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小暑 七夕 何食べる?

 小さい暑さって書いて小暑(しょうしょ)は、二十四節気の第11番目。
 六月節(旧暦5月後半から6月前半)。
 現在広まっている定気法では太陽黄経が105度のときで77日ごろ。
 暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とするそうだ。
 恒気法では冬至から13/24年(約197.84日)後で77日ごろ。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の大暑前日までだそうだ。

半夏生 

 たしかこの花が半夏生だと思う。
 我が家から少し登った杉林のヘリに咲いていたのを厚洋さんが見つけてくれた。


7/2  7/6 半夏生
 烏柄杓(カラスビシャク)が生える半夏生(はんげしょう)とは、季節の変わり目をあらわす夏の季語。

 夏至から約11日後に訪れ、昔は田植えの目安とされていた。今はもっともっと早く田植えをしている。
 苗も強くなり機械化も進み農業が変わってきたからだ。
2022年の半夏生は72日(土)だった。
 一年を半分にするとちょうどど真ん中の日だと報道していた。
365÷2=182…7月2日です

 半夏生は「雑節」の7番目に当たり、この時期に咲く花から命名された。
 雑節とは暦の種類のことで、季節の変わり目、気候の移り変わりの目安とされる暦日。
 節分や彼岸などもその一つ。
 雑節は、二十四節気や七十二候と同じようなものだが、これらが中国由来であるのに対し、雑節は日本で生まれ日本で親しまれてきたものだ。
 ちなみに、半夏生は七十二候の1つにも数えられている。
 この頃降る大雨のことも「半夏雨」といって大雨や洪水になるそうだ。
  普通は半夏生の時期は梅雨も終わりかけの頃なので、この時期は太平洋高気圧の勢力が徐々に強まって、日本の上空に温かく湿った空気が流れ込み、大雨になるのだ。
 半夏生の時期は河川の氾濫や土砂崩れなどが起こることが多くそう呼ばれる。
 今年は、ガッツリ梅雨も明け、なんと大型台風が接近している。災害が起こらないことを願うだけである。自然に対しては無力である。
 半夏生には、タコを食べるといいらしい。
「稲の根が地に根付くように」
「タコの吸盤のように稲穂が大きく育つように」といった願いを込めて、古くから半夏生にはタコを食べる習わしがあったそうだ。
 半夏生の時期のタコは「麦わらタコ」とも呼ばれ、特においしいという。
 魚介類を食べられない真愛は、ちょっとだけ「たこ焼き」を食べる。
「タコのように物事をしっかり掴みたい」
というよりもその日ぐらいは、「たこ焼き」が食べたいのだ。
 スーパーの商戦に乗って仕舞うのだ。
 半夏生餅というのもあるそうで、餅米と小麦粉で作った団子にきなこをまぶしたもの。
 その昔、人々は田植え後にこの団子を作り、田の神様にお供えし、その年の豊作を祈り、田植えが無事終わったことに感謝しながら団子を食べたという。
 我が地方での早苗饗(さなぶり)と同じなのだろう。こちらは、お団子だけではなく豪勢なお料理が並ぶ。ヤンゴメというお赤飯のような赤いご飯も出るので似てるといえなくもない。
 農耕民族であり、米作りは伝わっていくのだから、その地方なりに独特な祝い方をするのだろう。
 共通することは、「神様・天候を司る神様」に感謝すること、「天に対する畏怖の念」を持っていたことには違いない。
 今の我々が忘れてしまったことだ。

索餅 和風チュロス?

 さてさて、小暑は七夕あたりから始まる。
 我が家では、七夕に食べる「素麺」が小暑のお決まりだった。
 涼しげで、魚肉ソーセージを星形に抜いたり、胡瓜を笹に切って散らしたり可愛く飾れるのも楽しかった。
「ガキンチョだな!」
と馬鹿にしたが、笑いながら
「星はソーセージより卵焼きの方がいいぞ。」
と言ってくれてからは、星は黄色になった。
 昔は、「索餅」というお菓子を備えていたらしい。
 小麦粉と米粉を煉縄のように細く捻って作った唐菓子。
 むかし、宮中で七夕の節句に瘧よけの御呪いとして食べたとのこと。
 瘧とは、三日熱・マラリアの一瞬という。
 マラリアなんて、蚊が媒介するのだから、当時も蚊は元気に人を刺していたのだ。
 ちなみに、瘧は「ぎゃく」と読むらしい
 真愛は、読めずに「しゃく」と読んで
「癪よけはお前だろう?
 いや、お前は食い過ぎかな?」
と笑われた。
 若い頃の真愛は、けっこう胃痙攣を起こしていた。
 厚洋さんは心配して摩ってくれたが、治ってくると必ず
「また、食い過ぎたな?」
と言った。その割には、
「俺は、お前の元気に食う姿が好きだ❣️
と言ってくれた。
 いまだに、食べ過ぎで苦しむと厚洋さんに泣きつく。

 日本ではこの小暑の時期に土用入りをし、土用の丑の日にはウナギを食べる習慣がある。
「土用」は二十四節気のうちの「雑節」つまり日本独自のものである。
 土用の丑の日には、「う」のつくものを食べて精をつけると言われていたので、厚洋さんは必ず「鰻」を食べに連れて行ってくれた。
 土用ではなくても「鰻」が好きな彼は、鰻屋『喜多』さんのカウンターで飲んでいた。
 真愛も、鰻の骨の唐揚げが大好きだった。
 彼が逝ってからは、彼の席に真愛が座り隣に教え子を座らせて行くようになった。
 しかし、最近はウナギが獲れなくなったとかでずいぶん値段が高くなったので、「ウナギのかば焼き」年に数回になってしまった。
 もちろん、コロナ禍で真愛自身が外食を控えた事もある。
 今年こそは
と考えていたら、また、「コロナ禍の第7波」が来そうだ。
 厚洋さんが
「俺以外の男と行くな!」
って言ってるのかな。笑笑。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります