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有難い親切

 今日プールでの話だ。
 私の通っているプールは建設からずいぶん時間が経っている。
 外観は新しいホテル併設のプールだが、大プールの壁は時々塗装が剥がれる。
 1年に1度、9月に2週間ばかりの休みがあり、その中で修理をしたり掃除をしたり水の入れ替えをしたり様々なメンテナンスをする。
 だが、9月の2週目からはまた再開する。
 1年だ。
 4月位までは何とかそのメンテナンスも持つが、気温が熱くなり、プールの下に藻が生えてしまう。
 機械を入れて掃除をするのだがなかなか思うようにいかない。
 また泳げる人が多く泳ぐコースはターンをするときの壁がよく剥がれる。
 今年もあと3ヶ月になってターンをする壁が剥がれ始めた。
 ゴーグルをやっているから危険はないが、やはり元教員と言うこともありプールの中の遺物には気になる。
 縦7センチ横3センチ位の壁の破片がターンをしたところで、ひらひらと浮いていた。
 2回目の時は下のほうに落ちていた。
 気になって仕方がないので、3回目には泳ぐのをやめて、端の壁から2メートル位離れたところでしっかり潜って拾うと思った。
 ところが、どっこいお尻に脂肪がついてお腹に脂肪がついて直角にはもぐれない。
 それまでに約10分以上泳いでいたので、クロールは400メートル、背泳ぎも少し泳き初めていた。
 隣のレーンにいたいつものおじさんは休み休み、いつもの通り泳いでいたところだった。
 が、真愛の壁の欠片を拾う様子を見てびっくりしたのだ。
 長く泳いでいた真愛の足がつって溺れているのかもしれないと思ったのだ。
 私のほうはそんな事は何も気もしてない。
 頭の中には
(これじゃ、厚洋さんにまた、言われるよな。
「女はケツが軽いから
 筋肉質じゃないから…。
 特にお前なんかは脂肪の塊だから
 プールの底になんか腹がつかないだろう。」 
 よく言われていたもんね。)
 言葉が頭の中でくるくると巡る。
 1人で笑いながら2回目潜った。
 今度は一生懸命書いて潜っていった。
 だからしばらく浮かんでこなかったのだ。
 浮き上がったところに隣のコースのおじさんが心配そうに
「大丈夫ですか?」
と尋ねてきた。
「ええ大丈夫です。」
「よかった。足がつったのかと思った。
 攣って、溺れてるのかと思った。
 沈んじゃって上がってこないんだもの。」
 一生懸命心配してくれるおじさんに
「すみません。
 プールの壁の一部が剥がれてたんです。
 拾えないんです。
と言うと、さらにびっくりして
「壁ですか?」
と言うので
「そう。
 このくらいの大きさの壁が剥がれてるんです
 気になって拾うと思ったんだけど、
 お尻が軽くて沈まないんです。」
 男性はニコニコ笑いながら不思議なことに足に浮きをつけて沈んでいった。
 ふたかきぐらいですぐ拾ってくれた。
 それを見て大喜びしている真愛。
 監視のスタッフに渡さなければいけないと思ったので、大きく監視室にいるスタッフに手を振った。
 スタッフの深沢さんが急いでかけてきた。
「大丈夫ですか?」
「壁の一部が剥がれてたみたい。
 拾おうと思ったんだけど、私沈まないの。
 だからね。
 この方に拾ってもらったの。」
「そうなんですよ。
 僕はこの人が足がつって、
 溺れてると思ったんですよ。」
3人であっけらかんと笑った。

鼓笛隊の先導 我が道を行く

 私は人に自分の姿がどう見られているかと言うことをあまり気にしないでいる。
 だから今日みたいなとんでもないことがたくさん起こる。
 わが道を行くというか、人の目なんか気にしないと強気な性格なのか、この年になって漸く(あぁ。そういうような生き方をして来たな)と思った。
(しかし、ちょっと待てよ。
 私だって人にどう見られてるか気になること
 だってある。
 それがスタイルだ。姿形なんだ。
 歩き方は気にしていない。
 でも歩き方を気にした方が良いようだ。
 40歳くらいから母に
「あなた猫背かもしれないわよ。」
と言われた。
 そこで直していれば、今の私はもっとスラッとした感じの体型になっていたと思う。
 前かがみの猫背で、お腹やお尻が出てきた。
 おばあさんになってしまったのだ。
 でもそのおばあさん、都会に出て行くと、どうも自分のことが気になる。
 プールでもそうだ。
 鏡のような大きなウインドウ・窓ガラスを見ると自分が写っている。その自分が周りと比べてどうなのかと気になるんだ。
 水着を着てプールサイドの窓ガラスに、自分の体が映ると息を吸ってお腹を引っ込める。
 ジャグジーに入った瞬間に気が緩む。
 そんなんだからなかなかスタイルは良くならない。
 気にしていたのは人からどう見られているかなのだ。(生き方ではない)
 人からどんなふうにデブに見られているか、格好悪さを確認していたのだ。
 私は内面の美しさを鍛えるのではなく外見の綺麗さを何とか取り付くろうとしていたのだ。

 だから、私を知っている人たちは
「お前は面白い奴だな。」
「思うように生きてるわね。」
「伸びやかにやりたいことをやっているわね」と言う。
 みんな「生き方」は褒めてくれる。

息を吸うプール?

 でも、スタイルは褒めてくれない。
 さて、人からどう見られているか。
 私は一生懸命、壁の破片を拾うとしていた。
 親切だ。
 それを見たそのおじさんは
(大変だ。溺れている。
 足がつったんだ。
 助けなくちゃ!)
と思ったのだ。優しい心遣いである。
 10年近くプールに通っているのに話したこともない人だけど、今日のことでちょっと笑顔になった。
 次その方に会ったら笑顔で
「先日はご迷惑をかけました。
 ありがとうございました。」
と言いたい。
 全くの赤の他人が真愛が溺れてると思って助けに来てくれたのだもの。
 厚洋さんは、真愛のそばから逝ってしまっても必ず助けてくれてると思う。
 でも、実際に溺れたときに助けてくれるのは厚洋さんじゃなくて他の人だ。
 真愛の周りにはたくさんの素敵な人がいて優しい人がいて、私を必ず見てくれている人がいることに気がついた。
 親切な人がいっぱいいるんだ。
 あちらの世界から厚洋さんが焦って
『おい見てくれよ。』とおじさんに声をかけたのかもしれないけれど…。
 もうちょっと見てくれだけじゃない人間としての真愛も人の目を気にしながらまっすぐな方向を向いて生きていきたい。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります