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子育てパニック 聞く想像

 YouTube・TV・Video日常の中で動画に溢れている。
 そんな中で、絵本の魅力なんて語っても
「良いことは分かるが
 高いし、
 読んでしまったら溜まるし、
 読み聞かせなんて、疲れているのに
 毎日同じ本を読ませられて…。もうダメ!
 絵本なんて要らない。」
と言われそうだが、敢えて書かせてもらう。

 昔語りをしてもらいたいのだ。
 真愛も息子には、沢山の読み聞かせをした。
 仕事を途中で切り上げて、寝かせながら読み聞かせをしていて自分が寝てしまうという、まるでサザエさんみたいな毎日を送っていた。
 しかし、昔語りをたくさんしてあげなかった気がする。
 息子を溺愛していた二人は、当時のお給料には見合わない価格の「世界の絵本」なんて購入したり、本屋さんに行っては新作絵本を購入した。
 真愛の持っていた「日本の民話」という全集は、専ら学級担任としての読み聞かせ資料になった。

 そう言えば、40年前の小学四年生に昔話をしっかり語れるか(あらすじを言えるか)アンケートをとった事を思い出す。
 8割の子が、二つが三つの話しか知らなかった。ウル覚えだが…。
・桃太郎
・浦島太郎
・かぐや姫
・花咲か爺さん
ぐらいだった気がする。
「舌切りススメ」「一寸法師」「鉢担ぎ姫」
「カチカチ山」「ネズミの嫁入り」「因幡の白兎」「鶴の恩返し」「八岐大蛇」「猿蟹合戦」「天女の羽衣」なんてのは、真愛が母から聞かされたお話だ。
 今でも、一緒に歌ってもらった歌詞も思い出せる。
🎵裏の畑でポチがなく〜🎶は、花咲か爺さんの歌い出しである。

 我が息子が育った時代は、テレビの「日本昔ばなし」が大流行りで、真愛も厚洋さんも一緒になって毎週見ていた。
 日曜日の朝の番組だった気がする。
 だから、昔話を読み聞かせることがなかったのだ。
 さて、今の子供達は、「日本の昔話」を幾つ語れるのだろうか。
 世界の昔話をいくつ知っているのだろうか。
 ほとんどの子が、Disney映画で、シンデレラ姫や白雪姫・人魚姫なんていうアンデルセンやグリムを知っているのだろう。
 Disney映画を見た方が、美しく豊かにより具体的に、そのお話の世界を楽しむことができる。我が孫も小さい時から「氷の女王」のような「アナと雪の女王」を好んで視聴していた。
 動画は見ているだけで、ちゃんとした映像を理解することができる。
 昔話は、もともと「口伝」「伝承」であるから、聞くだけでは想像する画像は様々だったのだ。
 母の語る「因幡の白兎」に出てくる大国主命は、とても良い男で、真愛の父のような感じで語られた。今思うと凄い刷り込みだと思う。
 悲しいことに、今の子供達の「人魚姫」はみんなアリエルの顔をしているのだ。(良いことなのかな?)

 聞かせる→想像する
 動画や画像が溢れている現代社会では、その想像の広がりは少ない。
 自分の持っている経験値内で想像する力も乏しくなって来ているのかなと思う。

 本来「読み聞かせ」に間違いはない。もともとが口伝で伝わったのだから、途中で話が変わってしまっても良いのだ。

パパ大好き

 真愛は、厚洋さんの昔話が好きだった。
 むかしむかしある所に、浦島太郎という男がいました。
 ある日、浦で子ども達が亀をいじめているのを見つけると
「可哀想だから逃しておやり。」
と、幾らかの銭を子どもらに渡して、亀を逃してやりました。
 翌日、浦に行きますと、亀がおりまして
「昨日は危ないところをお助けいただき
 ありがとうございました。
 つきましては、我が主人がお礼申し上げたい
 と申しております。
 主人の元にお連れしますので
 我が背にお乗りください。」
というので、太郎さんは亀の背に乗っていきました。
 翌朝、浦では、太郎さんの溺死体が発見されました。チャンチャン!
 こんな話をたくさんしてくれました。
 もちろん、翌日の朝の会での真愛先生の話はこれであった。
 原文を知らなくては楽しめない話である。

 まず、まず、「想像力をフル回転させて楽しめる」童話を読み聞かせてあげたいと思った。
 現代の動画視聴もとても魅力的であり、おばあさんになっても引き込まれるようにできている。
 それに対して「絵本」は、キャラクターが動くことが無く、ほんのちょっとの挿絵「絵」が説明程度についているのだ。
 大野寿子氏「東洋大学文学部教授」は言う。
この“止まっている”ということに、むしろ
 魅力があるのです。
 この視覚的に
 静止しているもの(見ているもの)と、
 進行していくストーリー(聞いているもの) 
 との間に「差」があることで、
 人間はその隙間を補おうと想像力を
 フル回転させるからです。

 例えば、「十二支のはじまり」のような動物が競争するシーンでは、静止画の絵本であっても、読み聞かせの「ヘビはニョロニョロ」「ウサギはピョンピョン」と聞くと彼らが動き始めるのだという。
夢中になって想像する、その瞬間に人間は
 楽しさと気持ち良さを感じるのではない
 でしょうか。
 この夏、沢山の「お話」を通して、親子で
 想像力をフル回転させる楽しさを体験して
 もらえたら嬉しく思います。

と語っていた。 
「絵本」と「昔話」と「読み聞かせ」の楽しみ方を再発見した。
 真愛ばあちゃんとしては、まだ捨てていない「日本の民話」を【捨てない】ことにした。
 孫達がちょっと大きくなって夏休みに一人で泊まりに来た時に、息子に読み聞かせられなかった分の楽しみ方を味わいたいと思ったからだ。
 漸く本題の「昔語り」をしてほしいことである。
 真愛の母は、昔話も昔語りもよくしてくれた。
 昔語りとは、自分の過ごして来た人生を語るのだ。大正5年生まれの母は、「関東大震災の話」「戦争の話」「女学校の話」「落ちぶれていく我が家の話」「道ならぬ父との恋の話」「複雑な家族関係の話」「深川芸者の実祖母の話」「大奥勤めをした義理の祖母の話」「ご先祖様のルーツ」「戦死をした恋人の話」「真愛や兄を産んだ時の話」「法華経寺の話」「市川の手古奈霊堂の話」…。
 幼い真愛によくもまあ沢山話してくれていた。
  その話は、幼い真愛に素晴らしい想像力と妄想力をつけてくれた。
 絵もない聞くだけの話だ。
 自分の持つ経験値の中で、描く背景や人物像なのである。
 更に、その話には母の思いが脚色されているので、知らず知らずのうちに母の望み通りに人生を刷り込まれる。
「あなたのおばあちゃんも、私も、ちゃんと
 結婚していないのね。
 あなたは、3代目。同じ道を踏みやすいのよ
 一度あることは2度あり、2度あることは
 3度あるってね。
 あなたはちゃんとした結婚をして欲しいわ」
 だから、厚洋さんと「駆け落ち」なんて考えていた時の激怒「勘当です!」は、よく分かった。
 そして、ちゃんと入籍・結婚式を挙げた真愛を本当に嬉しそうに見ていた。
 更に、その旦那様が優しく、真愛の母まで一緒に住めるように家を建ててくれ、自室を貰い、孫の面倒を見ていた時が一番幸せだったと母の手記に書いてあった。
 色々書く真愛を見て、息子は
「お母ん、昔のばあちゃんやじいちゃんの話を 
 ちゃんと書いておいてくれよ。
 俺のルーツって、お母んしかもう語れないん
 だよ。」
という。
 息子には、昔語りをしなかった。
 教師の仕事を優先して、彼にゆっくり昔語りをしてあげる事がなかったのだ。

青い目のお人形と母
母と兄
パパと拓
厚洋さんのお母さんと弟妹

 セピア色になった写真一枚を見ながら、人生の昔語りをしてこなかった事を後悔している。
 その生き方を想像できる「語り」を
 聞く力をつける「語り」や昔話を沢山して欲しいものである。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります