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地域行事の消滅

 厚洋さんが飲み屋さんの隣に座っていた人から買って来たこの土地。
「真愛。
 俺さ、土地買ってきた。
 山ん中だぞ!」
「あらそう!
 安かったのね。」
 グデングデンに酔っ払って帰って来た厚洋さんが上機嫌で話してくれた。真愛は、お酒の勢いでなんかの約束をして来たのだろうと、気にも留めなかった。
 翌朝。
「俺の買った土地を見に行くぞ!」
と車に乗せられ、辿り着いたのがこの土地である。
 前夜降った強い雨のために、土手の土が流れ出ているのを見た厚洋さんは、
「俺の土が流れてしまう!」
と、泥だらけになりながら、流れた土を土手に返していた姿が可笑しくてたまらなかったのを覚えている。
 あれから40年近くだったのだ。
今、その土手には山茶花の花が咲き競っている。
 今夜は、自治会の役員会だった。
 厚洋さんが元気な頃は、全て彼がやってくれていた地区の仕事であるが、彼が逝ってからは真愛がやるしか無い。
 今夜の会議の議題は
「どんどん焼きについて」
・まずやるかやらないかを決める。
 この土地に家を建て引っ越して来た年から、
地区の青年会「若駒会」が結成され、厚洋さんも40歳であったが、「青年会」に所属した。
 そして、その「若駒会」を中心に《地域の伝統行事「どんど焼き」を復活させよう》という事になったのだ。
 人見知りの厚洋さんが、地域の人たちと一緒に活動をする姿を見て感心したものだ。
 厚洋さんが「若駒会」の会長をした時には、真愛も「どんど焼きの準備」のために年休をとって地域のために働いた。
 良い時代だったのだ。
 バブル期だったのかもしれない。

どんど焼き

 美しく荘厳な火の祭りは、若駒会のメンバーが守っていたのだが、炎も下火になるが人も歳をとる。
 どんど焼きの運営は「若駒会」から「自治会」に委ねられた。
 それでも、厚洋さんが元気だった頃は、必ずご祝儀をもってご挨拶に行ったものだ。
(なんたって、
 歴代会長に名を連ねているのだから…。)
 厚洋さんが逝って、コロナ禍が始まり、どんど焼きも暫く中止だった。

 今年度、真愛がこの地区の役員になった。
 9年に一度回って来る輪番制の「組長」である。
✳️ 今夜の議題は「どんど焼き」。
  まず、やるかorやらないか?
 ・コロナ禍も酷くなりそうなので
 ・2年もやって無いので
 ・社殿を作れる人がいるのか
 ・隣の地区は青年部が無くなったので
  どんど焼きもやれなくなった。
 ・うちの地区もそのうちそうなるので
  なんとかやっておきたい!
 結論としては、
「感染対策をしっかりとし、飲食をせず、
 餅まき・社殿の焚き上げをする」
ことになった。
 お正月明けに「草刈り」「竹切り」「竹運び」「社殿作り」のお手伝いが出来そうである。
 無口な厚洋さんが、地域の伝統行事の手伝いにいそいそと出かけていき、その様子を楽しそうに話してくれた事をちょっとだけ体験することができる。

鹿野山の梯子獅子舞

 厚洋さんが逝った翌年の4月に鹿野山の伝統行事「花嫁まつり・梯子獅子舞」が無くなった。
 素晴らしい伝統行事なのだが、それを継ぐ若者がいなくなっていることが原因だという。
 毎年、厚洋さんに連れて行ってもらった。
 二人が共通して勤務した秋元小学区のお祭りなので、教え子たちも出演したからだ。

梯子舞

 八重桜が咲き誇る「九十九谷展望台広場」で
青空に向かって伸びた梯子の上で、手を離して踊る獅子!
 山の物静かな子どもたちが、この日ばかりは大スター。笛や太鼓でお囃子方を披露する。
「さんちょこ節」って言っただろうか、竹筒を上手に操って歌いながらリズムを取る嫁さんたち。
 かつて昔は、その年の新婚さんが鹿野山に詣でるための道中をみんなで祝ったという。
 素晴らしい伝統芸能が消えた。
 我が地区の区長さんがぽつりと言った。
「ウチらんところも、
       いずれはねぇなくなるさ。」

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります