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蕾は膨らみ芽は天を指す

 東日本大震災は、11年前の「桃始笑 ももはじめてさく」という七十二侯の頃に起きたのだ。
 花の固い蕾が少し開くことを「ほころぶ」というのも、緊張して強張っていた表情が笑顔になることも「ほころぶ」という。
 そんなところから、「笑」を「咲く」と読ませるようだ。
 悲しみのどん底に沈んだ心が、時の流れと人の温かさで、明るいキラキラ光る水面(みなも)に浮かび上がってくることを願いたい日でもある。
 愛猫はあの年に仙台で生まれたニャンコだった。
 元気だった厚洋さんは、チャーちゃんに向かって、
「お前のお母ちゃんは元気でいるかね。
 生まれるって、
 命のバトンタッチなんだよ。
 渡されたら、渡さなくちゃな。
 お嫁に行くか?」
と言ったものだ。
 だから、避妊しなかったチャーちゃんだが、お嫁に行かないまま、去年、真愛をおいて厚洋さんのところに逝ってしまった。

ほころびそうな蕾

 花がほころぶ頃に逝ってしまった愛しい人々を思い出すのはなんとも悲しい。
 真愛のお師匠さんの旦那様も春に逝かれた。
 逝ってしまった愛しい人を思い出すのは常であり、いつの季節でも、何処でも、切なく淋しく悲しい時間である。
 しかし、春はちょっと違う気もする。
 芽を出す瞬間や蕾が膨らみほころぶ瞬間は、泣きながらでも聞こえてくる
「う。うーうー生む。」
「有。有ー有ー生夢!」
【ポンッ!】
といって夢が生まれる音がする。

 悲しみだけに打ちひしがれていても、
(こんな小さい奴が、頑張って生きてるんだ。)と思えることもある。
 秋は違う。
 全てが枯れを迎え、死して逝く、そんな中で
(これから寒い冬に耐えなくてはならない。)
と思ってしまう。
 その冬を耐えてこその「爛漫の春」なのに…。

そこら中で

 木々の芽は一斉に天を刺し始めた。
 不思議だ。
 どんなに日陰の枯れたような枝にも、柔らかい淡い黄緑色の芽が青い天を刺している。
「生きてるぞ!」
って聞こえる。
 悲しい思い出が蘇る春なのに、
 悲しい狂った現実が起こっている春なのに、
 何処の国の何処の木にも春の芽吹きが始まる。

紫陽花の芽
三葉躑躅の芽

ー 芽 ー
               真愛
乾涸びたブロック塀の隙間から
雪に覆われた大地から
三百年も経った樹の枝先から
突き破って 食い千切って伸びる
 こんな苦しみ
 こんな悲しみ
「待ってろよ!」
何かが起ころうとしている
全てをひっくり返す気配がある
鬱々とした感情から
   未来が生まれる兆しが見える
「芽」
いい響きだ。

津波で

 津波で流された街にも
 今、木々の芽吹きが始まっている。

爆撃された街で

 爆撃されている街にも
 今、木々の芽吹きが始まっている。

牙のように芽を出す

 牙のように芽を出し、
 耳のように芽を出す。
 何を聞き、何に噛み付いたらいいのだろうか。
 差し出した手は、いつも空をつかむ。

芝桜

 淋しい庭を明るくするために、花を植えた。
 そこだけが、春になった。
 宇宙から見れば、地球なんか芝桜みたいなものだ。
 そんな小さな中で、一人の人間の考えでたくさんの人が殺されていく。
 何もできない自分がいつもいる。

ヒヤシンス

 世界中の人が憂えている中で、
「ウクライナへの支援寄付」詐欺が発生しているという。
 我が国でのことだ。
 人の国のことをとやかく言う自分の国の人が、「人の思いやり」を喰いモノにする。 
 ただひたすらに生きることで、人に「命の讃歌」を聞かせる芽や蕾のようになりたい。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります