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紅葉狩り

 暫く真冬のような寒さだったのが、今日は青空が広がった。
「そうだ!紅葉狩りに行こう。」
お友達を誘って、お弁当を持って出かけた。
 毎週末は、紅葉狩りの人達で賑わう山奥に出かけた。
 我が市の七里川という山奥だ。

 全国でも紅葉が最後になるところなので、金曜日でも結構な人が出ていた。
 
 七里川温泉は、かつて、勤務していたK小学校の頃、よく使わせて頂いたところだった。
 運動会が終わった後の「一風呂浴びて」飲み会へ行く時の「汗流し湯」だった。露天風呂もありとてもいい温泉だ。
 大雪が降って、家に帰れなかった時にも泊まらせてもらった囲炉裏の宿だった。
 ちょっと古いので、一人で泊まるのは少々怖いのだが、夕食の「炉端焼き」は、豪華で、伊勢海老・サザエ・鮎・イカ・山菜料理・煮物・炊き込みご飯・お吸い物・・・まだ有ったけど思い出せない。
 大きな伊勢海老一尾丸ごとが凄かったので、その思い出が強い。
 また雪を露天風呂に入れながら、満点の星を見たことも強い印象として残っている。
 そんな温泉宿に立ち寄った。
 女将に会いたかったが、残念ながらであった。しかし、ちょっと上がらせて頂き「ドクダミ茶」を頂きながら炭火で暖まった。
 同時、一年生だったMちゃんが「若女将」になるという。時は、確実に流れている。
 お友達に我儘を言って「お弁当」を作ってもらった。彼女の煮物は絶品だ。山口県の出身という事で、関西では「おばんざい」というらしい。おばんざいが美味しい。
 我儘者の真愛は、「おにぎりは小さいのがいいな。ダイエットしてるので…。」
 真愛は、我が家の三つ葉を入れたお豆腐とワカメのお味噌汁を持っていった。
 やや風が冷たかったが、日の当たる公園でメタセコイアの林を見ながら頂いた。

 真愛は、紅葉より団子で有る。
 お友達は、
「いいわ。こんな風景初めて見た。
 素敵なところね。」
と喜んでくれた。


「このメタセコイアが新芽をふく時がもっと
 素敵なの。薄い黄緑色のベールを被ったよう
 になるの。本の2、3日なのだけど最高よ」
 4年間、毎日、往復50kmもの通勤をしただけ有る。素敵な事を紹介できた。
 我が街は、1970年(昭和45年)9月28日 - 上総町、君津町、小糸町、小櫃村、清和村が合併し、君津町が発足し、翌71年、9月に市になった。
 やや縦長の地域なので、お友達の住んでる市街地からはなかなかの小旅行になったようだ。

 人の笑顔は嬉しい。
 この公園は春になると桜も美しい。
「ねぇ。春になったら、
 また、お弁当を作ってここで
         お花見したいな。」
 なんと我儘な真愛なんだろうと思う。
 しかし、爛漫の桜の下で、今度は真愛の作った「お花見弁当」を広げることができたら、「もっと楽しい。」「楽しい事はちゃんと予定を入れておかなければならない。」
 このコロナ禍の中で、予定はとても大切だ。
「じゃぁ。そこまで元気でいないとね。」
 素敵な友達だ。

 駐車しておいたハスラーの上に、メタセコイアの葉っぱが降り注いでいた。
 中学校の合唱曲に「夢の世界を」という楽曲がある。

「夢の世界を」

芙龍明子作詞・橋本祥路作曲

ほほえみ交わして 語り合い
落葉を踏んで 歩いたね
並木のイチョウを 鮮やかに
いつかも夕日が 写し出したね
さあ 出かけよう
思い出のあふれる 道を駆け抜け
さあ 語り合おう
すばらしい僕らの 夢の世界を

小鳥のさえずり 聞きながら
はるかな夕日を 眺めたね
小川の流れも 澄みわたり
いつかも僕らを 写し出したね
さあ 出かけよう
思い出のあふれる 道を駆け抜け
さあ 語り合おう
すばらしい僕らの 夢の世界を

 紅葉の落ち葉の時期になると必ず思い出し、鼻歌を歌う。
 
 真愛の学級通信「すずかけ」は、プラタナス木だ。花言葉は、その実のつき方から「天から鈴がふたつ引っかかったように見えるので「鈴懸」=「天恵 天からの恵み」
 子どもたちは、全て真愛ヘの天からの恵みなのだ。その思いで38年間書き続けた。
 厚洋さんに歌ってもらった歌だった。

作詞:佐伯孝夫、
作曲:灰田有紀彦

友と語らん
鈴懸(すずかけ)の径(みち)
通いなれたる
学校(まなびや)の街
やさしの小鈴
葉かげに鳴れば
夢はかえるよ
鈴懸の径
 
 S小学校とY小学校には、真愛が切り込みを入れた「鈴懸の木」がある。
 もうすでに、文字の形は判別できないほど大きく育っている。
 思い出も切れ切れになっているのだろうなあ。

 それにしても、コロナ禍の中で安全を保ちながら楽しい紅葉狩りができた。

 厚洋さんに教えてもらった梅ヶ瀬渓谷に行けなかったことがちょっと残念だった。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります