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終戦の日 盂蘭盆会

 明日は盂蘭盆会であるという日の夜。NHKの「1942年・ガダルカナル」を見た。
 情報統制によって、半年前の日本軍の戦いの様子を見て、息子を戦地に送った父親は「お国のために働く立派な仕事。こちらは大丈夫心配するな。」と手紙を書いた。
 戦地の息子は、某地よりと記して「こちらは暑くて大変だ。これから〇〇に進む。」とハガキに書いた。
 プロパガンダというのか、國による情報統制によって母達は、「何も知らない残酷な人殺」を応援することになったのだ。
 母、26歳。
 永井のお兄さんと呼んだ愛しい人を戦地に送っている。街角に立って「千人針」を作り、「武運長久」を願った。

 真愛が、80年前に戻れたら、
「その情報は間違っている。
 国が嘘をついている。
 戦地になんて誰も送ってはいけない。」
と母に伝えたい。
 きっと、伝えられないだろう。
 統制された情報を見るしかない社会に於いて私の言うことの方が
「嘘・デマカセ・気狂いの戯言」なのだ。
 しっかり情報を自分で収集し、反対していた人達もいるが、それが知れれば反戦思想家は、特高に連れていかれたのだ。

今朝咲いた露草

 8月15日。12:00。
 終戦の日。
 1945年。8月15日。
 降伏を知らせる玉音放送があったからとされているが、本当の終戦はいつなのだろうか。

 この文面から見ると7月26日には、ポツダム宣言を受諾すると決定していたの?と思ってしまう。
 ポツダム宣言の受諾を連合国側に通知したのは、8月14日。
 全面降伏を国民に知らせたのが、玉音放送で8月15日というわけなのだ。
 ポツダム宣言、降伏文書に署名したのが、
9月の2日。
 若い頃は、終戦の日ではなく「敗戦の日」とするべきだと思っていた。
 戦争が終わったのではなく、自国の起した戦争に負けた日である。負けると分かって続けた政府とそれを抑えられなかった、間違った選択をしたことを忘れない日にすべきであるとずっと思っていた。
 しかし、戦争体験者(母達」が、年をとって亡くなり、沢山の見せてもらえなかった映像や情報を知るようになり、終戦後もどこかの国で戦禍に苦しみ、死んでいる人々が絶えずいるこの地球に暮らしてきて、「敗戦の日」ではなく「終戦の日」で良かったのかもしれないと思うようになった。
「敗戦の日」は、負けた事が重要で、「負け」と考えると、「頑張って勝たなければ…。」と思うかもしれない。
 人の世は切なくて、誰かと比べて「勝ちたい」「優れたい」と思うことが世の中を発展させてきたのだと思う。
 比べなくても、あるがままでいいのに…。
 敗者は、「見返してやりたい。」「次は勝ちたい。」「別の事で勝ちたい」と頑張るのだ。
 戦後の復興が目覚ましかったのも、そんな思いが強かったのだろう。
 そんな中で育って来た私が考えた「敗戦」の言葉の恐ろしさである。

玉音放送を聞く

 しかし、「終戦の日」を「戦争が終わった日)とするのではなく、「戦争を終わらせる日」という意味で使うことが大切だと思うようになった。
 ガダルカナルの戦いで、米兵が、
「目の前に銃剣だけで突っ込んでくる日本人
 機関銃で、打っても、打っても、
 突っ込んでくる。
 信じられない光景だった。」
と手記に書いてあったそうだ。
 銃剣を持った目の前の若者も、機関銃を撃っている若者も、どちらも互いに「相手を殺す理由なんてない。」
 ただ、そこが戦場であったから、その時が戦争中であったからなのだ。
 今のウクライナとロシアもきっと同じなのだろう。
 若者達同士は、平和な時ならば、笑顔で話し合い、歌い、青春を謳歌する時を過ごすのだろう。
 これら全ての戦争は終わりにしなければならない。
 どんな問題でも、愚かな戦争で解決することは終わらせるべきなのだ。あってはならないことなのだ。
 その事を全ての人が確認し誓う日を
「終戦の日」としてくれるならばいいと思った。
 しかし、今でもプロパガンダに乗せられて、誰かの意図をもって、特定の主義や思想に誘導する宣伝戦略に振り回されて、戦争状態にあったり、戦争を正当化しつつある国がたくさんある気がする。
 私の大好きな日本も雲行きが怪しい。
 私はそうなりそうな時に、
「間違っている!」といえるのだろうか。

盂蘭盆会

 人はそれぞれに人生観・価値観・心の物差しが違う。その内容や質や深さは人様々である。
 しかし、自らの経験や体験を通して多くのことを学び、深く考え、それを自分のこれからの生き方に活かしていく。
 人とはそういう優れた能力を初めから授かって生まれてきた唯一の存在なのだと僧侶は語る
 他の動物も経験を重ねながら能力を伸ばすが、人間のようにその経験を踏まえて、学び考察し、それ以降の生き方に生かすのではなく、本能のままに反応しつつ能力や機能を発達させていく。
 体験を生かすことができないのが「死」である。死を体験した人は、既に亡くなっているのであって「生かす」ことなんてできない。
 死を学ぶということは、愛しい人の死であったり、父母、祖父母、友などの身近な存在・掛替えのない存在を失うことでその悲しみや苦しみの現実を直視せざるを得なくなり、間接的に「死」を学び「命」そのものの在ようを学ぶのだ。
 愛しい人を失った悲しみの大きさ故に「命の尊さ」「命の尊厳」を実感する。
 愛しい人が病み・老い・亡くなった事実を凝視することで「無常」に気づき、その悲しみや寂しさの辛さの中で、「絆の大切さ」や「ご縁の有り難さ」を実感して学んでいくのだ。
 戦争は、人殺しである。
「愛しい人の死」なのである。
 人はその悲しみから「学ばなければならない」
第二次世界大戦の死者
 枢軸国側・連合国側
         合計 約 5565 万人
アジア太平洋地域「戦場になった国」死者数
         合計 約912 万 5000 人
 怪我や戦場で病気になった人の数なんて入っていない。家を焼かれて、愛しい人を奪われた人の数なんて入っていない。
 人を殺して心を病んでしまった人の数など入っていない。
 「死者」と「悲しみ」の上に積み上げられて来た現在なのだ。
 私は、学んでいなかった。

お盆

 8月15日。
 命の尊さ・無常な現実・ご縁の中で生きている事実。
 私は、それらを日常生活の中で考えていたのだろうか。
 忙しさに忘れていたり、ある程度の恵まれた日々を過ごしていたりして、今在ることが当たり前と思って生活しているような気がする。
 茹るまでビーカーの中で、泳いでいる蛙のように、気づいた時は飛び出す気力も体力も心も萎えてしまっているのだ。
 私は、何も学んできていなかった。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります