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猫の絵

 猫の絵葉書を頂いた。バイオリンを弾いている子猫だ。髭・眉毛・体の毛も本物の様な上手さで写真かと思った。
 井の中の蛙で、世の中には凄い人が沢山いるのだ。「なぜ、真愛の絵が売れないのか。」
と、ぶつくさ言っていることが恥ずかしい。
 「猫の絵」は、昔から描かれていた。

 厚洋さんが買って来てくれた猫の絵葉書だ。
 一つ前の記事で「好きな人に好きな物を!」で書いたように、真愛が、
 「ニャンコ大好き❣️」
って、喜ぶものだから、事あるごとに、出かける度に、ニャンコグッズを買って来てくれた気もする。
 実際。「猫の絵」を見てるだけで、ニタニタしてくるから不思議だ。
 この猫にも、何ニヤついてるの?って言われそうだ。
 小林古径 「猫」

 良い猫だね。
 警戒している姿を描いているところが凄い。
「猫」=「可愛い」としないところが素晴らしい。
 ニャンコの反り返った耳も、隠してそうな爪が、木肌をしっかり捉えていそうな気がするのも素敵だ。
 菱田春草 「黒き猫」

 雌猫の気がする。
 しなやかな若い猫の脇あたりの筋肉が好きだ。毛繕いの時の体のしなりの美しさ。
 また、耳の反りと目が良い。
「六つ丸く 五七は卵 四つ八つ柿の実にて 九つは針」という歌も残されているほど、猫の目は、時刻を表す。
 九つだとすると夜中だが、それでは背景の籠の中の草は青々としている。
 朝四つ昼八つと日中と考えるのが妥当だろう。肉球は、まだ柔らかいのだろうか。
 竹内栖鳳 「小春」

 枇杷の葉陰にいるのか、そこが美しい緑だったのか。黒い猫が翡翠の中で可愛い。
 躑躅が絶妙に咲いている。
 この猫も若い気がする。まんまるな瞳は、六つ時だったのだね。何を見ているのだろう。
 速水御舟 「翠苔緑芝」

 柘榴は鼠に食べられてしまった。
 その鼠の様子を覗っている猫には、縮緬のちんころがけが結ばれて、きっと鈴もついているのだろう。
「ねぇ。にゃんこ!あんた動くと音がするよ」
と言ってるうちに、お尻のあたりがフリフリしてるのだろうなあ。
 柴田是真 「猫鼠を覗う図」

 都忘れの花ならば,春。
 野菊なら、秋。
 三毛猫だから、多分雌猫。
 雄だったら高いぞ。
 蝶を見る目が、ちょっと薄笑いしてそうな口の端が雄猫の気もする。
 獲物を見て、
「ニャッニャッ…。」って、聞こえてきそう。
 飛び上がるかな。
 司馬江漢 「猫と蝶図」

 蝶ではなく、菊の花が落ちてくる。
 この肩の筋肉はなんなんだ。
 尻尾が短いのが江戸の猫らしい。
「かぎしっぽ」の猫は、幸運をもたらすと言う。見た真愛にも幸運が訪れますように。
 川鍋暁斎 「猫と菊下絵」

 熊谷守一 「白猫」

 だらんと寝そべる猫を描いた《猫》などで知られる画家。
 超俗の画家というより、仙人画家だ。
 お顔が病床の厚洋さんに似ていて好きだ。97歳まで絵に向かい合ったと言う。
 描けそうで描けない。
 真っ白な毛で覆われている。描いていないのに見える猫の毛。不思議な絵だ。

 歌川国芳
 「いちやァつき」っていうのに、二人で笑ったのを思い出す。
「これってさあ。
 灰色の猫の顔見えないだろ?
 シャーって言ってんじゃないの?」
と厚洋さんの一言。
「いちゃついてるように見えたのよ。
 みんな、「かぎおっぽ」で幸運猫。
 灰色猫は、誘ってるのよ。」
と真愛。
 

 美術館から帰って来ると、楽しい評論会になった。
 そして、我が家のニャンコを抱きながら、
「画家はいるのに、描いてもらえないね。」
と言った。
 猫を描きたいと思った。
 そして、褒めて欲しいと思った。

 厚洋さんが亡くなって、「大丈夫!」って絵本を書いたときに、初めて描いた。
 厚洋さんが一番可愛がった茶トラの猫と石ころのお地蔵様の絵だった。
 noteの「今私にできる事」に、公開した。
 今のチャーちゃんの絵も描かないとなぁ。
 アメリカンショートヘアって、やっぱり油絵だよね。
 水彩・日本画の真愛は、勉強しないと描けないな。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります