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七草粥 

 「食べ納め」の話題になったコイトコーヒーさんに「お食べ初め(おたべぞめ)?」に出かけた。
 東京の感染者数1591人。
 緊急事態宣言が出るらしい。
 大好きなモカコーヒーを飲んで、大好きなハコさんの笑顔を見て、ご飯少なめのカレードリアを食べた。
 やっぱり、人に作ってもらって食べるのはいい。片付けをしないのも嬉しい。

 なんと、食べながらnoteを書いていて
「写真撮るの忘れた!」
って急いで写したけど、
「失礼!サラダは食べ終わっていました。」
 
 ここに来る直前、糖尿病の定期検診を受け、お薬の処方箋を頂いた。
 血液検査の結果、血糖値もコレステロール値も正常値内で問題がなかった。しかし、2ヶ月前には、良くなっていた「クレアチニン値・尿酸値」がちょっとだけオーバーだった。
「お酒も飲んでないし、まだ正常値に近いので
 問題はない。もし、浮腫が出たら早めの血液
 検査をしよう。」
 真愛の父親も兄も痛風を患った事があるので、遺伝子の問題だと思う。
 真愛は、40代で心臓肥大・不整脈、期外収縮・痛風を患った。当時のお医者様は、
「男性的な病気になったね。
 素敵な女性なのにね。
 ご家族にこの病気の方はいませんか?」
と訳のわからない事を言った後、
「遺伝的な要素もありますね。」
と言われた。
 だからといって、気にしなくてもいい事ではない。厚洋さんも心配してくれて、
「俺がエビ食べてやる。(小樽の牡丹エビ)
 蟹味噌も毛蟹も俺?(釧路市場からの毛蟹)
 思いやりだよ❣️」
って笑って言われた。
「いいの。たまには!我慢してストレス溜めた 
 方が体に良くない。」
って、言い返してちょっとは食べた。
 厚洋さんの協力もあって、改善したのだが、
 尿酸値に↑が付くたびに、厚洋さんと海老と蟹を思い出す。
 そういえば、厚洋さんは、亡くなる9ヶ月前の血液検査で、全て正常値だった。
「ほら見ろ!俺の健康状態。
         健康優良爺だぞ。」
と、真愛に誇らしげに見せたのも思い出す。
 煙草も好きなだけ吸い。お酒も好きなだけ飲んでいたのに…。
 癌なんて、血液検査ではわからないものだ。
 血液検査の結果も大事だが、身体の変調に気づく事が最も大切なことだと思う。
 さまざまな事をやっても、寿命で
「亡くなる時期が来れば、人は死ぬのだ。」
 だからと言って、直ぐに「死ぬ」のはやっぱり嫌だ。
 もう少し生きてやりたいこともある。
 
「お食べ初め」のカレードリアを食べながら
「明日は、七草粥の日だ。」
と思い出した。
 厚洋さんは7日には「七草粥」を作ってくれた。そして、雑学博士としてのウンチクも一緒に頂いた。
 教員をやっている時は、その日の学級通信は、必ず「七草がゆ・七草の話し」を書いた。
 スーパーに行って、「七草粥セット」を購入して子供達に見せた。


 20年ぐらい前、5年生を担任していた時は、旧暦の「人日」に成願寺堤に出かけて七草を詰み七草粥を作って食べた。
 この年の子達には、全てのことを旧暦でも知らせていたからだ。その方がやる事に矛盾がないからだった。
 当然、今のように枯れ果てた堤ではなく、小さな春がたくさん芽吹いている時期だった。
 ところが七草の中の「ほとけのざ」という植物を七草の「ホトケノザ・コオニタビラコ」と間違えて食べてしまった。

↑これが七草の中のコオニタビラコ
(ホトケノザ)

↑これは、仏の座(ホトケノザ)七草とは別物
 たくさん食べれば食中毒を起こしてしまう代物だ。
 何事もなくみんな元気で生きているので話せることだが、「食す」事は生きる事でもあり、死ぬ事でもあるのだ。
 
 ここでいう七草とは、
「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」と1362年頃に書かれた『河海抄(かかいしょう)』(四辻善成による『源氏物語』の注釈書)に書かれている野菜と野草の事だ。
 いにしえ人は、年初に雪の間から芽を出した草を摘む「若菜摘み」という風習あった。
 これが七草の原点だと言う。
 また、中国の「歳時記」に「人日」(人を殺さない日)である1月7日に、「七種菜羹」という7種類の野菜を入れた羹(あつもの、とろみのある汁物、お粥)を食べて無病を祈る習慣が書かれている。
「四季物語」には
「七種のみくさ集むること人日
 菜羹を和すれば一歳の病患を逃るる
 と申ためし古き文に侍るとかや」
とある。
 したがって、七草粥の風習は、中国の「七種菜羹」が日本に伝わり、日本なりの方法で広がったものだろうという。
 だから、七草を切る時に
♫七草なずな、唐土の鳥が渡らぬうちに♪
 ストトン。ストトン。ストトン トン!
と叩きながら切るそうだ。
(音楽の教科書に書いてあった。)
唐土とは、中国のことだ。
 こんな事を厚洋さんと毎年話しながら

 七草粥を食べたのだ。
 母は、七草粥にお餅を入れていた。
 
 百人一首の中にある
「君がため春の野に出て若菜摘む
      我が衣手に雪は降りつつ」
の歌も七草のことなのかなって厚洋さんと話した事がある。
「七草は全て身体にいい食べ物なんだ。
 昔から、健康でいたい。長生きしたい。
 っていう思いは同じなんだね。
 君が為なんだよな。
 男って、何時も自分より「あなた」なんだよ 
 な。」
「いや、「仁和の帝、皇子におはしましける
 時、人に若菜たまひける御歌」と書いてある
 ので、
 光孝天皇がまだ若い頃だから、時の帝のため
 です。
 まっ、大切な人の長寿を願って春の野草を贈
 ったのは違いないけど。」
「いや、女の人にだな。」
「そうかあ。
 真愛は厚洋さんのためにスーパーで七草を買
 ってきて、
 厚洋さんは真愛のために七草粥を作ってくれ 
 てる。
 お互い元気が一番ね。」
 
 真愛の方がロマンチストだと思っていたけど、こうやって色々思い出すと厚洋さんの方がよっぽどロマンチストだったのだ。
 あの時に、
「ありがとう。私のために摘んでくれて。」
って、満面の笑顔で感謝すればよかったと思う。

 退職してからは、スーパーでは買わず、真愛が我が家の庭の若菜を摘んだ。厚洋さんの長寿を願って…。
 今年も我が家の庭に小さなハコベ・ナズナ…の若菜を摘む。
 食べてもらいたい厚洋さんはいないけど。
 

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります