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子育てパニック 成長の喜び

「おはようございます。最高気温が10度を切るようになってきましたね。(寒い)
 公園での遊具接触を避けて今日の午前は土手周りで遊んでいます。
 土手も時々なら飽きずに遊べるようです。笑
段々自分達で遊びを考えて過ごせるようになってきていて感動しております。笑」 嫁

「おはよう。大きくなったね。
       風が寒いけど大丈夫?
 子供は風の子か!
 真愛は、日の子で
       日向ぼっこで仕事です。」真愛
            

「さむくない?気をつけてね。」 息子

「私は完全防備!!
 子供は暑くて脱ぎだしてます笑
 風は冷たいけど、陽は暖かいです😊
 
 私も静かな屋内で日向ぼっこしたいです。笑
 我が家は屋内も戦場ですが…。」

「子どもの成長をちゃんと見つけられて偉い!
 確かに、小学校に上がる前までは、ちょっと 
 した成長が嬉しかったし、
 見つけられたかもしれない。
 成長が分かるほど、いろいろな時間を一緒に
 いられるのかもしれません。

 一緒にいられなくなると、
 先生とか友達の方が
 子どものことをわかっていた気がする。
 
 ずっと会わない真愛は、
「あら、大きくなったね。」
 しか言えないのですね。

 いっぱい発見してあげてください。
 それは、ママのメダルなのですから。
        この話。noteに頂きます。」

「私の僅かな話を、奥行きのあるストーリーに 
 してnoteに投稿できるお母さんが素敵。
 いつも学びと温かさが貰える文章が好きで
 す。(ハート)」
「ありがとう😸」

って言うことで、noteの記事は、
「子育てパニック」シリーズの「成長の喜び」

 上記の会話は、LINEのグループトークの抜粋。(真愛の幸せは、離れていても繋げてもらっている息子・嫁。沢山の思いやりを感じている。)
 
 さて、今日のトークの最中に感じたのは、
「子どもの成長」をどこで感じるかと言うことだ。
 真愛も子育ての最中に沢山の「成長」を発見をし、厚洋さんと大喜びをしたのを思い出した。(どこの親も一緒だから、お馬鹿な話かもしれない。)
 まず、生まれた子が自分の指をギュッと握ったと言って、大喜び。
 起きて目を開け「じっと俺を見てるぞ。賢い!」と言って大喜び。
 メリーゴーランドを見て声を上げて笑った。
 真愛の姿を追いかけた。
 抱っこしたら、足を踏ん張って立ったぞ。
 ゲップが上手くなった。
 夜泣きしなくなったね。
 「マー」って言ったわ。「飯のことだ!」
 「見て。掴まって立ちそう。」

「おい。見ろ見ろ!立つぞ!」
 厚洋さんが一升瓶に掴まらせて、初めての掴まり立ち、写真を撮ったのは真愛。
「立たせたのは俺。」と厚洋さん。

 子ども中心の生活をしていたのだろう。沢山の発見をしている。子どもも成長著しい時期だったのだ。
 母子手帳には、「できた。」「できない。」で一喜一憂していた記録も残っている。
「声を発することは早かったのに、言葉にならない。ひょっとしたら言語障害かもしれない」と書いてある。
 翌年には、「僕のお口が鉛筆だったらいいのに。」と書きたいことがあるのに追いつかない自分のモヤモヤを書いている。
 当然、言葉を発するようになり、母親に似てうるさいほどお喋りになった。
 よく見ているから、よく聞いているから、ずっと一緒にいるから発見できることなのだ。

 よその子は大きくなるのが早い。
 これは、年齢のことであると思う。苦労することもなく、忘れているうちに
「もう小学生?」
になるのである。
 凄い時は、
「えっ?成人式なの?
   あの時は、まだオムツしてたのに!」
20年も会わなければ、そうなる。
 人の一生なんて、地球創生から考えれば、瞬き一つと同じなのだから仕方がない。
 しかし、子育ては苦労して、悩みながらも毎日を確実に生きているのだ。
 命の成長を見続けているのだ。
 朝顔の観察記録みたいに、1日見なかったら蔓が3本一緒に絡んでしまう。
 子育ては、偉大な発見記なんだと思う。

 なんでも、「初〇〇」の毎日。
 ところが、子どもの社会が「父・母・祖母」だったのが、隣の子どもと遊んだり、おじさんおばさんと話したり、少しずつ広がっていく。
 息子の社会が画期的に広がったのは、「幼稚園」に入った時だった。同時に父母としての社会も広がった。
 他の子と比べるようになった真愛を
「拓は、拓。あいつの伸びを見てやれ!」
と嗜めてくれたのが厚洋さん。
 

 親として、沢山の発見をしてあげられるのは、幼稚園に入る前までだった気がする。
 息子は息子だけの真愛の知らない社会の中で、真愛の知らない成長をいっぱいしていた。しかし、ちゃんと話を聞かなければ知り得ない事だった。
 だから、今朝のLINEで嫁が偉いと思ったし、その発見も保育園に入ると気付きにくくなり、寂しい思いをすると伝えたかった。
 
 小学校に入った彼は、学校でのことをあまり話さなかった。男の子だからかもしれないが、真愛が自分の仕事にかまけて聞いてあげなかった気がする。
 聞くのは、個人面談の時。
 彼の成長を褒めてあげるより、担任した教え子と比べて「努力不足」を指摘した。嫌なはず親だったと思う。
 彼が救われたのは、優しいおばあちゃんと全てを丸ごと認めてくれる父親だったろう。

 厚洋さんは自分が行きたいところ。自分がやりたいことを彼と一緒にやってくれた。(あくまでも、自分中心だったがいい父親だった。)
 
 真愛が彼の大きな成長に気づくのは、厚洋さんが死の床に着いた時だった。
 父親より大きな男になっていた。
 愛しい人と一緒になり、愛の結晶も授かり、守るものを抱えても揺らがない人間になっていた。
 何も波風の立たない平穏な毎日を送っていたら、その成長に気づかず、喜べなかったのではないだろうか。
 人は、ハードルを一つ一つ越えながら、成長するのだと思う。人生のハードルなんて、一回で超えられる人は少ない。
 何度も何度もハードルを倒し、膝を擦りむき、辞めようと思いながらも挑戦したから、越えられた喜びを味わえる。
 その成長の喜びを発見でき、ともに喜べる親であったら素晴らしい。
《もう一度、言おう。
 成長真っ只中の今でこそ、感じられる事。》
 その喜びや嬉しさは、育てている者に掛けられた金メダルだと思う。
 まだ、たくさん成長を発見できる時期にいる子どもさんを持っている方は、メダル獲得のチャンス!
 東京オリンピックは、どうなるかわからないけれど、あなたの首に掛かる輝けるメダルを真愛は、羨ましいと思う。
 いや、真愛もまだまだ息子の伸び代を見つけられる。「凄い!」とか「偉い!」とか、いい息子だと思う。(親馬鹿だが…。)
 そんな時、真愛の首にもメダルが🎖掛かる。
 

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります