見出し画像

十三夜

 島倉千代子さんのあの声で
     🎶じゅうさんやぁ〜🎶
と美しい月の名前を呼んでくれる。
🎵乙女心の十三夜🎵という曲がある。
逢えないわかっていながら
諦めきれずにそこへ行き、また泣いてしまう
側の柳も 夜霧で一緒に泣き濡れてくれる。

ゆび切りした夢 泣いた夢
やさしく抱かれた 今朝の夢
恋しい人の夢は微睡みながら見るのがいい。
起きたら冷めてしまうから、
夢か現か分からなくなる。

逢えない貴方が 来るように
      だまして泣かせる 風の音
だれに見せましょ
結綿島田(若い女性)の歌なのは分かっているが、(乙女心の 十三夜なのだから…。)それでも、女心って不思議で会えない亡き夫に重なってしまう。
 いくつになっても十三夜は切ない。
 満月ではない美しい月である。
 寒くなった心に冴え冴えと染み込む月。
 古賀政男さんのメロディに西条八十さんの詩が切ない。

 お月見といえば旧暦8月15日(現代では9月中旬)の「十五夜」が有名だが、「十三夜」の月も美しく切ない。
 十三夜は「十五夜」に次いで美しい月とされていて、栗や豆の収穫期に当たるため、「栗名月」「豆名月」と呼ばれることもある。
 どうも食べ物に当てはめると、美しいも切ないも無くなってしまうが、十三夜は旧暦の9月13日で、現代の暦では年ごとに異なり、2023年は10月27日(金)なので、お供物は秋の味覚となる。
 仕方がないか。
 食欲を抑えられない真愛のnoteだもの…。

お月様よりススキ❣️

 中秋(旧暦8月15日)の十五夜にお月見をする風習は、中国唐代の観月の宴が起源。
 これが平安時代頃に日本に伝わり、貴族が十五夜を鑑賞する「月見の宴」となる。
 更に、日本では旧暦9月13日の月(十三夜)も美しいとされ、十三夜もお月見をする。
 この風習が庶民に広まったのは江戸時代。
 陰の象徴である月は「お陰さま」に通じると考えられ、生きる糧である作物に感謝する旧暦9月の「収穫祭」の意味も込めてお月見をするのだそうだ。
 だから、食べ物の名前が付くのは当然のこと。
 十五夜は中国伝来だが、十三夜は日本固有の行事らしい。
 今でも十三夜は「後の月(のちのつき)」と呼ばれ、十五夜に次いで美しいと言われる。

 十三夜は満月ではない!
 お月見というと満月のイメージがあるが、十三夜の月は満月になる前なので少し欠けている 
 欠けた月も美しいと称えるところが流石日本人である。
 月は全て美しいと感じる真愛である。
 以前このnoteにも書いたが、病んだような昼の月も、梟が子どものために取ってやろうとする赤い三日月も、見えない新月ですら思い描いて美しい。
 十五夜は台風シーズンなので月が見られないことも多いが、十三夜の頃には天候が安定するため「十三夜に曇りなし」という言葉もあるほど良く見えるらしい。
 寒くなって空気も澄んできて、夜空も一層闇になるからだろう。
 闇を照らし出す光の美しさは、昼間の太陽では言い表せない儚さと強さの両面を見る。

 面白い話としては、十五夜と十三夜の片方しか月見をしないと「片月見(または片見月)」として縁起が悪いという言い伝えもあるという。
 ご縁とか縁起を担ぐ真愛としては、「知ったからには見なければ…。」である。
 旧暦10月10日のお月見「十日夜(とおかんや)」もあわせた3日が晴天に恵まれると、とても縁起がいいとされているそうだ。
 農耕民族だから、安定した天候は「福」である。
 さて、前日に糖尿病療養指導のための血液検査用採血をして来るので、その帰りにお供えの「お団子」を買って来よう。
「十三夜」をひとりで見るのは切ないが、
「今年も片見ではなく3日も見られました。
 あなたに夢で会えますように…。」
とお願いしよう。
「その後、
 2人分のお団子を食べて、
 栗🌰と言っても
【クリームたっぷりのモンブラン】も
 食べるんだろうなあ!」
と厚洋さんの声が聞こえる。
 切ないどころか、笑いの月だ。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります