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立春のイベント

 門口には、まだ節分の名残が残っている立春の朝だ。
 昨夜撒いた炒り豆が、玄関脇の梅の鉢の中に一粒入っていた。
 この頃に決まって口ずさむのが
🎶春は名のみの風の寒さや
    庭の鶯 歌は覚えど
 時にあらずと声も立てず
 時にあらずと声も立てず🎶
で有る。 
 車を運転するようになってから、40年以上ずっと、毎年、この歌を歌う。
 立春を過ぎても、春になっても「風が寒い!」
とは、見事な言い回しだと思う。
ー 早春譜 ー
     吉丸一昌(よしまる かずまさ)作詞、    
     中田章(なかた あきら)作曲
春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声もたてず
時にあらずと 声もたてず

氷融け去り 葦(あし)はつのぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けばせかるる 胸の思いを
いかにせよと この頃か
いかにせよと この

 なんとなんと、中田章さんは、中田喜直さんのお父さんなのだ。
 更に中田章さんは、あの日本画家奥村土牛の従姉をお嫁さんにしてる。ということは、中田喜直さんが大日本画家のDNAを受け継いでいたのだ。
 つい最近、合唱団の演奏会で聞いた「夏の思い出」や「小さい秋見つけた」のメロディが美しい色をしていたのは、そこら辺からくるのだろうと納得しながら、庭を見た。

奥の紫陽花の枝の下に いる!

 メジロの雛だろうか。
 ちっちゃい鳥が、畑の奥の紫陽花のもとで、何やら餌を啄んでいる。

紅梅の 未だ香らず ひとつぼみ

「梅に鶯。」と言うが、鶯と目白を間違えている人が多いらしい。

綺麗な鶯色

 我が家の周りには、♪ほーほーーガチョピン♪
と鳴く鶯君がいるが、彼が鳴くのはずっと後だ。
 鶯の初鳴きを「初音」という。
(三絃の曲の中にある。お師匠さんが弾いていて
 凄く艶っぽかった。素敵な曲だ。)
 立春を迎えると必ず思い出す。
 しかし、立夏を迎えても、立秋を迎えても、立冬を迎えても、「立春」のように、すぐ何かを口遊むことは少ない。
 夏は蛍が出る頃に🎶蛍の宿🎶を歌う。
 秋は、色付いた葉を見て♪小さい秋見つけた♫
と言っても、立秋の頃はまだ夏真っ盛り、残暑お見舞い申し上げます状態だ。秋は秋が深まってからでなくては感じられない。
 冬も立冬より、冬至に近づくと夜が長く、冬眠してるなぁと「冬」を感じる。
 しかし、「春」は違う。
 きっと待ち望んでいたからだろう。まだ寒くても、気持ち的には《春が来た❣️》と思う、いや、思いたいのだ。
 だから、♫春は名のみの…♪が立春の朝のイベントになり、「畑の草取りでもするか?」と外に出るので有る。

草取りがし易い年

 話は飛ぶが、立春イベントに「草取り」を加えることにした。
 上の写真を見て頂くとお分かりになると思われるが、草取鎌がスンナリ1センチぐらいの深さに入り込むのだ。
 今年は、とても寒い朝が続き、たくさん霜が降りた。当然、畑や庭の土の上には「霜柱」が立ち、昼間には溶ける。
 しかし、雨も降らず「異常乾燥注意報」が連日で出されるのだから、「霜柱」は「溶ける前に、溶けながら乾燥」するのだ。
 少しずつ、少しずつ、下の土が霜柱になって浮き上がり、乾燥して空気を含む。
 凄い!
 ロゼッタ状態になって春を待っていたハルジョオンやナズナ・オギョウ・ハコベ・ホトケノザ。
サクサクと刈り取れるのだ。
 七草粥の時には、スーパーで買ってきたのに、腐る程生えていた。
 確かに、百人一首には、
きみがため はるののにいでて わかなつむ    
      わがころもでに ゆきはふりつつ
っていう和歌がある。
 光孝帝の歌だそうだ。
 当時の春は、旧暦なのでちょうど立春後なのだろう。雪も降っていると言うから、やはり🎶春は名のみの 雪も降ってる♪♫である。
 ちなみに、光孝天皇(天長7年~仁和3年 / 830~887年)は、五十五歳のとき陽成天皇にかわり、第58代天皇として即位されましたが、わずか在位四年で崩御なされたそうだ。
 仁明天皇の第三皇子で、「仁和の帝」、「小松の帝」とも呼ばれ、幼き頃より学問好きで聡明であったと「大鏡」に記されているという。
 優れた文化人で、和歌や和琴などにもよく通じていた。
 そして、光孝天皇は、即位後も野草を摘みに出かけるように気さくな人で、この和歌はその時に詠まれた和歌だと伝えられている。
 あるいは、まだ皇子だった頃、人に若菜を贈る時に添えた歌だとも言われてる。その人は、先の帝だったともいう。
 帝を「きみ」なんて呼ぶところは、なんだかザワザワしてしまう。やっぱり、春のイベントに「若菜摘み」「七草をさしあげる」
 厚洋さんが真愛の為に若菜が摘めるように植えてくれたことも、真愛が厚洋さんに若菜を摘んであげたことも素敵なイベントだったのだ。
 2月に入って直ぐにたくさんのイベントがあった。
 気がつくと、もう母の命日も過ぎて、6日を迎えている。
「二月は逃げる!」
と、厚洋さんが言っていたように、何もしないうちに、三月を迎え、「三月は去る」と時を無駄にしてしまいそうだ。
 オミクロン株の拡大で、行動範囲が狭まった分、己の足元を見直して、自分だけの小さなイベントを大事に過ごしたいものだ。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります