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弛む

 弛むって大事な事。
 電線がぴーんと張っていたら簡単に切れてしまうんだ。あのふにゃんとした撓みが風や雪に対してうまく対応してくれる。 
 人にだって弛みは、大切。
 毎日、緊張の連続だったら「プッツン」してしまう。緩みっぱなしだったら仕事にならないが、緊張緩和=弛みなのだと思う。
 最近の新人教職員が精神的ストレスで休職してしまう事をよく聞く。
 昔の教員だった真愛は、「良い時代にいた。」と安堵する一方で「なんでなんだろう?」と思う。
 真愛も先輩や上司に虐められたり、後輩からの妬みで悪口を言われて泣いたりした。帰宅途中「このカーブに突っ込んだら楽になる!」と思った事もある。
 転任した2ヶ月ぐらいに発症し易い。
 真愛の場合幸せな事に、家に帰ると厚洋さんがいてくれた。慰める事も助言する事も無いが黙って全てを聞いてくれた。
 同業者である彼が「そうか。うん。どうしても駄目だったら辞めていいぞ!」って抱いてくれたから、翌日も頑張れた。
「1番厄介なクラスを持たせられたら、幸せに 
 思え。どんなに小さな変化でも大きな成長に 
 感じられる。 
 絶対3月には大好きな子たちになる。」 
「今のお前の辛い思いが子どもの気持ちだとし 
 たら、お前は先生にどんな行動を取ってもら 
 いたい?
 やられた時はやってる側の行動を自分に置き 
 換えてみたら、考えられるだろう?
 辛い立場の人間がしてもらいたい事がね。」

 その通りだった。彼のお陰で常に子どもと楽しく過ごせたし、どんな事をしたら嫌な思いにさせるかが分かった。

 しかし、彼にも話せない悩みもあった。
 自分自身の妬み嫉みである事が分かっている
不満。厚洋さんに言ってはいけない事。
(もう、若い子には甘いのに…。悔しい!)(親・旦那の七光りに負けた!)
(美人の言う事は聞くのか?)etc。
 そんな時は、心許せる同僚に話をした。
 宿直室で泣いたり、職員室で喧嘩になったりそれはそれはドラマ以上にドラマだった。

 昔は良かった。(この言葉で済ませてはいけないのだが。)
 今なら「辞職願」が何枚あっても間に合わない。実際、「お前は汚い。辞職願を出せば済むと思っている。」とどやされた事も有る。 
 要するに枠に収まらない、「やりたい事はやる」教員に育っていってしまったからだ。
 厚洋さんの影響大である。
 しかし、学校は楽しかった。
 超過勤務手当てが出ない事は分かっていたが、夜遅くまで蚊取り線香を焚きながら、「指導法」について議論した。
 夕飯の出前を食べながら、学級の悩みを聞いてもらった。用務員室に隠れて同僚間の悩みを聞いてもらった。 
 そんな事を全て知っている校長は、
「あんまり遅くなるなよ。
 旦那が泣いてるぞ。女房に逃げられるぞ!」
って笑いながら、退庁時刻になるとサッサと帰って行った。
(そういう校長は肝が座っているので「責任は俺が取る」って言うかっこいい素敵な先生が多かった。真愛の巡り合った先生は幸せな事に素敵な先生が多かった。) 
 真愛を含めて、どの学校でも個性が強い教員が多かったので、どの校長も苦労したのだと思う。申し訳ない。
 しかし、今の様に「精神を患う教員」は少なかった気がする。
 沢山の「弛み」があり、その緊張緩和を認めてくれた校長がいた。だから、次の「緊張・頑張り」ができたのだ。

 今はそれが無い。
 保護者が怖いのか?
 文科省が怖いのか?
 子どもが怖いのか?
 自分が認められないのが怖いのか?

 学校の全てが、「緊張状態」張り詰めたままでいるのだ。
 校長は管理するために全てを監視し、早く出勤して自ら全てに手を出す。(部下を信頼してないのだ。)
 全職員が早く帰る様に、「提灯学校」にならない様に、自分の管理下で問題が起こらない様に(部下を信じていないのだ。)最後の施錠をして帰る。
 要するに「子どもたちの健やかな成長・教育」を考えているのではなく、「無事に管理職を全う出来る自分」を考えているのだ。
 当然、職員室での飲食は禁止。
 隠れての集団結社なんて許されない。
「けっ!ケツの穴がちっちゃい奴だ!」
     (品が無くて失礼いたしました。) 
 そんな管理職の下では、ひたすらに悩みを抱えたまま将来のある若い教師が首を括っていくのだ。あるいは、テキストを理解させるだけの教員ロボットになるのだ。
 断っておくが、教育界の全てがそうではない。

 このコロナ禍の中で、ぶっ飛んでるほどの楽しそうな学校も有る。
そこの校長は、
「いやあ。悩みだらけだよ。先生方も苦労して
 る。あっちこっちから締め付けられて死にそ
 うだね。
 でも、学校は楽しくなくちゃ。
 学ぶ事が楽しい事を伝えなくちゃ。
 それには教師自身が子どもの成長を楽しまな  
 くっちゃな。」って笑う。
 度量の大きさと教育哲学の深さを感じる。

 その校長の学校で一週間だけ「絵本作り」のボランティア講師をやらせてもらった事がある。
 初日の1時間目の途中で
「おーい。芋が焼けたぞ!
    ゆとりがあったら食いに来いよ。」
と校長の声がした。
「はーい。ゆとりは作るものです。」
と応えたのは、真愛の前に座っていた3年生の男の子だった。 
 いつも使ってる言葉だったのだろう。スッと出てきた。(先生方がそう言う考えて生きているから、そう言う言葉を使う。大らかな育ち方を肌で学ぶ。)
 真愛は、運命の様に持参した「おおきなおおきなおいも」の絵本を読んで、

子どもと一緒に中庭に飛び出した。
校長は、焼き芋屋のおじさんになっていた。 
 当然、一度しか読まなかった絵本の話で盛り上がった。読解指導なんて不要だった。
 上辺だけしか見ていないと言われてしまうかもしれないが、「いい学校・楽しい学校・生き生きした学校」は、肌で感じる。
 焼き芋が美味しかったから褒めるわけではないが、その学校での一週間は夢の様に楽しい時間だった。
 また、この年になっても「学ぶ事の楽しさを伝える事の喜び」「成長を発見できる幸せ」を感じる事ができた学校だった。
 校長だけではない。教頭も教務も事務長も養護教諭も講師ももちろん担任の先生も皆んな生き生きとして見えた。
 素晴らしい学校だった。

「弛み」を持った心なのだ。
「張り詰めて」キレそうな心からは不安しか感じられない。

 願わくば 真愛が巡り会った度量の大きい校長先生の様な管理職が沢山いて欲しい。  
 また、厚洋さんに
      「主題も文脈も❌」
    って言われる記事を書いてしまった。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります