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思い出抱えて歩けない?

 思い出が重い?
 荷物が沢山あると持ちきれなくて重い。
 スーパーの特売日に洗剤、柔軟剤、お米、野菜、果物、ヨーグルトなんて買うとエコバッグに入りきらない。
 お米にシールを貼ってもらって車まで戻るが特売日だからお客さんも多く車は近くにない。
 
 厚洋さんがいた頃は持ってくれたのにと思い出したが、彼は一緒に買い物に行ってくれても荷物を持ってくれた事はない。昭和の男だったのだろう
 外で女房の手伝いをするところなんて見せなかった。一人で買い出しに行くときは、主夫そのものだったらしい。
「アンタの旦那さん主夫だね。野菜売り場でピーマンの品定めしてたよ。手に取って戻すなんて、男の人はあまりしないものね。
と褒められた、
 いや、真愛が尻に敷いていると笑われたのか余りいい気はしなかった。
 買い物には、よく一緒に行った。
 厚洋さんは、全くお給料を入れてくれなかったので、真愛のお小遣いが無くなると彼に買い物を頼んだ。一人で行けば「彼が払うからだ」
真愛と一緒に行けば真愛が支払いをする。
 食事に行ったときは、幾ら高くても厚洋さんが払う。「男だから…。」
 考えてみればいろいろなイベントでのプレゼントや欲しがった着物や宝石は、みんな彼が買ってくれた。給料は入れないが厚洋さんのお財布は真愛と厚洋さんの遊興費だった。
 スーパーでのお買い物をするだけで、厚洋さんとの思い出をお買い物以上に沢山抱えて帰ることになる。
 
 厚洋さんが亡くなって暫くは、楽しかった思い出も、全て「愛しい人に会えない悲しみ」に変化してしまった。
 思い出は重くて、一歩も前へは進めなかった。毎日、毎日、落ちてくる思い出に静かに埋まっていった。

 外出自粛で、真愛もご多分に漏れず「納戸の片付け」をした。
出て来たのが↑これ!
 1976年。44年前の真愛と厚洋さんの結婚式の席次と招待状・返信葉書だったのだ。
 こんな素敵なものでも、彼が亡くなった頃は悲しい思い出となり
「厚ちゃん。会いたい!一人じゃ寂しい!
 はやく迎えに来て!」
と泣いただろう。
 しかし、亡くなって598日の今日。
「あら。懐かしい!返信の宛先は厚洋さんの  
 部屋だったのね。真愛の失恋の痛手を癒して 
 もらった、あの部屋の番号だ。
 父さんも母さんも母も皆んな元気だった頃だ  
 ね。教え子達は、後輩といったのね。」
 皆んな私より先になくなって真愛だけが残っている。涙は止めどなく流れるが思い出は、重くない。 

 厚洋さんのお父さんお母さんの結婚当時の写真と妹さん弟さんの写真も出てきた。

 釧路の頃なのかな?
 面白いことに、厚洋さんは真愛の中学校の初恋の人に似ている。(頭のいい人って骨格が似るのかな。)
 小さかった弟さんも、昨年の今頃、愛しい娘さんを亡くされた。思い出が思い出に繋がり、手が止まり涙する。
 しかし、今の真愛には、思い出は重くない。  
 この懐かしいモノたちは、幸せだった過去の人達に「ありがとう。幸せだった!」と言わせる。
 いまの真愛は、厚洋さんとの幸せな思い出を沢山ぶら下げて笑顔で光りの中へと歩いていける。
幸せな思いは 心を軽くするからだ。
笑顔は、jumpすらできる。
   思い出は決して重くはない。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります