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思い出の花 未来の花

 決まって咲く。植物の体内時計がなせる技と分かっていても心震える。
「ああ。今年も咲いてくれたね。」     昨年の台風で、杉が根こそぎ倒れ無残な姿になったが、その側に曼珠沙華が一本だけ真っ赤な血の色で咲いていた。
「あの日も、この花の香りに包まれて…。」 厚洋さんのお通夜の前日。金木犀が咲き、その香りに包まれて泣いた事を思い出す。   厚洋さんのコーナーを作らなくてはと思って寝ずに金木犀の花を描き「愛しい人」の思い出をしっかりコーナーにすることができた。「また、金木犀の香りに包まれて…。」

北原白秋の「この道」と言う歌に

この道は いつか来た道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる

あの丘は いつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ

この道は いつか来た道
ああ そうだよ
お母さまと馬車で行ったよ

あの雲も いつか見た雲
ああ そうだよ
山査子(さんざし)の枝も垂れてる

と、アカシヤの花が咲いていた事を思い出している。山楂の枝も垂れていたのだ。
(少々、指摘をさせて頂くなら、あの雲もいつか見た雲。と言うのはおかしい。雲という自然現象は全く同じでは無いからだ。しかし、雲の種類が同じだったのだろう。確か、積雲ではないかと聞いたことがある。)
 ここでのアカシヤは、(ニセアカシアの白い花)だ。
 「この道」は、少年時代の思い出だ。
 この道を辿りながら、「ああ、そうだよ。お母様と馬車で行ったなあ。」あの風景も全て思い出となってしまった。しかし、思い出を辿ることの切なさと温かい幸せを感じる。
 思い出と季節を結びつける物の一つに「花が」がある。
 思い出だけでは無い「未来」も花と結びつけられる。
 真愛が6年生を担任していた時、校庭の隅に桜を植えた。
「二十歳になったら、この桜の下で会えたらいいね。それまで、みんな頑張ろう。」
 残念ながら、成人式の前の週だったので、桜は花芽すら気づかないほど小さかったが、その8年間の頑張りは語り合えた。
 今になっては、過去のこと。
「畑になる土地を買いたい。家の隣の土地を買って花や野菜を育てたい。」と厚洋さんに相談した。
「歳をとってから、大変だぞ!自分でできるのか?でも、やりたいことなんだろう?頑張れ!」
困った顔をした後、許してくれた。暫くの間、元気だった厚洋さんが手伝ってくれた。「紫陽花を挿木で増やして、紫陽花の家にするの。」「蛍袋の花を群生させたいなぁ。」「カタクリの花もサギソウも固まって咲いたらいいなぁ。」
 未来を語り合うことが楽しかった。そのために沢山の努力もした。

厚洋さんと一緒に病院に行った時に咲き始めたホタルブクロの群生。          彼が部屋から眺めた紫陽花の庭。
 その庭の写真を彼が亡くなってから「園芸大賞」に応募した。「愛しい人の愛した庭」として。(銀賞を頂いた)
 未来に咲く花を思って語る幸せも味わった。                    これからも、来年の春のために花や木の手入れをするだろう。しかし、なんの手入れもされなくても、その季節になると必ず咲いてくれる花たち。その季節になると見せてくれる可愛い姿。
 そんな自然に「畏敬の念」と「感謝の想い」でいっぱいになる。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります