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また、8月の6日が来る

大地と天が合流する
      一瞬の間に一人立つ
伸ばした手は天をつかみ
踏み締めた足は大地を掴む
    朝露は手をかくし
       足も見せない

手のない
足のない
私がいる

8月の6日
また あの日がやって来た
天地が一つになって
人を引きちぎった
  あの8月6日が
    また 来る

 2001年に出版した詩画集「夢幻」の中の 
朝顔の絵に添えた詩だ。
 子どもに「戦争の悲惨さ」「人間の愚かさ」を教えるためにどうしたら良いかを毎年悩んでいた。
 初任の年は、「平和友好祭」に参加して夜通し語り合った。県大会で「原爆写真集」を購入した。真愛の給料の手取り4分の1もした。
 だが、真愛の言葉では言い表せ歌ってない事実を見せることができた。
 2年目の夏には、「ダイイン」と言って、8月6日・9日。あの日のあの時間に地面に寝るのだ。あの日には戻れないが、少しでもその時の思いを疑似体験させたかった。
 そして、聞き覚えた反戦歌を歌って聞かせた。
  
    青い空は

【作詞】小森 香子
【作曲】大西 進

1.青い空は青いままで
  子どもらに伝えたい
  燃える八月の朝 
  影まで燃え尽きた
  父の母の 兄弟たちの
  命の重みを 肩に背負って 胸に抱いて

2.青い空は青いままで
  子どもらに伝えたい
  あの夜 星は黙って
  連れ去って行った
  父の母の 兄弟たちの
  命の重みを 今流す灯篭の 光に込めて

3.青い空は青いままで
  子どもらに伝えたい
  全ての国から
  戦(いくさ)の火を消して
  平和と愛と 友情の
  命の輝きを この堅い握手と 
  うたごえに込めて
 

あの橋の欄干に、銀行の階段に、
自分の影だけを残して
閃光の中に消えていった名前も分からない
           たくさんの人たち

あれから75年も経ってしまったのだ。
TVのニュースは、コロナ禍で「ヒロシマ」は、あまり取り上げられていない。

 あの日もトマトは、畑で赤く熟れた。 
 母は、仏壇に熟れたトマトを供えた。
 フィリピンで亡くなった夫と父母に
「今日もあの子をお守りください、」と
 息子は言った。
「旨そうだね。父さん好きだったね。
 母は笑いながら、言った。
「冷やしておくから、お昼に食べようね。」と

 戦いの中での
 生ないほどの小さな幸せだった。

 時は止まった。
 1945年8月6日午前8時17分
 少年はトマトを食べないまま逝った。
 母は、亡くなるまで
 8月6日になると
「朝のうちに
 トマトを食べさせてやればよかった。」
 と泣いた。

 人はなぜ忘れるのだろう。
 忘れることは幸せと言う
 改めて思う
 人が忘れるのは愚かな事だ。

 同じ過ちを繰り返すことは
        愚かな事だ。

 経済を動かすと称して、「自分の私利私欲のためにやる事」は、戦争を起すのと同じではないだろうか。
 コロナ禍で…と言うのではなく、よく考えたい。
 人間がどんなに悪なのかを
 己のしている事を
       私はここにいる
 私はここで生きている。
 だからこそ、
 今、何をすべきか。


ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります