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死ぬまでに思い出し切れない。

大和ハウスの宣伝で、気の弱い旦那様が、元気で明るい奥様に電話をする。
「早く帰って来てください。
 なんだか、誰かいるような気がするのです。」
「それ、誰でもそうだから。」
「いつ帰って来ますか?明日?」
「無理だよ。メキシコだし…。」


 このフレーズは、厚洋さんが一人で北海道一周をした時の真愛によく似てる。
 彼と付き合い始めて、結婚して45年間。彼と一週間以上、離れていたことは無かった。
 職員旅行・出張旅行は、あっても3泊4日で帰って来ていた。私が出かけた時もそうだった。
 それが、子どもも巣立ち、母も逝き二人きりになった夏休み。
「新しい車を買ったので、この車で北海道一周をして来たい。」
と言われた。


 真愛も、自由が欲しかったので「OK」を出した。
 愛車ジムニーに寝袋やちょっとした調理器具も積んで出かけた。(帰って来た時に洗濯物を干しながら走っていた写真も見たが、アルバムには貼ってなかった。)
 当時は、携帯がそんなに発達していない。電話をしたくても「圏外」になる事が多かった。
「お互いに自由を楽しもう。」
なんて言ってしまったので、3日目に電話するのも悔しかった。我慢をしたが、4日目になって、何度も電話をした。
「今、どこにいるの?元気。
 早く帰って来て、一人は怖い。
 厚洋さんがいないと寂しい。」
真愛が根を上げた。
「サロマ湖・俺らの本籍地にいるよ。
 明日は、網走でマツケンにあって、
 炉端焼きだよ。
 お土産何がいい?」
「お土産なんかいらない。
 早く帰って来て。」
「無理だよ。北海道だよ。車だし…。
泣いてる?」
「泣いてる。一人は無理。」

 そんな真愛が一人で797日も過ごして来た。
毎日、毎日
「厚洋さんに会いたい。」
と思う。
 絶対に会えないとわかっても、声に出して言ってしまう。
「褒めて。真愛は、一人で生きています。
 ちゃんと、今、生かされている意味も
 考えられるようになりました。」
「でも、会いたい、」
と。
 

 小さな針で引っ掛けた思い出は、スルスルとそして、鮮明に思い出す。
 43年間も(知り合ってから45年間も)
一緒にいたのだ。
 

 毎日、一つ思い出しても43年間かかる思い出なのだ。真愛が死ぬまでに思い出し切れないままの思い出もあるのだろう。
 逝ってしまった人は、思い出さないだろうが、生きているものは、生きる分だけ思い出す。長く生きる分だけ、沢山愛されていたと感じるんだろう。
 それは、切ないが幸せな事なのだと思う。
 山茶花の花弁が散ったところに「石蕗」が咲いていた。
 厚洋さんが「強い花だな。」って言った花だ。同じ場所に代替わりをしながら33年も咲き続けている。(去年の台風の後、全滅しそうだったが…。)

 ツワブキの花言葉は「謙譲」・「謙遜」・「愛よ甦れ」・「困難に負けない」だそうだ。

 困難に負けないというのは、日陰でも葉を茂らせられるほどの丈夫さがあるので、そう言われるのだろう。
「愛よ甦れ」という花言葉は、日当たりが悪くても黄色の花が際立って咲いており、美しさを変えないところから由来しているとされているそうだ。

 まさに、「愛は、甦る!」である。
 思い出は、愛を甦らせる、永遠に…。

 

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります