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チャーちゃんの命日

 ただ、一緒に寝てくれるだけで良かった。
 一緒でなくても、チャーちゃんがいることが幸せだったのだ。
 我が家の四代目チャーちゃんが亡くなってちょうど1年が経つ。人間ならば一周忌だ。
 厚洋さんが逝ってしまってから、2年9ヶ月の間、真愛を支えてくれていた愛猫の命日である。
 前日から、どうやって過ごそうか考えた。
 虫刺されも酷く何処にも出られないことはとても良いことで、外は梅雨入り前の雨が降り始めている。
 母や厚洋さんの命日のように、チャーちゃんが好きだったものを作ってお供えして、一人でチャーちゃんの思い出に浸ろうと考えた。

お供え

 チャーちゃんの大好きだった海苔・鰹節で「おにぎらず」を作り、昨夜、厚洋さんの妹さんから届いたアスパラガスを茹でた。
 これでは、真愛の朝食になってしまうので、「三つ星グルメ」を添えた。
 不届なのかもしれないが、カリカリを外してお仏壇に供えた。 
 般若心経をあげ、厚洋さん・母の戒名を唱えてから、
「あら?チャーちゃんの戒名がないわ!」
と戸惑った結果、
「南無茶愛茶阿吽。
 南無茶愛茶阿吽。
 南無茶愛茶阿吽。」
と、まだ悟りがひらけていない真愛がつけた。
 人が亡くなるとなんらかの弔いをする。
 愛猫が亡くなっても弔いをした。
 一代目は、5月の連休中に逝った。20歳近くになって、老衰だった。母の後を追うように逝った。
 二代目は、厚洋さんに多大な怪我を負わせた後、行方知れずになった。
 三代目は、厚洋さんに溺愛され、8月の初旬に逝った。たった4歳。交通事故だった。
 泣いたことがない厚洋さんが、ポロポロ涙をこぼしながら、
「変だなぁ。親が死んでも泣かなかったのに、
 涙が出る。
 俺は、生まれ変わるんだったら、猫になりたい
 死んだら泣いてもらえる猫になりたい。」
と言った。
 2人がペットロスにならないためにすぐ飼い始めた4代目チャーちゃんは、去年逝った。
 厚洋さんが逝った後、真愛が後追いをするのを止めてくれて、「頑張って生きる」ことを教えてくれた。
 まるで、厚洋さんが憑依ったようなチャーちゃんだった。

励ましてくれたチャーちゃん

 真愛の白内障の手術の前に逝ってしまった。
 だから、この眼はチャーちゃんにもらったものだと思っている。暗闇での動体視力が良くなったかもしれない。


ー 南無茶愛茶阿吽 ー
 良い戒名だと思う。
 四代目だけでなく、全てのニャンコにつけてあげられなかった戒名である。
 ちょっと見 「無茶苦茶阿吽」に見える。
 猫に小判🐱?猫に戒名🐈‍⬛である。
 意味のないことで、巫山戯た遊びに感じるかもしれないが、ニャンコ好きにはごく自然な感情なのだ。
 いや、犬好きでも、鳥好きでも同じだ。
 家族のように思い、大事に育てて、愛しいものならば、その死は居た堪れないことなのだ。
 ペットの葬儀をしたり、お墓を作ったりするのは、ごく当然な感情なのである。
 チャーちゃんが逝った後、もう二度と生き物は飼わないと決めた。
 独りぼっちは、無性に寂しい。
 しかし、その寂しさを埋めるために生き物を飼ったら、真愛に何かがあった時に責任が取れない。その生き物にも申し訳ない。

新聞記事

 折下、6月1日から「改正動物愛護管理法」が施行される。
 ペットの犬や猫にマイクロチップ装着を義務付けるのだ。愛しいチャーちゃんが生きていれば、ちゃんとつけただろう。ニャンコには痛いかもしれないが、何処かに逃げてしまったままのチャーちゃんにならなくて済む。
 4代目チャーちゃんは、一歩も外に出さなかった。雌だったのに女の幸せは味わせなかった。
 この義務付けも「無責任な遺棄」「悲しい殺処分」を減らすことを目的とする。
 我が子のように可愛がっている方からすれば、
「痛い思いをさせて…。」
と思うかもしれないが、儲けることしか考えていないブリーダーやペットショップ業者への「命への責任」を義務付けたのだと思う。
「命」を看とるまで責任を持つことなのだ。
 真愛は、亀にも蛇にもワニにもチップは必要だと思う。
《可愛いから買ったけど、世話がしきれなく
 なったから逃した。》
では、「命をなんだと思っているのか?」と言ってやりたい。

チャーちゃんに会いにきたニャンコ

 四日前のことだ。
(去年具合が悪くなり始めた日と同じ頃)
 台所の外で「ニャオーン!ニャオニャオーン」
とニャンコの鳴き声が聞こえた。
 チャーちゃんのところに遊びに来ていたニャンコだ。それも、厚洋さんが助けた野良猫の子どもである。
「もう、チャーちゃん、いないよ。」
と、言いながら一周忌用に買って置いたカリカリをパックに乗せて、外に置いてやったが、食べないで帰っていった。
 既に何処かで飼われている猫なのだろう。毛の色艶もいい。綺麗なニャンコだった。
 このニャンコは、チップ装着は努力義務である。長生きしてくれるといいと思った。
 チャーちゃんの一周忌のお参りだったのかな?

ご運筆を

 いや、あの声は、チャーちゃんだったのかもしれない。
「お母ん。元気で頑張ってる?
 お父んと一緒に見てるからね!
 書くこと・描くこと。
 そして、泣いちゃダメだよ!」
って言っていたのかもしれない。
 既に遅いな。
 ここまで書いて、もうボロボロ。
 厚洋さんに…。
 チャーちゃんに会いたい!

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります