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鬼を退治しないと春は来ないのか
今日は節分。
我が家の玄関には、炒り豆とお多福さんのお面と赤鬼のお面が飾ってある。
夕方には、柊の枝に鰯の頭を刺して門口に飾る。どんなに貧しくても、母が亡くなった翌年も、厚洋さんが亡くなった翌年にも、節分の行事は行った。
そして、毎年思ってきた。
「日本中の鬼は、
追い払われて行き場を失うんだな。」と。
厚洋さんと一緒になり、真愛の思いを話すと、
「そうだな。
日本中には色々あって、
鬼は外って言わないところもあるそうだぞ。
福は内しか言わないところとかね。
じゃ、家は鬼も内って言おうか。
既に角隠しをして嫁に来た
おっかねぇーお多福がいるからな。」
と言われて、豆を沢山ぶつけてやったのを覚えている。
その後も、この時期になると、
「鬼ってさぁ。自分の嫌な心じやないの?」
「なんで、鬼は悪いって決め付けるの?」
なんて話を厚洋さんと繰り返した。
差別を嫌い、あるがままを認め,自由と平等を愛した厚洋さんは、必ず真愛を納得させる良い考えを教えてくれた。
「自分の中の鬼を退治しなくてもいいんだ。
その鬼の反面を努力して伸ばそうとするから、
鬼のおかげで福が来るんだよ。」
鬼が悪いって決め付けるのはおかしいよな。
【おにたのぼうし】の小鬼が言うんだ。
鬼だって、鬼だって色々いるんだ。
人間だってっな。
でもなあ。文部省はその文を削除して、教科書
に載せたんだ。子どもには真実を話さなきゃ。
人間だって色々いる。あるがままを認められな
いのは『自分が正しいと思ってる奴ら』さ。」
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真愛は6年生担任でも、必ず「おにたのぼうし」を読み聞かせた。
その後、鬼は外と言い厄祓いをしたい気持ちと、鬼を退治しなくても心には春が必ず来る事を話した。
子どもたちは、必ず
「先生、泣いた赤鬼だってそうだよ。
青鬼もいい奴で、赤鬼もその気持ちがわかって
泣けるんだからいい奴だよね。」
と言ってくれた。
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子どもたちには一般的なことも知らせた。
節分とは、邪気を払い、無病息災を願う行事であり、昔から、日本人は、言霊の存在を信じ、言葉と霊力に意味を与え、それを生活のなかに取り入れてきた。
豆を撒くようになったのは、室町時代とされているが、豆=魔目(鬼の目)を滅ぼすとか「魔を滅する」=「魔滅 まめ」ということに由来されているらしい。
豆は五穀(米、麦、ヒエ、アワ、豆)の象徴で農耕民族である日本人は、これらに神が宿ると信じてきたので、神様が魔(厄)を払ってくれると信じていたようだ。
節分に使う豆は、前日に炒って枡に入れ神棚にあげて、お祓いを行う。豆が神様だからだ。
炒り豆にするのは、後から芽が出てこないようにするため。
もしも、芽が出てしまったら「凶事が起こる」と、恐れたという。「魔の芽」が生えたからだ。
(ウーン。命の芽生えとは捉えなかったのね。)
(鬼の目を)射る=炒るという言霊を信じたんだね。
厚洋さんの実家(北海道)では、落花生を撒くそうだ。どうしてか?と聞いたところ、
「外にまいたら探せないだろ?
食べる時に汚くなる。だから、殻付き落花生。
母さんが落花生を好きだったからかな?」
だから、後で拾って食べられるように、学校では落花生を撒いた。
朝の会が始まる前に
「起立」「礼」「あはようございます。」
と、顔を上げた子どもたちには向かって、
「鬼は外」と投げるのだ。
最初は呆気に取られている子どもたちも
「落花生だ。」と拾う子ども。
沢山拾ってポケットに入れる奴と
拾ったものを「鬼は外」と真愛に向かって投げつける奴に分かれる。
教室騒然の「節分」行事である。
隣のクラスまで
「ガラッ」と開けて
「鬼は外」と攻めていったこともある。
いい時代だった。
今はこんな事したら、即「問題教師」になる。
いったい鬼は何処にいるのだろう。
節分当日、鬼は深夜(丑寅の刻)にやって来るそうだ。だから豆まきは夜に行うのがベスト。
午後8時~10時くらいの間が最適だとか。
福豆を入れた枡は左手に、胸のあたりで持って、下手投げのように右手でまくのが正式。
まず、玄関、窓、戸口などを開け放ち、奥の部屋から順番に、外に鬼を追い出すように
「鬼は外!」と声をかけながら豆をまく。
まき終わったら、鬼を締め出し、福を逃さないようにするために、すぐに戸締りするのだと言う。
次は「福は内!」と部屋の中に向かって、豆をまく。玄関は最後に。
(戸締まりしちゃったら、
外からの服は来ないのに?)
豆まきが終わったら、1年の厄除けを願い、自分の年齢よりも1個多く豆を食べる。
この豆は「年取り豆」。
豆が苦手な人や、数が多くなってしまう人は、代わりに「福茶」を飲むといい。
「福茶」とは、福豆を吉数の3粒入れ、さらに縁起を担ぎの昆布や塩昆布、梅干しなどを入れたお茶のこと。
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最近では、「豆撒き」より、「恵方巻きを食べる」人の方が多いようだ。
発祥は大阪で、コンビニで販売した事で全国版になったと聞く。
このコロナ禍で、声を出すより「静かに黙って」食べた方が良くなったようだ。
「コロナ禍」と言う厄・鬼が儲けさせてくれた人もいる。
節分に恵方を向き、願い事をしながら太巻きを黙々と最後まで食べると願いが叶う。
太巻きの具は、七福神にあやかり、また福を巻き込むという意味も込め、七つの具を入れるのがよいとされている。
太巻きは、鬼が忘れていった金棒という見立てもあるようで、食べる=鬼退治という意味合いもあるようだ。
ちなみに2022年の恵方は「北北西」。
我が家の近くに七福神を祀ったお寺がある。
今日はそこにお参りするのもいいだろう。
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真愛が小さい頃は、母が鬼のお面とお多福さんのお面を作って真愛には「お多福さん」を被せてくれた。
何故なのか母に尋ねたこともなく。
厚洋さんには
「おかめもおたふくも同じだろう。
昔の美人の顔立ちがおかめだから、
綺麗に育てと思ったんじゃないの。
でも、現代では醜女の部類だね。
女の美しさの基準でさぁ。
容姿が綺麗な順に、佳人、麗人、美人、上、
並、下、醜女(ぶす)、人三化七、化け十人でなし
って言うんだ。
下ぐらいがおかめだから、ブスより上だよ。
いいじゃないか。ブスじゃないんだぞ❣️」
と言って、またまた真愛を怒らせる。
今回調べたら、醜女(しこめ)の後、違面(いづら)、面誤(つらご)と続くらしい。
人権問題である。何が「差別を無くす」ダヨ!
って言ってやれば良かった。
更に、女性の容姿のことではなく。
おかめさん→幸せの象徴
おたふくさん→幸せのシンボル
で、二人は別人だが「女性の幸せ」を願っての事だったのだ。
その他にも夫婦円満・子孫繁栄・商売繫盛
という意味があると言う。
おかめさんは鎌倉時代。
鎌倉時代初期に、「長井飛騨守高次という名大工がいたそうで、その奥さんがおかめさん。
高次が大きな仕事、およそ800年前に創建された京都最古の木造建築である国宝「千本釈迦堂」の建設をすることになったのだが、緊張のあまり
変えのきかない支柱の4本のうちの1本を短く切ってしまったのだ。
高次が三日三晩悩んでいると、その様子を見かねたおかめさんが
「旦那様私に妙案がございます。
短く切った柱に合わせ、他の3本も短く切っては
いかがでしょうか?」
と言い。
妻の案を聞いて高次は「なるほど、その手があったか!」と喜び、そうして無事に堂を建てることができたと言う話。
ところが、「阿亀(おかめ)さん」。
本堂が完成すると自害してしまう。
鎌倉時代は「女性が男性の仕事に口を出す」
のは言語道断。
しかも一世一代の大仕事に妻が助言したことを他人に知られたら「夫の恥」と考えたおかめは、全てを秘密にしようと自らの命を絶ってしまったと言うのだ。
つまり「おかめは夫の名誉を命をかけて守った究極の内助の功」「嫁の鏡」だったのだ。
男尊女卑の時代だったのだ。
某国営放送の「大河ドラマ」とは大違いだ。
そして高次はおかめに似せたお面を作って千本釈迦堂の本堂に飾り、おかめの冥福を祈った伝わっている。
そしておかめは究極の内助の功として世間に知れ渡り、高次とおかめは理想の夫婦像である「夫婦円満の守り神」として広まり、やがて「幸福の象徴」になった。
現在千本釈迦堂の境内にはおかめを祀った「おかめ塚」があるそうだ。
一方、お多福のモデルは江戸時代に京都にいたお福という女性。
彼女はとても貧しい家に生まれ育ったが、ある日京都の街を歩いていたお福は、偶然すれ違った男性に声を掛けられ、実はその男性は福助人形で有名な「叶福助(かのうふくすけ)」だったという。
叶福助は江戸時代に呉服屋を営んでいた主人で、一代で巨万の財をなした京都の大金持ち。
福助は
「あなたに一目ぼれしました、
私と結婚してください。」
とお福に伝えると、お福は
「はい。お引き受けいたします。」
とその場で返事をしたそうだ。
そしてお福は大金持ちの福助と結婚し、貧しい生活から一転、生涯幸せに暮らしたという。
京都のシンデレラストーリーの主人公だったのだ。
「福」さんが沢山の幸せを得た。ので、
「お多福」なのだ。
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つまりお福は究極の玉の輿に乗った女性。
真愛の実祖母は、深川芸者の「福」さん。
実祖父は芳太郎という江戸の呉服問屋の主人。
なんだか、母が「お多福さん」のお面を作った気持ちがこの歳になってわかった気がする。
貧しい中でも一生懸命に育ててくれた亡き母に
「母さん。ありがとう。
鬼退治しなくても、醜女でも、
厚洋さんと一緒になって、
ちゃんと「お多福さん」になったわよ。」
と言いたい。
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と分かっても、今年もやるんだろうなあ。
「鬼は外。」
(やっぱりオミクロンに罹らないのは
神頼みしかないかな?)
「福は内。福は内。福は内。」
(宝くじ当たるように。
懸賞に当たるように。
お金が降ってきますように❣️)
真愛にとっては、節分は本当に大晦日なのだ。
煩悩を打ち破らないと並には成らなそうだ。
鬼を退治しなくても春は来る。
己の煩悩と向き合うことを自覚すれば、
柔らかい春の光がさすのだろう。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります