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七夕飾り
真愛の3年日記。
明日は七夕。ちゃんと厚洋さんがいる時と同じに七夕飾りを作った。「コロナ禍の終息」と「厚洋さんの素敵な事を皆んなに知らせられる事」と「真愛の文才が上がる事」と「拓の家族の健康と幸せ」と「ちょっとお小遣いが欲しい」とたんまりお願い事を書いた。
厚洋さんは、空から見て笑っているよね。
「俺には叶えてやれる力は無いぞ!」ってね。
「願いは、叶うように自分で努力する事を明確
にする方法の1つだぞ。」
なんて、お説教は聞こえてきそうだ。
厚洋さんと一緒になってからは、毎年忘れずにやった気がする。教職員だった事もあり、季節の行事は学級の子供たちに知らせるために必ず話したし、やれる事は実際にやらせた。
だから、毎年学校で作った物を持って来る。
拓の小さい時には、家族皆んなで浴衣を着て「七夕祭り」を楽しんだ。
拓が巣立ってからも、毎年やった。
「ねぇ、お願い書いて!」って強請ると、
「健康第一。家内安全。家内激ヤセ。」と書かれた。真愛は、毎年自分のこと、
「本を出版出来ますように!」と書いた。
その後は決まって
「俺は原稿料もらって書いてるもんね。
あんたは自費出版で一冊ね。」
と馬鹿にされた。真愛が毎年拗ねるのが嬉しかったのだろう。毎年のお決まり一言だった。
雨が降っても、おつまみには「天の川素麺」と「焼き茄子に筆生姜」を出した。
雑学博士の厚洋さんからの受け売りで作った献立だ。
七夕にそうめんを食べるようになったのは、中国のお話から。
むかし、中国で7月7日に亡くなった皇帝の子どもが、祟り神となって病気を流行らせたので、その子どもが好物だった索餅(さくべい)を供えたと言う。(索餅とは、縄のように編んだ小麦のお菓子。)
すると怒りは鎮まり、いつもの平穏な日々が戻った。ここから、7月7日に索餅を食べると1年間病気をせずに暮らせるということで、七夕の行事食になった。
索餅や七夕は、古くから日本に伝わっていたが、広まったのは平安時代の頃。宮中行事として七夕を行い、中国にならって七夕に索餅を供えたと言う。
この索餅は、そうめんの原型だと言われる。小麦を練って縄状にしたもの(結構太い素麺かな?)だから、素麺で無病息災を願うと言うわけだ。
「焼き茄子と筆生姜」は、我が家独特の言い伝え。まず筆生姜があっての事だ。
7月7日(旧暦で)の朝、里芋の葉に溜まった夜露は、月からこぼれ落ちた神様の水であり、七夕にそれを集めてすった墨で文字を書くと字がうまくなると言われていた。
そこで、朝早く起きて取りに行くのだが、お話のようにうまく取れるわけがない。里芋の葉の上に運良く溜まっていた水を移動させようとするとコロコロと落ちていく。
結局、里芋の葉をちぎって持って来る事で諦める。そこで里芋の近くに生姜を植えた。
7月7日では、まだ若くて小さな生姜しかできていないが、綺麗に切って「はじかみ生姜」と「下ろし生姜」ができる。
近くに茄子も実をつけ始める。
だから、茄子を取って「焼き茄子」に「下ろし生姜」を添えて、「筆生姜の酢漬け」がおつまみになった。
厚洋さんは
「おっ。初物たね。長生きするかな?」
って言って笑って食べてくれた。
何にも無い穏やかな毎日だったが、結構楽しんでいた2人だったと思う。
里芋の葉から、朝露を集めてお習字の練習をしようと思ったけれど、昨夜は大雨でお月様は出なかった。
月の露が滴り落ちて…、ではない。
今年は、旧暦の七夕で再挑戦しますかね。
願わくば 今夜晴れて 天上の恋が実りますように。
天上の 恋を羨む 未亡人
ー真愛ー
雨が降ってもくものうえは、晴れ!
いいなぁ織姫様。
一年に一度でもちゃんと会えるのだもの。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります