うのを聞いた事がある。
 それと同じなら「DV」だったのだろうか。何処で、どのくらいをそう言うのだろう?
 広報の中には、「本人が気づかずにDVを受けている人がいるのです。悩んだら電話してください。」とまとめてあった。
 真愛は、断言する。
 厚洋さんは、
「真愛を一番愛してくれた人。
 真愛が一番愛した人。 
 絶対、DVなんかじゃない。」

 最近、色々な虐待についても情報に乗り、際限なく殺してしまうまで暴力を振るっている事を見聞きする。
 どこまでが愛情で、どこからが問題暴力なのか線引きがわからない。「お前。馬鹿か?」を全て言葉の暴力とするのは腑に落ちない。
 こんな真愛の考え方は間違っているのだろうか?
 

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります