紅葉狩りは撮影会
noteの11月20日に「紅葉狩り」の話をズルズルと書いた。
なぜ、紅葉狩りというのか?
黄葉って呼ばれた時代もあったとか。
日本人の言葉遊びの狡さとか。
葉っぱが赤くなる物語とか。
そして、最後に「12月4日の紅葉狩り」のお天気が一番心配!と締めてあった。
12月4日。
真愛の開催イベントは、宣伝が足らないのか、面白くないのか、参加者が少ない。
結局は、RさんとIさんと真愛の3人で出かける事になった。
心配してい天候は、晴れ!
予定通り真愛もRさんも着物で出かけた。
紅葉は予想通り
「今が盛りではなく、今も頑張っている」状態だった。
ひとりで行ったら、泣いてしまうような気がした。
オー・ヘンリーの「最後の一葉」のように
「葉っぱのフレディ」のように、枝に残る一枚一枚に世の無情を感じるような切ない気持ちになったと思う。
真愛が小学校3の時に好きだったオー・ヘンリーの「最後の一葉」のあらすじを書いておく。
芸術家が集まる古びたアパートに暮らす画家のお話。2人は売れない画家だが、貧しくてもそれなりの幸せな生活を送っていた。
ところが、ひとりが肺炎に患ってしまう。
医者から
「彼女は生きる気力を失っている。
このままでは彼女が助かる可能性は
十に一つ」
と告げられる。
心身ともに疲れ切り、人生に半ば投げやりになっていた彼女は、窓の外に見える煉瓦の壁を這う、枯れかけた蔦の葉を数え、
「あの葉がすべて落ちたら、私も死ぬ」
と言い出すようになる。
真愛も厚洋さんが具合が悪くなった時は、同じような事を考えた。そして、この話のようにしようと思ったものだ。
彼女たちの階下に住む老画家のベールマンとは、口ではいつか傑作を描いてみせると豪語しつつも久しく絵筆を握らず、酒を飲んでは他人を嘲笑う日々を過ごしていた。
厚洋さんもこの話を知っていた。
そして、真愛も厚洋さんもこのベールマンというおじいさんの画家が好きだった。自分に似ていると思ったからだ。
「葉が落ちたら死ぬ」と思い込んでいることを伝え聞いたベールマンは「馬鹿げてる」と罵った。
その夜、一晩中激しい風雨が吹き荒れ、朝には蔦の葉は最後の一枚になってしまった。
しかし、次の夜にも激しい風雨が吹きつけるが、翌朝になっても最後の一枚となった葉が壁にとどまっているのを見て、病人は自分の考えを改め、生きる気力を取り戻すのだ。
最後に残った葉はベールマンが嵐の中、煉瓦の壁に絵筆で精緻に描いたものだった。
病人は奇跡的に全快を果たすが、冷たい風雨に打たれつつ夜を徹して壁に葉を描いた老画家は、その2日後に肺炎で亡くなる。
本物の葉と見紛うほどの傑作を描いて、人嫌いな癖に人を思う心を持って死んで逝くその老画家に憧れたものだ。
小3の頃から刷り込まれたまあ憧れだった。
厚洋さんはベールマンのように真愛に「一葉」を残してくれて逝った。
こんな事を思うから、色づき散りそうな葉を見ると泣きたくなるのだ。
ところが、3人で出かけたし、Rさんは真愛の娘ほどの歳の差があり若くて綺麗な人である。
着物が好きで、最近日舞も始めたので、写真撮影の時の仕草が可愛い。
紅葉狩りというより、初冬の撮影会になってしまった。
また、鹿野山神野寺に詳しいIさんのご案内なので、素晴らしい撮影スポットを教えてくれる。更に、自撮りではなく、Iさんに頼めるので、とってもらいたい放題である。
「狩る」とは、「小さなものをとる」事でもあるので、確かに「紅葉狩り」である。
着物を着る事が、日常的な人ならば「着物を着たから写真を撮る」ということもないが、滅多に着ない着物を着ることは喜びでもある。
要するに「晴れ着」に近いのだ。
真愛の友達でも着物が好きな人は、
「着物を着て何処かに出かけましょう!」
とよく言う。
自分が着物を着た姿を人に見せたいのだ。
よくよく考えたら、真愛が着物が好きになったのは、「厚洋さんが着物好き」で、真愛の着物姿を誉めてくれたからだ。
厚洋さんが着物をたくさん買ってくれたのも「和装好き」だからであると思う。
着物を着て誰かに見せたい。
着物を着る事が少なくなった現代では、和装好きは自己顕示欲の強い人間かもしれない。
だから、撮影会は賑やかな二人だった。
銀杏を踏んではキャーキャー!
最後の一葉の切なさはどこへやら…。
ついには、他の参拝者の方に
「写真を撮って頂けますか?」
「良いですよ。
さっきからお着物姿が見えて
いいなあって思っていたところでした。
素敵ですね。」
「ありがとうございます。
彼女、綺麗でしょう?
台湾の方なのに、全部自分で着るのですよ。
素敵でしょう?」
と言うと、
「凄いですね。
でも、あなたも綺麗。
紅葉の御寺によく映えます。」
と誉めてくださった。
ー 紅葉狩り見せたいものは着物なり ー
である。
国際交流協会でのボランティア活動を進めながら、もっと日本文化の良さを沢山の人に体験してもらいたいと思ったひと時でもあった。
最終的には、仁王像の前で六方を踏んじゃうような事までしちゃう。
厚洋さんが、
「お前は草履じゃなくて、
下駄が似合う奴だなぁ。
おきゃんでドタバタで、
蹴出しを見せて走り出すような奴だ。」
と言っていたが、その通りだと思った。
そんな真愛をどう思っていたのだろうか。
結婚する前から、厚洋さんと毎年お参りに行っていた「神野寺」での「紅葉狩り撮影会」だった。
反省
撮ってもらった写真を見て、
「こりゃあかん!
絶対痩せなくちゃ。」
と思った。
コロナ禍で合わせの着物を着ていなかった。
3年前撮った写真と比べると「ゲッ⁈」と思う。
美空ひばりさんの「乱れ髪」の歌詞に
🎶春は二重に 巻いた帯
三重に巻いても 余る秋🎶
暗や 涯てなや 塩屋の岬♪
って言うのがあるが、
「三重に巻けていた帯が、
二重に巻こうと思っても届かない!」
【こりゃ大変!
相撲部屋の関取さんになってるぞ。
帯が褌になるぞ!」
って、厚洋さんの声がする。
「うーん。
シコふんじゃったら困るので、
痩せなくちゃ!」
これが、今回の「紅葉狩り」の発見かな?
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります