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素敵な歌壇 春 雨水

 気持ちの良い歌に出会うと、作者といっしょに嬉しくなる。以前にも「秋葉四郎氏の選」の歌が素敵なものが多いことを書いたが、今回も…
【過疎なりし 君と私の ふるさとを
      父とぞ思ひ母とぞ恋ふる】
        ー 愛知県 後藤さん ー
【コロナ禍は 少し緩みて しもつきの
      札幌の街人の出多し】
        ー北海道 大場さん ー
で、同じ歌壇で「道浦母都子氏選」の作品がとても素敵だった。
【天に言う頂きますと謹んで 
      ご馳走様とは良き妻に言う】
        ー 東京都 黒沢さん ー
 なんて良い旦那様なんだろう。
 それを笑いながら見ている奥様がとっても素敵に見えてきた。日常の中での細やかな感謝の言葉は、真愛のように愛しい人が亡くなってしまった後に「大きな愛」になって包んでくれる。
 何方が先に行くかわからないが、黒沢さんご夫妻のように日々を過ごしたいものだ。
 ちなみに、真愛は、厚洋さんに作ってもらっていたので、「食材になった命にも、厚洋さんにも頂きます。」「ご馳走様とは、明日もよろしくの願いを込めて…。」であった。
 1人になると、そういった大切な言葉を自分の耳に聞かせないといけないと痛感。
 黙って食べて、黙って終わっちゃいけないな。
【手を抜けば草原となる畑なり
       もうしばらくは婆が守らむ】
         ー 兵庫県 玉川さん ー
 分かるなあ。寒が明けて少しだけ温かい日もある。今のうちに草取りをして終えば後が楽なのは分かっているが、
「明日にしよう。」
と洗濯を干しながら思ってしまう。
 そして、翌日になると
「南岸低気圧が近づいています。
      雪が降るかも知れません。」
と天気予報のお兄さんが言う。
 南に位置する我が家でも、ちょっと山に登ればいまだに雪が積もっていて、春は名のみ🎶である。
 誰の歌は分からないが、メモ書きが残っていた。
【春いちばんといふ
 優しい名の冬吹き払ふ情熱のすごさよ】
 その通りだ。春一番なんて、本当に温かな感じがする。
 木枯らし一号は、名前だけで全てを枯れ尽くしてしまいそうだ。
 優しく可愛い感じだが、立春から春分の間に吹く強烈な風。突風である。
 この時期に漁をする漁師には突然吹きすさぶ嵐の為、遭難が起きやすく怖い風「春一」と読んだのだそうだ。
 いつから、真愛は「春一番」を可愛いと思ってしまったのだろう。
(キャンディズの影響かなぁ。)
 この時期の歌としては、その風の強さに驚かれぬるであり、冬を吹き払う《情熱》としたところが素晴らしいと思ってメモったのだと思う。
 そうそう、真愛の好きな歌で菅公の
【東風吹かば匂いおこせよ梅の花
     あるじなしとて春な忘れそ】
 春の風を東風と呼び、南風なのに東風と書くのは、五行説からで、春は東を表すからという。
 皇太子を古典では春宮、東宮と呼ぷのも若宮だからであろう。
《雨水》とは、
 2月19日頃。および啓蟄までの期間。
 太陽黄径330度。立春から数えて15日目ごろ。
 空から降るものが雪から雨に変わり、氷が溶けて水になる、という意味。
 草木が芽生える頃で、昔から、農耕の準備を始める目安とされてきた。春一番が吹くのもこの頃
 しかし、本格的な春の訪れにはまだ遠く、大雪が降ったりもする。三寒四温を繰り返しながら、春に向う時期だ。
 地方によっても違うが、この日に雛人形を飾ると良縁に恵まれるといわれている。

雨水・初候、土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)

村瀬広著「麗」より、短歌を紹介します。
「浅春(せんしゅん)」

【鵯の声凍てて鋭し朝ぼらけ
        庭の椿を吸ふに騒げる】
          ー 村瀬広 ー

【陽溜りに蹲りたる猫の脊の
      丸きに春や風添はせ吹く】
          ー 村瀬広 ー

 鳥の声は浅き春には鋭く聞こえるのだ。
 厚洋さんは鳥の声より、猪の子供の声の方に目覚めていたようだ。
【春浅し 赤子の如き 猪の声】
【猪に聞く 寒いね腹ペコ 起きようか】
 まだまだ寒いからこその「名ばかりの春】が歌を読ませるのだろう。

沈丁花

【沈丁の蕾固くて匂わざる
       雨水の朝に葉は雪をのせ】
【雪折れの水仙の香は鮮やかに
       友の棺に 雨水の雪降る】
【春の雪椿の首に二、三ミリ
       今朝逝きし友の空への道標】

 真愛の三首も投稿。
 春だろうが、夏だろうが、
 いつ逝っても、嫌なものだ。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります