面白い見方
どんな弓矢の名手でも的を外す事はある。
だが、誰もが百発百中で的の中心を得る方法があるという。
考えられなかった。
まずどこでもいいから壁に向かってやを放つ
当然、矢は壁に刺さる。
刺さった場所の周りに円形の的を描く!
と、あら不思議!
真ん中に矢は立っているそうだ。
矢が先にあって、後から的を持ってくるんだから、確実に当たっているはずだ。
ビジネスの世界で適材適所を考える際に使われる例えだという。
矢は人で、的は仕事。
仕事内容に人を当て込もうとするより、その人の強みや意欲に仕事を合わせた方がうまくいく。
「矢の周りに的を描け」と言うそうなのだ。
面白い。
的を射るのではなくて、矢の周りに的を描く
そのためには、一人ひとりをよく知ることが鍵となる。
第一歩は話をよく聞くこと。
どうすれば相手が安心して思いを口にできるかは、親しみある言葉を語り、共に喜びを思って接し、しかめ面をしない。
顔色は晴れ晴れと自分の方から先に話しかけるすると、誰もが自分のことを知ってほしいと話すようになるのだそうだ。
そりゃそうだ。
親しみがあって嬉しそうに接してくれて、嫌な顔をしないでニコニコとして、自分の方から先に話しかけた人。
そんな人にはついつい言わなくても良いことまで言ってしまう。
そうしているうちに、その人の周りにどんな的を持ってきたらいいかわかるようになるのだと言う。
人の幸せと成長を願う誠実な振る舞い、それはどんな雄弁よりも人々の心を得る力がある。
うまいもんだ。
しかし、物の見方と言うのはドッキリするくらい考えていなかったことが多い。
長く生きてきたから生活の中や物の見方に馴れ合いがあるのかもしれない。
一寸先は闇なのに一寸先もわかったように振る舞っている。
1ヵ月先は全くわからないのに、1ヵ月先の予約を取る。
どっかかっこいいセリフがあった。
「明日の事はわからないさ。
昨日の事は忘れた。」
ハンフリーボガートのセリフだった気がする。
カッコつけて厚洋さんが使った。
今の時点だけなのである。
今を生きるとはかっこいい。
生き方は自分で持ってくる的である。
面白い。
もっと極論を言うならば、本物の的を射たかったら、的ギリギリのところに行って、矢を放てばいい。
少しずつできるようになったら、
1歩下がり
2歩下がり
3歩下がりと距離を長くしたら…。
悩み始めた所が自分の勉強しどころなのだろう。
そして遠くからならば、どんな名手でも、弓を引く力と矢の力がなければ的には届かない。
面白い。
こんな面白いことを見聞きできることも幸せなのかもしれない。
ただこれからビジネスの世界で活躍しようと考えているわけではないのでこの面白い考え方をどうやって面白い文章に組み込むか変わった悩みを持っている。
ものの見方の面白さを見つけた喜びって、厚洋さんに話したい事なのだ。
変わった奴に、「変わった考え」を見つけたぞと威張れるのが嬉しいんだろうなあ。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります