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黎明

「受保ッ・ジュホッ」て、スマホがなった。
 連チャンで来たので、眠い目を片目だけ開けてスマホを見た。
 noteの「好き」がついた。
 3時50分!
 この時間に起きて働いている人もいるんだなあと思った。
 そう言えば厚洋さんも朝が早かった。
 真愛が26:00に仕事を終えて消灯し、厚洋さんが3:00に起きて点灯する。
 ご近所の人には「夜通し仕事をしている家」のように思われていた。
(寝る前に迫りたい真愛と、朝迫りたい厚洋さん 
 にはちょうど良かったのかもしれない。
 真愛が熟睡できるのも厚洋さんと入れ替えで、 
 キングベットを独り占めし、ゴロゴロと寝返り
 を打って寝られたのも朝型と夜型だったから
 かもしれない。

黎明である

 4時になった。
 もう空は、白々と開けている。
 厚洋さんのさんの具合が悪い時は、真愛もこの時間は起きていた。
 起きていたと言うより、一晩中寝られなかったのだ。
 具合が悪なった厚洋さんは2階のベットルームに上がることができず、一階の部屋で寝起きするようになった。

 痛みを紛らわすために、寝るためにお酒を飲む。お酒を飲みながら、大量の水を飲む。(水を飲みながら飲むのは若い頃からだった。)
 利尿剤を飲むため、トイレによく起きる。
 少しだけ微睡むと痛みが襲うのだろう。
 唸り声を上げる。
 その時には既に沢山の痛い部分があったのだと思う。

 一階から唸り声が聞こえて来ると真愛は飛び起きて、厚洋さんのところに向かう。
「何処が痛いの?
 ねぇ。病院に行こう!」
「大丈夫だ!」
と怖い顔をする。病院嫌いで「自己判断で売薬」を購入して何とかしてしまう人だった。
 自然気胸になった時も、
「筋肉痛だ。背中に乗って押してくれ!」
なんて馬鹿なことを言い真愛を困らせた。
 あの時、真愛が背中に乗っていたら、肋が折れていただろう。結局、ICUに緊急入院をした。
(笑い話の思い出を書けるようになった。)

ロック&water

 病院嫌いは、長生きしない。
 傷んだところの修理をせずに使い続けるのだから…。
 「無病息災ではなく。一病息災!」が良い。
 自分の身体を大事にするから…。
「多病息災はない。」
 真愛のように「一病」が見つかった瞬間、
(ひょっとすると?
 ・・・かもしれない。
 ーーーかもしれない。)
と、山ほどの病名を調べて❌❌バイアスに陥るお馬鹿も良くない。
 自分の体の変化は自分が一番わかる。
 厚洋さんは、亡くなる13年前に
「これは、終わりの始まりでしょうか?」
とメモ日記したためている。
 だから、病院に行って入院するのが嫌だったのだ。酷くなって来ても
「真愛に迷惑がかかる。」
と、切ないことが書かれていた。

 そんなに思っていてくれたのなら、もっと早く入院して完治して欲しかったと思うが、彼の言うことに逆らえない真愛(嫁」に育てられてしまっていた。
 彼の病が酷くなったのは、真愛の退職してから5年後である。
 唸るようになったのは、亡くなる3ヶ月前あたり。今考えると、良くあの「痛み」を我慢していたと思う。「真愛に心配させたくない。」とメモ日記の言葉も、彼が入院した時は切なくて読めなかった。
(今は、あの生き方が彼の愛し方だったのか?)
と思えるようになった。
 唸り声は、1時間おきに聞こえて来る。
 その度に起きて、背中を摩りにいく。水が飲みたくても、歩くのが苦痛になっていたのかもしれない。水が飲みたい時も「唸る」。
 唸れば真愛が起きて来るからだ。
「一階で寝るね。」
というと、
「邪魔だ。お前のイビキがうるさい。」
と言って2階に追いやられた。
 あの時は、腹が立ったが、今は
(真愛が寝られないだろう。という優しさと
 衰えていく自分を見せたくないという漢の
 メンツ)があったのだと思う。
 何よりも厚洋さんは
「家で死にたい。」と思っていたのだ。
 入院して真愛と離れるのは嫌だったのだ。
 まだコロナ禍になる前だった。
 真愛は、何ヶ月も眠れない夜を過ごした。
 不思議なことに、朝になると厚洋さんの「痛み」が収まるのだ。
 真愛も(苦しみ始めたら、病院に引っ張って行く。)と思っていたので、朝が来ることは、「安心」が来ることでもあった。
「病」を持っていると「夜が怖い。」「闇が怖い。」昼間の一人は寂しくないが、夜の一人は寂しい。何故だか分からないが今でもそうだ。

 だから、強そうに見えた厚洋さんもそうだったのだろう。夜中に緊急入院した後も、完全看護の病院なのに、苦しくて声も出せなかったのに
「真愛が一緒じゃないと入院しない。」
とタダを捏ねた。一人は寂しかったのだ。

 それがあったから、「命懸けの恋」をして彼をいかせることができたのだが…。

まだ街灯がついている朝

 新聞配達人のオートバイの音が聞こえる、
鳥の声が賑やかになる
 白みかけた窓に寄ってカーテン開ける。
「黎明」である。

 世の中には、あの時の真愛と同じ思いをしている人が、何人もいらっしゃるのだろう。
 愛しい人の事を思いまんじりともせず朝を迎えてしまった方。
 病と闘いながら、白々と開ける朝を迎えてしまった方。
 ギリギリの境で生きている人間にとって、
「朝を迎える」ということは、何かを超えた感じがするのだ。
 完全に開けやらぬ空を見ながら
「この同じ空の下、
 同じ思いで頑張っている人が
 何人いるのだろう。
 出来ることならば、
 今、夜が明けたことを
 乗り越えたと思ってほしい。
 今夜が来て、苦しんでも
 また、その夜は明けて
 この美しい黎明の宙を登り
 安らぎの時が来るから…。」
と伝えたくなった。
 頑張れ!頑張れ!頑張れ!頑張れ❗️

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります