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新米

 いつものコーヒー屋さんに行ったら、小さなお握りをもらった。
「松丘の新米です。」
と差し出すマスターのようなまん丸の可愛いおにぎりだった。
 真っ白で熱々で、触り心地が美味しそうだったので、オーダーしたオムライスより先に食べてしまった。

 今日は、占いでは良い日ではなかった。
 こんな日は、出来るだけ安全に過ごす為に外には出ないがいいので、今日の活動計画は5つ。
・時さんとの中国語翻訳確認が終了したので、
   USBに保存した後、印刷をして提出用の
 封筒に入れる事。
・作品展には出品する絵を描き直す事。
・厚洋さんのお墓参り。
・ポイントが2倍のお店で買い物をする事。
・プールに行く事。
の予定だった。
 2つめまでは家での事なので、なんとか上手く進んだが、作品作りは遅々として進まず、肩が凝った。
 しかし、月曜日はお墓参りの日と決めているので、行かないと気が済まない。
 外出するなら、同時に買い物をしないと車を動かすのだから勿体ない。
 しかし、絵を描いたので目も疲れている。
 頭の中で、プールに行くか、そのまま帰るか、どちらにするか考えながら出掛けた。
 お墓参りをすると、良くない日であっても心は穏やかになる。必要な買い物をちょっとお得に行うのも良い事だ。
 プールに行くには、そのお店から右折して行くのだが、混んでいて左折をして出る事にした。
 すると、プールに行く事をやめて、いつものコーヒー屋さんに行く事を決定した。

おにぎり食べちゃった

 それが良かったのだ。
 コーヒーが来た後、「新米」の小ちゃなおにぎりを貰ったのだ。

オムライス!

「新米」を食べながら、noteを書いた。
「新米」と書いて気がついた。
 新米・古米と書くが、「新米・古参」とも書く。
「新米教員」の「新米」って、どうして使うようになってのだろう。
 真っ白で初々しい出来たての先生だから「新米」なのだろうか?
 何故「古米教員」と言わないのだろう。
「古参」古くから参っている者だから古参なのだろうか。
 長く生きてきたし、「新米・古参・古米」なんて使っていたが、どうしてなのか考えたことが無かったと考えながらオムライスを食べた。

「新米」
 その年新たに収穫した米。
 ただし、収穫期の前には前年の産米をさす。 
 新穀。⇔古米。

 《(新前)の音変化》
 仕事・芸事などを始めてからまだ日数が
 少なく、それに慣れていないこと。
 また、その人。「新米の社員」と使うそうだ

 ここまで書いて気がついた。
「古参」に対しては「新参」だ。
 ところが、辞書によると「新米」の対義語を「古参」としているものもある。

 お米ではなく、人に対して使う「新米」を対義語関係で比べてみると、
「新鋭」→ その分野に新しく進出して来て、
      勢いを示すこと。
「古豪」→ その面での経験を十分に積んだ
      実力者

「新顔」→ 新しくその社会の仲間入りをした人
「古顔」→古くから居る人。古参。

「新人」→ 新しく加わった・登場したひと
「古参」→ 組織や団体で古くからその一員
     として身をおいている人

 真愛の食感は、語感よりも研ぎ澄まされていた。
「新米」は「新・New」なのである。
「古参」は、「古・Old」だ。
 決してoldが悪いわけではない。それなりの魅力があり、重みもある。
 だが、Newには敵わない。
 若さ・新しさ・未来・豊かなエネルギーを感じる。
 だから、小さな新米のおにぎりが美味しかったのだ。
 真愛は、すでに古参!いや、婆さん!である。それは、実年齢であり細胞が古いのだ。
 しかし、心に関しては、若さを保ち、新しい思考もでき、未来を見つめて生きていたら、「新米」と同じ美味しさでいられるのかもしれないと思った。

ノウゼンカズラ

 オマケをもらっちゃっただけではなく、「新米」について考えられた。
 鬱々と良くない事を考えながら生きるのではなく、残り少ないけれど未来を考えて生きることの方が好きだということにも立ち戻れた。
 ちょっと左折しただけだが、良い事に転じるような毎日を送っているのが真愛の人生だとも思った。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります