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熱い恋があった!

 旦那様の言葉遣いがとても優しくて、奥様の対応が優しくて見ていて、聞いていて切なくなった。
「体重は63kgになっていたんだよ。 
 血圧が150だって、いつもなら140なの
 にね。」
「お医者様の前だと緊張しちゃうんですね。」
「そうだねぇ。
 気が弱いからねぇ。」
柔らかに笑う二人に真愛の耳は惹きつけられた。 
 ガサツな真愛には話せないスピードだ。
 丁寧で柔らかく素晴らしい。
「やっぱり待つだけは長く感じるねぇ。」
「ええ。
 する事がないからですね。」
「今夜の食事でも相談するかね。」
「ええ、何が食べたいですか?」
 待つだけの暇な時間を何とかして、気を紛らわせようとする旦那様が二人の沈黙を破る。 
 必ず、旦那様の一言に答える優しい声。
 一つの席にピッタリと寄り添って座っている二人は共に思い遣っている事がわかる。
 病院に来たのは旦那様で奥様は付き添いだろう。

仲の良い老夫婦

 厚洋さんの付き添いでこの病院に来た時に、真愛達は一緒に座ったのだろうか。
 座っていた。
 コロナ禍前だったので、ここにある椅子達は丸く集められ隣同士が話せる様な形になっていた。だから、真愛達もピッタリと寄り添って居たのには違いない。
 しかし、彼らの様に互いを思いやるために会話を交わすことはなかった気がする。
(漸く病院に来てくれた。
 少しでも楽になってくれるといいな。
 そうすれば、夜起こされて文句を言われる  
 こともなくなるかな。)
と考えて居た真愛。
“病院なんかに来なくても
 分かってる。
 俺は俺のことは分かってる。
 もうすぐ死ぬのだ。
 真愛が泣いて頼むから来たが、
 病院で病気を宣告されるのは嫌だ。”
 互いに相手は思っているが、根底に「生老病死」の闇が迫っている。
 今、真愛の右横にいる老夫婦にとっても
「生老病死」の闇はあるのに、「老」については我々よりずっと濃くなり、「死」に近づいているにもかかわらず、こんなにも穏やかに話せるのはなぜなんだろう。
 彼らには「病」についての共有があり、「死」に近づいている気がしない状態なのだ。
 寄り添って生きている二人を見て切なく嬉しかった。
 そして、さだまさしの「空蝉」の一節を思い出した。
ー 灰の中の埋火おこすように
  頼りない互いのぬくもり抱いて
  昔ずっと昔熱い恋があって
  守り通したふたり ー

 どの夫婦も一緒になった頃には、「熱い恋」があったのだと思う。
 しかし、年を取り旦那様のことを疎ましく思って、口にしてはならない言葉まで吐く人もいる。
 折しも、ニュースで奥さんを手にかけたひとの判決が出されたという。

老々介護殺人 判決

 被告が語る
「一緒になった時は、想像していなかった。」 
 そうなのだ。誰もが一緒になる時は、「熱い恋」があったのだ。それが、時の流れとともに変わってしまう。
 そんな人達を見ているから、素敵に見えるのだ。病院の二人のように「熱い恋」を守り通した人達もいる。
ー いくつもの物語を過ごして
  生きて来た今日迄歩いて来た ー
 真愛と厚洋さんも「熱い恋」を、幾つもの物語を過ごし生きて来ていた。
 しかし、今はその彼はいない。
 だから、二人を見ていると切なく嬉しい。

ずっと元気でいてほしい

 彼らの事を素敵だと思う様に、真愛達二人のことを見て居た人がいるのだとしたら…。
 嬉しいと思った。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります