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ガキが五月蝿い理由

 ガキが五月蝿い理由がわかった気がする。
いや、五月蝿いのではなく「嫌い」な子どもの条件だ。
 彼らの出す自由な声の高さと大きさである。
 いつもの喫茶店のいつもの場所にゆっくりと座ってチキンライスを食べ、胡麻プリンを食べレスカを飲んでいた。
 隙間でちょこちょこと書いていたnote blogでも公開しようかなと思った頃に親子連れで入って来たガキンチョたちが2組いる。
 真愛のすぐ後ろの席に着いたその親子。
 五月蝿い!男の子である。
 最近の子には稀な元気の良い餓鬼大将か、野球少年のような声である。
 話し言葉が人を罵るような言い方なので、嫌さ加減は増幅する。

 最近はニュースにならなくなったが、子ども達が公園で遊んでいて「五月蝿い」と爺さんが苦情を市役所に申し立て、公園が使用禁止になったという話。
 その爺さんと同じになったのかと思った。
 死に至る静かな一人暮らしのばあさんはそう感じるようになったのだろう。

 現代社会での三大騒音トラブルとは、
(A)アパート・マンションでの騒音(Apartment noise)
(B)犬の鳴き声騒音(Barking dog noise)(C)子どもの遊び声(Child playing noise)であるという。

 子どもの遊び声と犬の鳴き声、この両方ともに最近まで騒音に関する本格的な測定データーは皆無だったそうだ。
 その理由は、《犬が鳴くのは当たり前で仕方のないことだ》と思っていたこと、《子どもの遊び声については誰もが騒音とは思っていなかった》ので、騒音の測定をしなかった。
 そうだ。
 真愛は、赤ちゃんを連れたママが赤ちゃんがグズって
「すみません。うるさくて💦」
と言うと
「赤ちゃんは泣くのがお仕事。
 何か知らせたいのですよ❣️」
と優しく言えたのに…。

 橋本典久先生・騒音問題総合研究所代表、
         八戸工業大学名誉教授は
 保育園付近での騒音測定調査を実施したそうだ。
 その方の地元の保育園5つと併せて、10の保育園で園庭で遊ぶ子どもの声の騒音測定調査を実施したという。
 騒音レベルとは、その音を人間の耳で聞いた時の音の大きさ、すなわち聴感による補正の入ったものであり、聞く人の感覚が大きく作用する。それは数値では表しにくいという。
 そこで、音圧レベルで測定するのだ。
 音圧を対象として物理的に音の大きさを表したものである。

 園児たちが遊んでいる10分間の平均的な値を示し、園児たちの中心から距離10m地点での音である。
 園児50人が遊んでいた場合は約70dB。
 20人程度の場合には同じく65dBとなる。

 騒音レベル変動の上端値は等価騒音レベルに約5dBを加えた値になり、更に瞬間的な最大値は、等価騒音レベルに約16dBを足した値だった。
 園児50人が園庭で遊んでいる時、集団の中心から距離10mにおいて、等価騒音レベルで70dB上端値75dB。
 瞬間的には最大値で86dB程度の音が出る可能性があるという。
《睡眠に影響を与えない騒音は35~40db
 が目安》というので、夜勤の人が寝ていれば完全な騒音である。
 これは近隣住民が「うるさい」と感じても無理はない大きさといえる。

 因みに、プレス工場や木材加工工場などの特定工場からの騒音の規制値は、一般住居地域、昼間で最大60dBである。
 敷地境界でこれ以上の騒音が出ていた場合は、罰則の対象となるという。
 それと比べると園庭で遊ぶ子どもの声の方がもっと大きい。
 子どもの遊び声のもう一つの大きな特徴として、音の高さが高いということである。
 園庭で遊ぶ子どもの声の周波数が気になる。 
 子どもの声は1000ヘルツ〜2000ヘルツに明確なピークがあったそうだ。
 大人の声と比較すると、
 成人男性の会話の場合の音の高さは、
    125ヘルツ~250ヘルツ。
 成人女性でも250ヘルツ~500ヘルツ。 
 子どもの遊び声はかなり甲高く、成人男性の約8倍ぐらいの音の高さであるという特徴を持っていることが分かる。
 かなりの煩さである。
 しかし、真愛の席の後ろのガキンチョは2人である。
一般的に(大人だと思う。)
ささやき声 約40dB
普通の声 約60dB
大きい声 約80dB
叫び声   約90dB
 2人であっても、大きい声を出していれば煩い。
 初任で小学校4年生を担任したときは、その煩さに
「静かに!」
の真愛の怒鳴り声が入って隣の教室に聞こえたのだから100dBぐらいで迷惑をかけていたのだろう。
 自分の声が涸れてしまい竹刀で教壇を叩いて沈めた指導力のない教師だった。
「五月蝿いガキ相手に、
 更に大声をあげていても静かにならん。
 静かになるまで、黙って待つんだ。
 面白い授業をやれば、
 子どもは集中して静かに学習する。」
と厚洋さんに嗜められたのは、教員3年目だった。
 その後も煩ければ、自分の指導を棚に上げて
1m尺で教壇を叩く事もあった。そんなクラスの子達は決まって、「授業参観」「研究授業」の発表会では声が小さくなる。
 給食時間は喧嘩腰のような120dBぐらいの五月蝿い中で、口に食べ物が入ったままそれを飛ばしながら、残り物を奪い合う。
 今考えただけで、下等動物を育ててしまっていたのだ。
(全て教師の力量不足であるが、その子ども達
 は、今、立派な社会人として活躍している。
 彼ら自身の成長する力のお陰だ。)

 中堅どころになった真愛は、声のボリューム表を作った。
無言   0dB<
ささやき声 約40dB<
普通の声 約60dB<
発表の声 約70dB<
大声   約80dB<
叫び声  約90dB<
「<」を使って図に表したのがうまく行った。
 その頃になると、何処に見学に入れて行っても褒められた。
 聞くときは静かに集中し周りがどんなに煩くても話を聞き取った。
 また、質問をする時は、相手にしっかりと伝わるような声の大きさとその場の雰囲気にも合わせた声の出し方が出来ていたのだ。
 どの教え子達も素晴らしい能力を持っていたのに指導者の力量不足で褒められることが少なかった子ども達には申し訳ないと思う。

でっかいチキンがドーン!

 喫茶店で出会した煩いガキンチョ2人。
(そうか、楽しく話したいのに…。
  彼らは、声のボリュームの調整の仕方が 
 分からないのだ。
 穏やかな言葉を使う能力が無いのだ。
 だから、少年野球の試合中のような声で。)
 なんだか、可哀想な気がした。

 彼らが帰る時に
「おい!
 何か言っていかないのか?」
とマスターに叱られて、
「ご馳走様でした!」
「ご馳走様でした。
 美味しかったです。」
と、とってつけたように怒鳴った。 
 外に出ると
「美味しかったです。
     もう来ません!」
と言いながら笑う声が聞こえた。
 今時の叱られておちゃらけるタイプの子どもだったのだ。
 騒音と感じるか、元気の良い声・しっかり者の声と感じるかは真愛の感じ方である。

 次に家族と帰って行った小学生の男の子は、
「ご馳走様でした。」
とピョコンと頭を下げた。
 マスターは、
「おっ!ありがとう!
 今度は1人で来いよ❣️」
と笑った。
 男の子は、
「はーい。」
と言いながら手を振った。
 騒音なのか、快音なのか、それは声を操る者の心なのだと思った。






ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります