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うん!分かるなぁ。

 久々に新聞の歌壇に好きな歌がたくさん現れた。
ー 支え合う夫と老老介護なり
    われ九十五歳現役の主婦 ー
            北海道・高野信子
 いい歌だ。
 厚洋さんが生きていれば、我が身もそうだろう。いや、真愛はよくお腹を壊したり熱を出したりと厚洋さんが看病してくれた。
「老老介護だな?」
って言って笑った事もある。
 95歳でまだ、現役の主婦ってところが素敵だ。思わず、「頑張れ信ちゃん!」と言ってしまう。
 お二人が元気で、老老介護を続けてくださる事を心から願う歌であった。

みね子先生の歌・護先生の文字真愛の絵

ー憧れの人の嫁いだ仙台の
   高校球児を応援した夏 ー
           高知・小野山征男
 分かるなぁ!とっても。
 厚洋さんが北海道出身だったので、北海道の球児を応援した。サッカーもそうだった。
 好きな人が嫁いだとしても、好きな人が結婚したとしても、その人と繋がる何かを見つけて
「同じようにしたい❣️」可愛い思いはみんな持っているのですね。
 同じような事をする人を見つけるとなんだか「幸せ」に感じるのはどうしてだろう。
 共感の妙である。

一緒に歩く

ー 想いには応えてやれずせめてもと
    遠回りする駅までの道 ー
           愛知・加藤敏信
 うーん!応えてあげられないのが加藤さんであって、相手が加藤さんを好きな人だとすると、
「不倫?」「なんの理由?」
なんて思って、一緒に歩いている人の切なさが伝わってくる。
 しかし、モテ男の浅はかな自己顕示欲のような気もする。
 加藤さんが告って、
「無理です。」って言われて、駅までの道を遠回りしてくれていると感じたなら、これもなかなか複雑な想いだ。
 想いが伝わらなかったもどかしさ、切なさ。
でも、言わないで伝わらないまま相手が逝っちゃうよりずっといいよね。
 真愛も厚洋さんに想いが伝わっていた事が、今になって分かる時がある。
 すると、「ありがとう」と言えない今の自分が切なくなる。

誕生日

ー 名前とは生まれて最初のプレゼント
     いろんな思い未来に託し ー
           千葉・小川一夫
 小さい頃は自分の名前が好きではなかった。
「正子」馬鹿でも書ける簡単な漢字!
 そう言われた時は、ショックだった。
 しかし、中学校になった私に、
「父さんがね。
 2番目に生まれた子には、
 正義を愛する子になって欲しいから
「正義・まさよし」と。
 女の子だったので、「正子」。」
と母が話してくれた。
 嬉しかった。
 複雑な我が家だったので、一緒に暮らした事はないが、大好きな父に「未来を託されていた」と感じた時だった。
 厚洋さんに
「お前は名前の通り、
 馬鹿がつくほど正直だな。
 正義感が強くて、
 嘘偽りがない正しい子だな。」
と笑われた。
(ああ、父がつけてくれた名前の
       如き生き方をしている。)
と嬉しかった。
 父からの思いを託されたのだ。
「maa」「真愛」は、厚洋さんが読んでくれた愛称。
「真実の愛」である。
「愛に生きる真愛」である。
 大好きな厚洋さんは真愛の真を知ってくれていたのだ。

 息子は、「拓時」。
 厚洋さんがつけた。
「時を拓く人になれ!」と。
 名前のように彼は生きてくれている。
 つい最近、なんだかソフトを開発して、特許を申請しているという。
 本当は次男を産んで「耕時」。
 長男が「時を拓き」次男が「時を耕し」
 長女を産んで「未来」にする産時計画だったが、頓挫した。

 2人が快楽に進んだからだ。(笑笑)
 自分に自分がつける名前があってもいいと思う。若い頃の真愛は、マコの愛称で呼ばれたこともあったので「魔呼」とか「魔娑呼」「真琴」なんて俳号を使っていた。
 浮世絵師葛飾北斎は、90歳で逝くまでに30近くの画号を使っている。
 様々な師を求めて、本当に自分が描きたかったものを追い求めて、自分が自分に名前をつけて生き方や未来に思いを託したのだから…。

ー 月3日目に出る月を三日月という
    知って嬉しき夢見るごと ー
           広島・藤山五十鈴

 三日月・朏(みかづき)は、陰暦3日の夜の月。
 ここで言う陰暦とは、朔を1日とする暦なので、必ず3日には「三日月」が見えるのだ。
 三日月も素晴らしい月である。
 厚洋さんと「クレッセント」というクラブに行ってママがとても美しく優しくって、お姉さんみたいに仲良くしてくれた事を思い出す。
 満月も素敵だが、三日月の円弧の先端が消え入りそうなところが好きである。
 満月で夢を見るより、三日月夜の方が美しい夢を見る事ができそうである。

ー 君の手を離さずにいる夏の夜は
     花火の音に感謝している ー
          埼玉・金内二郎
 分かるなぁ!
 人前では手を繋いでくれなかった厚洋さんも、夜の雑踏の中では、しっかりと真愛の手を離さないでいてくれた。
 夏のお祭り・花火大会・冬の初詣の夜・御酉様の雑踏の中で…。
 厚洋さんが好んで誘ってくれたのは、真愛が着物を着るからだと思っていたけれど、
(ひょっとしたら、真愛と手を繋げるからと思ってくれたとしたら…。
 幸せである。二郎さんと同じだったらいいなと思った。

ー献体し逝く妹を思いつつ
   見上ぐる今宵の上弦の月 ー
          鳥取・米原美恵子

「私が逝ったら、献体して!」
と仰った妹さんが素晴らしい。
 仰った通りなさったお姉さまも素晴らしい。
 あちらに逝って、見えなかったら、食べられなかったらと考えて、臓器提供を決断できない自分がいる。情けない。
 上弦の月。
 美しい妹さんの笑顔とお姉様の横顔が、神々しいです。

 月を歌う様々な思いが、月を更に美しくするのですね。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります