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この道は

 篠部への道
 それは思い出の道である。
 愛しい人が逝って1652日。
 時の流れは無情なもので、形ある物を崩して行く。
 彼が履いていた靴を庭に出る時などに履き、共に過ごしている気分になっていた。
 先日の大雨の日に、その靴でゴミ捨てに行ったらびしょ濡れになった。
 ひっくり返して靴の裏を見て驚いた。
 彼の履き癖なのだろう、親指の付け根あたりに穴が空いていた。真愛が買ってあげた「軽い靴」を好んで履いてくれたのだ。
 駄目になった靴を見て、初めて知ったのだ。
 生きている時には知り得なかった彼の言葉
「ありがとう!
 軽くて履きやすいよ。」
 大好きな厚洋さんが履いてくれた「軽い靴」は、ついに捨てることになった。
 同じ頃買った自分の草履も底が剥がれて来ていたので、一緒に紙に包んで捨てた。
 彼が着ていたパジャマに包まれてこの冬を終えたが、襟元や脇の起毛が抜け始め捨てることにした。やっぱり真愛のパジャマを抱きつかせて袋に入れてから捨てた。
 愛しい人を思い出せる物が少なくなっていく。
 そんな時、篠部への道を走っていて思い出した。
 道もさまざまに変化していくが、変化がゆっくりとしている場所「田舎」なら、思い出はずっと蘇るのかもしれない。

 厚洋さんが逝った後の半年間は、どこの道を走っても思い出と彼の声が蘇って来て、涙が溢れて運転できなくなった。
 この道は、彼が学校に通った道。
 この道は、彼と一緒に歩いた道。
 この道は、彼と喧嘩をして一人で歩いた道。
 この道は、
   彼と息子と3人でピクニックに来た道。
 この道は…。
  今思えば、良くもまあ、あんなに泣けたものだと感心するほど、毎日、彼を思って運転していた。

 🎶この道は いつか来た道
    あゝ そうだよ。
   お母様と馬車で行ったよ🎶

 真愛の好きな北原白秋の歌だ。
 道を行く時のその人の思い出は、人それぞれであり、その想いの深さはそれぞれに違う。
 幸せを噛み締めた道だったり、
 悲しみを堪えて進んだ道だったり
 人生そのものが道とも言える。

篠部の家

 篠部とは、我が町の隣にはある富津市の地名である。
 この道は、厚洋さんの真愛への「愛してる」を感じさせてくれた最高の思い出の道なのだ。 
 彼が具合が悪くなり始め外に出なくなった頃に、真愛は、熱中症に罹り救急車で運ばれた。
 食べ過ぎでよく吐く真愛だったが、その夜の嘔吐と下痢は尋常ではなく、
「救急車を呼ぶか?」の厚洋さん声に応える力もなくなっていた。
 救急車に乗せられて行く真愛の手を握り、
「俺も乗って行く!」
と救急隊の方に申し出てくれてのだ。
 普通、救急車の後を運転してついてくるらしいのだが、彼は一緒に乗ってくれて、ずっと手を握ってくれた。
「大丈夫か?
 苦しいのか?」
って言いながら、手をさすってくれた。
 猛烈な吐き気と頭痛と動悸と闘いながら、
(ここで死んでもいいかもしれない。
 この人を置いては死ねない。)と彷徨った。

 幸運にも大佐和病院で点滴をしてもらうと、容態は良くなり、入院施設はないが夜間なのでそのまま診察室で翌朝まで2本の点滴をすることになった。
 彼は、安心して
「一旦、家に帰るね。
 明日の朝、迎えに来るから…。」
とタクシーで帰った。
(まあ、そのタクシー代が高かったことと
 言ったら想像以上だったらしい。
 元気になってから、結構言われた。)

 さて、翌朝。
 回復した真愛は、自分で会計を済まして彼を待ったが、診察時間が来て患者さんが増え始めても厚洋さんは現れなかった。
 携帯にかけたが、「電波が届かない…。」と返ってくる。
 きっと運転している最中だろう。
 6月の朝はまだ涼しいので、ゆっくりと大通りにでも歩いて出てみようかと歩き出した。 
 彼から電話が
「道に迷った。
 どこを走ってるか分からん。」
「分かりやすい。
 大通りに出るから
 待ってて。」
 その道が「篠部への道」だったのだ。

 真っ暗な夜道を後部座席に座って帰った彼は、道が分からなくなっていたのだ。
 彼の車はカーナビなんて付いていない。オートマ車が嫌いでマニュアル車のテリオスkidsである。
 真愛も一度も来たことのない道だった。
(本当は、二人とも子育て中に毎週のように
 来ていた道だってのに…。)

この道を通って来ていた海岸

 携帯片手に
「何が見える?」
「変圧器の鉄塔が見える。
 周りは笹っ葉しか見えない。」
「そんなの何処にでもある。
 店はないのか?」
「ガソリンスタンドがあるけど
 人が居ない。
 あなたは何処にいるの?」
「分からん。
 踏切を渡った。
 内房線だろうなぁ。」
 そうだろうとも、その踏切が久留里線だったり、外房線だったら「異次元空間」を彷徨っていると思った。
 彼も「篠部への道」を走っていたのだ。
 ただ、お互い「道」という空間の中で、見えない相手を探し続けていた。
「分かった!
 病院の近くのガソリンスタンドだな?
 そこで動かずに待ってろ!」
 迷子になって探してもらう時には、「動かない」が一番である。
 お互いが探し合うと何かに阻まれて見えないところですれ違う。
 人生も同じだ。
 サバンナのような見通しの良いところならば、見つけることもできるだろうが、平原でも向日葵畑やトウモロコシ畑みたいに視界を遮るものがあれば、そこに来てくれている幸せを見逃してしまう。
 ましてや大都会のビルの谷間では、沢山の人が沢山の幸せを見逃してしまっているのかもしれない。
 厚洋さんの車を見つけた真愛がどんなに嬉しかったか。笹の垣根の影に立っている真愛を見つけた厚洋さんが手を打ってくれた。
 ちゃんとお礼も言ったし、迷惑をかけた謝罪もした。
 具合の悪い厚洋さんが、徹夜同然の状態で運転してくれているのだ。
 ただ、病み上がりの真愛はその嬉しさを幸せを上手に彼に伝えられなかった。
 我が家に近づきほっとして眠りかけた真愛を車に残して、ドラックストアに行った厚洋さんの手には、OS1が一本握られていた。
「ほら!
 飲めるのならすぐ飲め!
 脱水症状になっちまうからな!」
 歩くのも辛い日もあった頃だ。真愛の為に一本の水分補給のペットボトルを買いに行ってくれたのだ。
 嬉しかった。
 厚洋さんに「俺の嫁さんになるか?」とプロポーズしてもらった時と同じぐらい嬉しかった。 
 簡単に迎えに来てもらえなかったからこそ感じた「最高の喜び・幸せ感」だったのだ。

この車で迎えに来てくれた

 今は、もう厚洋さんの車も
真愛の【maa love Atsuhiro】って書いた車も廃車になってしまったが、この車で走った沢山の道の思い出を今、また噛み締めている。

 今年の同人誌には「道」という詩を投稿した。主宰の先生に
「道というテーマは、沢山の詩人が詩っている
 が、今回の書きっぷりは良かった。」
と言ってくださった。
 その時は、滅多に褒めない先生が褒めてくださったので、ただ嬉しかった記憶しかなかったが、このnote「道」を書きながら、少しだけ「道」というテーマの凄さが分かった。
 その人の「道」とはなんなのだろうか。
 思い出の「道」は、何を伝えようと思い出させるのか。
 真愛にとっての「篠部への道」は、厚洋さんに愛されていた「幸せの時間」に戻るための道である。
 そして、毎年、3月のこの日に友の誕生日にこの道を通る事ができることも「幸せの時間」なのである。
 友が元気でいること、真愛自身が自分で車を運転してこられるということ。
 友達を祝える余裕があり、平和であること。
 厚洋さんの身に付けていた服や靴は、少しずつ失って行くけれど、厚洋さんとの思い出は真愛が生き続ける限り、絶対に消えないということ。
(認知症にならないようにnoteを
      毎日公開しなくっちゃ!)

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります