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土用の丑の日 お下がり頂戴

 本日、土用の丑の日。
 我が家の年中行事の一つだった。
 家で食べるのではなく、必ず「うなぎの喜多」さんに行ってカウンターの端っこに、2人で座って食べる。
(丑の日だけではなく、外飲みの時はこのお店の 
 この場所で、常連さんで飲んでいた。
 そこに真愛が迎えに行って、食べる。
 鰻は高いので、天ぷら・泥鰌の唐揚げ・枝豆・ 
 沢蟹の唐揚げなんて、飲兵衛のつまみを頼ん
 だ。
 退職してからは、ここのお店や焼肉屋さんが多
 かったかな。
 迎えに行って、ご馳走してもらって、デートが
 出来ていたのだから,最高の日々だったんだと
 思う。)
 土用の丑の日日だけは、真愛は、鰻重の松。
 厚洋さんはご飯無しで鰻の蒲焼。生山葵をのせて食べるのが好きだった。
 当然、真愛の肝吸いも
「ちょっと、どうぞ!」
って渡すと、嬉しそうに飲んでくれた。

 彼が亡くなった次の年は、教え子を誘った。
「旦那の代わりにそこへ座って!」

 飲めない教え子は、ひつまぶしを食べてくれた。ちゃんと肝吸も付いていたので、真愛の分はあげられなかった。
 厚洋さんが座っていた場所。
 厚洋さんが食べていたもの。
 厚洋さんとの思い出の日。
 切ない日だった。

 去年はコロナ禍で、教え子と会う事すら出来なかった。兄も息子も来てくれたが、鰻屋さんが休みの日が多かった。
 今年は、更にコロナ禍も酷くなり、目の手術後でもあり、外出自粛。
 誰も来ない事、誰とも会えない事が分かっていたので、前もって冷凍鰻を買って置いた。

 年中行事をやることが、厚洋さんを思い出すことであり、思い出すことが真愛の「幸せ」でもあるのだから。

 そんな思いを分かってくれた(空の厚洋さんが…。)のか、長雨で枯れていたトマトの枝とピーマンの下にピカピカの実がついていた。
 当然、それを食べなくては申し訳ない。

 お昼に、厚洋さんの陰膳として作った。
・鰻の皿丼
・三つ葉とモズクのお吸い物
・胡瓜と茗荷の塩麹漬け
・トマトとピーマンと人参キャベツのサラダ
・スイカも。
 三つ葉、胡瓜、トマト、ピーマン、西瓜は、我が家産である。

 「喜多」さんのお料理とは比べようもないのだが、厚洋さんとの思い出の「土用の丑の日」になった。
 作りながら思った事がある。
「影膳」とは、亡くなった人からの「応援膳」だと思った。
 彼が逝ったあと、真愛は食欲がなかった。
 彼の後を追うことだけを考えていたから、食べることは「悪」だった。
「膳」とは、月(ニクヅキヘン)に善と書く。
「善きこと」なのだ。
 そんなこと気がつかなかったが、葬儀場から納骨までの祭壇を作りに来てくれた葬儀社の方が、
「奥さん。毎日、影膳をしてあげてください。
 あちらに行くまでは、一緒にいらっしゃいます
 から…。」
と言ってくれた。
 彼に作ってあげられると思い、いつも通り彼が作ってくれた「朝食献立メニュー」で2人分を作った。
 後で考えると、葬儀屋さんは、痩せ細って今にも自殺しそうな真愛を見て、「何かさせなければ」と思ったのかもしれない。
 真愛の顔を見つめながら、彼を思うなら絶対
49日までは続けなければいけないというようだった。
 そのお陰で、食べなかった「朝食」を作り始めた。影膳と自分の分を作って…。
 食べきれなかった。
 そこで、真愛は「影膳のお下がり頂戴」を考えたのだ。ひとり分作って「一緒に食べましょ❣️」
である。
「悪」であった「食」は、「善」になった。
 そして、49日に彼がどれだけ「真愛を愛していてくれたこと」「真愛を大事に育ててくれたこと」に気づかせてくれてた。
 今の、真愛が生きて、彼の思いを感じ取れるのは「影膳」のお陰だと思う。
 ひとりになっても、季節の行事を行い、命日や初物が出た日には「影膳」をする。
 ひとり分の影膳を作る。

 そして、お下がりを頂戴する。
 今日、丁度通販カタログが送られてきた。毎年買っていた「厚洋さんの好きなイクラの醤油漬け・松前漬け」が載っていた。
(ああ。この頃頼んでいたんだなぁ。
 真愛は食べられないけど、
 厚洋さんが好きだから…。)
って思った。


 なんかの縁なのだろう。
 カタログには、
「お誕生日月なので、ケーキが付きます。」と。
 可笑しな真愛は、
(食べられないけど…。頼もうかな❣️
           影膳に添えたいな。)
と思った。
 土用の丑の日。
 思い出の日だ。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります