子育てパニック お手伝い
もう直ぐ冬休み!
教員をやっていた頃には、冬休みの計画表を教務主任に提出した時期だと思い出した。
初任の時の真愛の作った計画表には、大晦日、元日、事始め、七草粥ぐらいしか書き入れなかった気がする。
要するに何処の暦にもあるような計画表だったのだ。
しかし、厚洋さんと一緒になった年の計画表には、「大掃除」「お手伝い」「書き初め」なんていう具体的な予定も書き入れた。
厚洋さんは、
「冬休みは、家族と過ごし、自分が家族に対し
て何ができるか実践すること。
自分の家の伝統を知ることが大事。
宿題なんかいらない。
出すんじゃない!」と言った。
素晴らしい先生だと思った。
その休みの意味が大事なのだ。
冬休みは、休日の連続ではない。勿論、夏休みも、春休みもそれなりの大事さがあるが…。
「冬休みは、正月休み」なのである。
日本人にとって「正月」ほど日本文化を意識する行事はないと思う。
真愛も母から教えてもらった我が家の習わしと厚洋さんのお母さんから教えてもらった我が家の慣わしとを合わせたお正月準備をした。
古風な厚洋さんは、そんな真愛を可愛く思ってくれたのだろう、一緒に大掃除やお飾りや御節作りの食材を買い出しに行ってくれた。
三が日は和装で過ごし、初詣・お年始回・事始め・百人一首・羽つきまで付き合ってくれた。
そんな教員だったので、
「宿題なんかいらない。
家の手伝いやその家の正月を覚えて来い。」
と課したのだと思う。
つい最近。アニメ「ちびまる子ちゃん」で、
お小遣いを稼ぎたいまるこちゃんが「お手伝い」をする話を見た。
真愛の小さい時も、お手伝いをすると母から5円とか10円を貰えることがあった。(小4の頃かな?それ以前は、お手伝いはしたが、お小遣いはなかった。貧しくて10円はその日の家族のコロッケ代だったものだ。)
さて、「お手伝い」について素敵な記事を読んだので、書き留めておきたい。
子どもが生まれお父さんになったKさんは
「子どもを乾いたスポンジにしないか?」
と奥さんに提案した。
「親があれこれ詰め込むのではなく、子ども自身が様々なことを吸収して、生きる力を育めるようにしよう。」
「食べる・寝る・遊ぶ」と、感謝を伝えることができる「お手伝い」を意識したそうだ。
家族で食卓を囲み、早寝早起き、親も一緒にとことん遊び、家事もみんなでこなして、一緒に暮らす。そして、誰が何かをしてくれたら「感謝」を伝えて来たという。
その子が大きくなり
「お手伝いで褒められてきたから、なんでも
臆せず取り組めました。
時間の使い方も上手くなったし、要領も良く
なりました。
何より、考える力がつきました。
お皿を洗うときには水が無駄にならない
ようにする。
洗濯物は何からはした方が良いか考える。
お陰で段取りもよくなりましたね。」
と美しいお嬢さんが笑う。
お母さんも
「次女も長男も…。
今では、全員が『家事の達人』です。」
と笑う。
子育てにおいて「褒めることが大切」と言われるが、毎日褒めるのはなかなか大変なこと。「褒める20%ありがとう80%で…。
勉強よりもお手伝い!」
お手伝いは、子どもにたくさんの力を与えてくれる。
自分の部屋掃除をすれば[自分の事が自分で出来る力]リビングを掃除してくれたら[人の役に立つ力]がつく。
そして、
《ありがとう助かるわ!》
《凄わね。上手に出来るのね!》
《大変だったでしょ。有り難う!》
と言われれば、嬉しいはずである。
大人(お父さん)になっていた厚洋さんも
《凄いわね。
パパのチャーハンは美味しいわね。》
と、息子と一緒に褒め千切った翌週から、厚洋さんがお昼を作る事が多くなった。
本当に美味しかったから…。
その翌週から、日曜日のお昼もパパが作ってくれた。真愛は、結構な勢いで厚洋さんのお料理を褒めた。
大学時代、喫茶店の雇われマスターもやっていた厚洋さんは、料理が上手だったので【本当に美味しかった】ので、本気で彼のようになりたいと思って褒めたし、教えてもらった。
褒められるというのは、気持ちの良いものだ。
彼も御多分に洩れず、気をよくしてくれて、朝食も昼食も作ってくれるようになった。
真愛は、元気に『美味しい❣️有り難う❣️』
と完食する幸せ者だった。
話が逸れたが、お手伝いは、自己肯定感・忍耐力・集中力・自律性・積極性・協調性を育てる。
その育ての1番の大切な事は、「褒める事」だ。
誰かと比べて褒めることではなく、この行為が本当に素敵なことであって、素晴らしいことであると思う「褒め言葉」と「感謝の思い」を伝えることだ。
ただし、「褒める」を誰かと比べてはいけない。塾の順位が上がったとか、レギュラーになったとか、他者を押し除けて出来た事を褒めると、その子のありのままを褒めることにはなっていないのだ。
「出来のいい子が好きなんだ。」と間違った親の思いを感じ取ってしまうこともある。
「ありがとう」には、言い過ぎも無ければ、言われ過ぎて困ることもない。
「ありがとう」をたくさん言われると、心が喜んで意欲や優しさが増す。
「ありがとう」は魔法の言葉である。
勿論、笑顔も一緒に着いてくるので、言って、言われて、家中が笑顔で溢れる。
忙しい時に「お手伝いする。」と言われると、(自分がやった方が早い。)の気持ちを抑える事だ。折角子どものやりたい気持ちが出たのに無視するなんて勿体無い。
今は下手でも、やればやるほど上手くなる。
将来の親の楽(子どもができるようになる事)を楽しみに、グッと我慢しやらせてあげてください。
「ありがとう。
じゃあ。一緒にやってくれる?」
「ありがとう。助かったわ。」笑顔!
「お手伝い」はまだ早いはない。
使用済みのオムツを親と一緒にゴミ箱に入れたら、立派なお手伝い。
「ありがとう。出来るのね。」
孫と離れて暮らす真愛は、時々来る彼女たちの成長に目を見張る。
先月、8ヶ月ぶりに我が家に来て
「まあちゃん。お風呂掃除やれるよ。」
「あら、じゃ一緒にやって!」
「凄い!凄いじゃないの。
こんなに大きくなったんだね。
偉いね!驚いたわ!
ありがとう。」
「今日はtsuちゃんが、掃除してくれた
ピカピカのお風呂に入って下さーい。」
孫は恥ずかしそうだったが、最高に嬉しそうでもあった。
一歳5ヶ月、2人でお留守番をしながら、洗濯物を運んでくれた「お手伝い」の写真を見ながら、婆ちゃんは感激であった。
「お手伝い」は、もう遅いもない。
お宅の旦那様。
本当はたくさんの「お手伝い」ができる方なのだ。ただ、歳を取ればとっただけ「やろうか?」って言えなくなる。
そうだ、何ヶ月か前に、郷ひろみさんがいいおじいちゃん役をやっていた。亭主関白の夫源病と言われる夫だったのに、熟年離婚されそうな夫だったのに、「孫の子守」を手伝うようになり変化していくのだ。
あまり好きではなかった郷さんの大ファンになった。
「お手伝い」は、まだ早いも、もう遅いもない
気づいた時が初めどきなのだ。
そうそう、「お手伝い」は完璧を求めてはいけない。
どんな出来栄えでも、笑顔で感謝を伝えることだ。
だってそうだろう?
「手伝ってやろうか?」という優しさをくれたのだから…。
真愛は、人生の全てのことで厚洋さんに「手伝い」をしてくれていた。
食事作りも、家事も、仕事である学校の事も相談も、みんな手伝ってもらった。
真愛は、笑顔で「ありがとう」と言っただろうか。
全てに「有り難う❣️」を言ったという自信がある。毎日毎日、「有り難う❣️」は言えた。
それだけ、厚洋さんに頼っていたし、厚洋さんに守られていたのだ。
「お手伝い」について書きながら、自分がどんなに幸せな生活をしていたのか痛感させられた。
「ありがとう厚洋さん。
真愛が今、一人でちゃんと暮らせるのも
あなたと出会えて、
一緒に生活できたから…。
あるがままの真愛を褒めてくたから…。」
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります