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チャーちゃん

厚洋さんが可愛がったチャーちゃん。
我が家のにゃんこ歴と厚洋さんの思い出・真愛の惚気を読みます?か?
我が家のにゃんこ歴は、真愛の母(芳枝さん)の頃から語る事になるのかな?
芳枝さんは「ニャアニャおばちゃま」と呼ばれる程の猫好き。お金持ちの時は結構飼っていたようですが、没落してからは一匹。
私達を育てる時は居所遠転々としたので、飼えなかったと寂しそうに言っていたことがありました。
真愛が小学校に上がった頃、母1人で生活保護を頂かず(女の意地・生活保護を頂くのは恥ずかしい事と思っていたようです。)生きて行くために地域の畜産事務所の住込用務員をしました。母は、子育てのために「子どもが帰ってきた時におかえりなさいが言える事が大切」と考えていましたから、それしか選択肢はなかったのです。
畜産事務所ですから、牛さん豚さんの獣医さんがいらっしゃるのです。動物好きな兄や真愛は野良猫野良犬を拾って来ては、可愛がっていました。兄が拾ってきた犬は「クロ」4つ目の賢い犬でしたが、農薬散布後のザリガニを食べたらしく苦しんで死にました。
猫は何時も真愛が拾って来て、子猫なので「チビ」という名前で大きくなっていました。
小学校4年の時、市役所の用務員になりました。当然、真愛達も用務員室で生活しました。
学校ではずっと「貧乏人・天然痘」といじめられました。
ここでの生活は教員になった1年目まで続きました。市役所ですから、ペットなんて飼えないのですが、その頃の市長さんに可愛がってもらったので、多めに見てくれたのでしょう。
中学校の校外学習で上野動物園に行った帰り「キジ猫の赤ちゃん猫」を拾いました。バスに猫を乗せることを嫌がっていた運転手さんでしたが、
「この子は、車酔いが酷くて今回の遠足は、良いことがなかった。きっと帰りも吐きまくって辛いと思う。猫を抱かせてやって欲しい。」
と、引率の先生が言ってくれたのです。
「お土産!」って差し出した真愛の掌の中には、「チビ」がいました。
チビは、真愛の成人式の着物姿と一緒に写っています。その後、チビは交通事故でなくなりました。
真愛は、就職後、母と同居する予定で教職員住宅に転居したので猫は拾ってこられませんでした。
しかし、母との同居をする前に厚洋さんと結婚してしまった為、母は保育所の用務員になりました。何方もペットは、飼えませんでした。

厚洋さんは、小さい頃から動物好き。家族が皆んな動物好きな中で育ちました。
北海道犬の血統書がついた「ユリヒメ号」ユリと言うワンコがいたそうです。母親に叱られるとユリの犬小屋に入って泣きながら寝たそうです。だから、猫より犬派だったのです。
親元を離れこの街の教員になり、暫くは学校の宿直室で生活していましたから、ペットは、飼えませんでしたが、生き物が好きだったのですね。
北海道では見られない珍しい昆虫がいたので飼っていたら「ゴキブリ」だったとか、四年生の子どもと一緒に育てたお蚕様が可愛い繭を作ったので、北海道の母に贈ろうと思って押し入れに入れていたら、「カイコガの成虫」が大繁殖とか、なかなかやらかしていました。
教職員住宅が建てられ新築で入居したにもかかわらず、厚洋さんは一部屋を「セキセイインコ」に与え、放し飼いにしていました。
真愛が失恋して厚洋さんの部屋に泣きに行けたのは、同じ教職員住宅だったと言うこともありますね。毎日のように通った厚洋さんの部屋にはインコちゃんがいました。
結婚してインコちゃんも厚洋さんも真愛の部屋に移動しました。真愛の部屋の方が綺麗だったからです。
番いのインコちゃん達は、狭い籠に入れられて弱ってしまいました。真愛が鳥が苦手でちゃんとお世話できなかった事もあるかもしれません。
子どもができなかったので、小動物を飼いたいと思っていると「生き物を飼うと愛情がそちらに行くので子どもができない。」と母に止められました。しかし、我慢ができない2人は「ハムスター」を飼いました。
まあ、ハムスターの増えたこと増えたこと!
鼠算です。こどもがまた、可愛い💕。
そんな新婚時代でしたが、母の予想を反して子どもができました。厚洋さんは我が子にためにハムスターを近くの芦原に大量の餌と一緒に置いて来ました。(ハムスターの異常繁殖のニュースは、報道されなかったので細々と今でも生きているのかな。野鼠と新しい命を産んじゃったかな。)
息子を育てる為に母には、一軒家を借り教職員住宅と行ったり来たりの生活だったのでペットは、10年の間いませんでした。

さて、教職員住宅と母の借家の家賃を払うのなら家を建て一緒に住んだ方が家も持てるし、子どもの送り迎えも要らないし、生活が楽になるかもと言うことで、今のこの家を建てました。
すると、2人のいや、母も含めて3人の動物好きが動き始めました。
更に、家主となった厚洋さんは新築の家が壊されると知っても連れてきたのです。
「山の一軒家では物騒だ。犬をもらって来た。」とセントバーナード犬。可愛い仔犬の時はあっという間。立ち上がると真愛よりも大きいワンコでお散歩中の母を引きずってしまったり、夜の遠吠えが煩いとご近所さんに苦情を言われたり大変でした。
「昼間の母さんが寂しいだろうから」と厚洋さんの教え子さんからチンチラゴールデンのニャンコを連れて来ました。母も真愛も息子も大喜び。賢い猫でお行儀も良かったです。
「学校で飼ってたウサギが増えた。」とウサギちゃんもやってきました。
でも、世話をするのは、母でした。考えたら厚洋さんは、真愛と同じくらい子どもだったのです。ウサギちゃんは、小屋を作っても穴を掘られて逃げられ、ワンコにも何度も逃げられ、飼いきれず引き取ってもらいました。
ニャンコの名前は「チャーチャ」チンチラゴールデンなので毛足が長く綺麗な茶色でした。
ずっと母と寄り添うように生きて16年。母を看取ったのはチャーちゃんでした。母の葬儀の後3日間祭壇の前から動かず「猫は、歳をとると人になる」と言う母の言葉が聞こえてきそうなほど切ない姿でした。チャーちゃんは、母を追うように翌年死にました。看取ったのは真愛です。もらってから17年、20歳でした。

その後は、真愛が小学校から拾って来たニャンコ。子どもが拾って来た猫を引き受けて帰って来る真愛を厚洋さんは叱りませんでした。
「ね。いいでしょ?世話するから!」2人きりになって寂しいと思ってか許してくれました。
名前は「チャーチャ」です。
厚洋さんは自分のアドレスにchachaと入れるほど猫好きになってくれていたのです。
このニャンコは、学校の近くにいたと言うのですが、とても綺麗なチャコールグレーの猫でした。後で知ったのですが、近くに「ロシアンブルーのブリーダーさんがいたとか?」ひょっとしたら血統書付きだったかも!
厚洋さんが去勢するのは可愛そう「男だ玉がなくちゃな。」と言うことで去勢せず外にも行かせたので良く喧嘩して帰ってきました。
ある晩、チャーちゃんが外で大喧嘩をしているのを見た厚洋さんが親心で助っ人に入ったのです。それが命取りでした。
喧嘩している猫を抱こうなんて絶対してはいけません。抱き寄せられたチャーちゃんは、厚洋さんの左腕の上で暴れ回り、厚洋さんは血だらけになってチャーちゃんを抱えて帰ってくると気絶しました。真愛は、厚洋さんが死ぬかと思いました。応急手当てをして救急病院へ40針も縫いました。幸いな事に血管を切っていなかったので1ヶ月近く通院して復活しました。
そのチャーちゃんは、その後寒盛りの頃、帰って来なくなりました。
この猫が居なくなって、一年後
教え子の家でニャンコが生まれたので貰ってくれないかと頼まれました。厚洋さんが早期退職後だったので、世話をしてもらえると思い聞くと、「良いよ。」とのこと。
「茶トラ」の生後一週間の子猫を育てる事になりました。名前は、「チャーチャ」。
小さな注射器でミルクを作って、3時間おきに飲ませて、排尿を促し、保温して育てたのは、厚洋さんでした。育て方が良いのか、雑種だから賢いのか、チャーちゃんは、自慢の賢い猫になりました。今度はちゃんと去勢もしました。外にも出さず可愛がりました。
どんなドアでもね開けてしまうニャンコでした。おトイレの失敗も一回もありませんでした。小さな子が可愛いとぐちゃぐちゃに抱いても爪を出しませんでした。厚洋さんと一緒に寝て一緒に新聞を読んで、それはそれは仲が良かったニャンコでした。しかし、去勢していても、外に出たいと言い出すようになり、厚洋さんがお母さんの介護に北海道に帰った頃からガラス戸を開けて外に出て、そこから帰ってくるようになったのです。お母さんのお葬儀に出かけた時は、チャーちゃんは、ホテルではなく少し開いた戸からの出入りで過ごしたのです。
ところが、厚洋さんのお母さんの一周忌から帰って来た翌日。真愛と飲み屋さんに行って帰って来ると、「チャーが交通事故に遭っていました。」
まだ、温かいチャーちゃんを抱きしめて厚洋さんは泣きました。
「俺は、親が死んでも泣かなかったのに、猫が死んで涙が出て止まらない。」と。
我が家の蜜柑の木の下に埋葬しました。厚洋さんはずっと泣いていました。
翌日だったかな?その日だったかな。
「俺は、生まれ変わるなら猫になりたい。自由に生きて、死んだら泣いてもらえる。チャーみたいな猫になりたい。」と厚洋さんは言いました。
一週間もしないうちに心配になりました。
厚洋さんがペットロスになったのです。真愛は、彼の症状が悪くなる前になんとかしなくてはと思いました。
そんな時です。
近くのホームセンターのペット売り場で展示会があると広告が入ってきました。真愛は、厚洋さんに黙って行ってみました。
可愛いニャンコがいましたが、雌です。我が家の犬猫は、全て雄でした。可愛いけど飼えないなあと悩んでいると後ろから
「そいつが良いの?」
と厚洋さんが立っていました。真愛がそのニャンコを抱こうとするとニャンコは厚洋さんの所にぴょんとしがみつきました。
決定です。アメリカンショートヘアのチャーちゃんです。
生後2ヶ月になっていたチャーちゃんは、おトイレのしつけが出来ていなくて大変。チャーが失敗すると「おい。お前の猫だろ。」真愛を叱ります。でも、毎日一緒にいるので、ブラッシングをしたり、じゃらしたりしてくれました。一緒に昼寝も晩酌の時に厚洋さんの膝を独占していたのもちゃーちゃんでした。
同時に外の野良猫に餌を与える厚洋さんに
「外の女に優しいんだから。やあね。チャーちゃん。」と嫌味を言い、厚洋さんに笑われました。
チャーちゃんと真愛を置いて厚洋さんは逝きました。今は、1人と1匹で生きています。
粗相をしても「お前の猫だろ?」ってふざける人もいないし、「重いな」って言いながら膝をかしてくれる人がいない。
2人とも切ないです。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります