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愛しい人へ 1383日
物言わなくなったからこそ、思うことがある。
聞けないからこそ、言うだろうことを想像するのだ。それも、過去が美化されるので素晴らしい言葉に聞こえる。
やっぱり沈黙は金ですかね。
彼が亡くなって1383日。
偶然目にした、読書感の中に登場した森毅先生の言葉が厚洋さんがいいそうな事だった。
同じぐらいの歳の人の言動に対して
(愛しい人が生きていたら、
きっとこう言うかもしれない。
きっとこうするかもしれない。)
と思ってしまう。
新聞の文芸欄に後藤正治さんの「私の読書観」が載っていた。
彼より一つ年上のノンフィクション作家さんだ。穏やかな微笑みを浮かべた写真の横には、
「人はいい言葉を欲する存在」と言う見出しが真愛の心臓を締め付けた。
(厚洋さんと同じ。
読書が好きで、言葉が好きな方なの?)
しかし、後藤さんは「日本を代表するノンフィクションの大家」で、多くの評伝を書かれたり、多分野の著作も多く、沢山の賞を受賞されるほどの方でした。
(厚ちゃんと同じではない。
うーんと雲の上の方だったが真愛の感は、
ハズレではなかった。)
厚洋さんが話してくれていた事を読んでいるようだった。
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そんな素晴らしい後藤さんが舌を巻いた方の話だった。
その方は、森毅さんだと言う。
同じ京都大学出身の数学者で評論家。
なんと、後藤さんとご近所同士だったらしい。
(類は友を呼ぶ…ですね。
素晴らしい方は素晴らしい方と巡り合っているの
ですね。)
後藤さんは、その森さんの人物論を書いたことがあるそうだ。
その森さん曰く
「後藤くん、
繰り返し読める本が100冊くらいあれば、
いくら歳を取っても退屈しないよ。」
と。
もう森さんはこちらにはいらっしゃらないが、後藤さんはおっしゃる。
「今、実感として理解できます。
本は一回読めばいいと言う方もいますが、
私は好きな本を繰り返し読むタイプです。」
似ている厚洋さんも同じことを言っていた。
「いい本は、読む歳によって違ったことを、教えて
くれるんだ。
読み手の環境によって同じ人間なのに違った感じ
がするんだ。
面白いよね。
やっぱり捨てられない本があるよ。
死ぬまでに何度も読み返すんだろうな。」
と。
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後藤さんは、詩集や文学作品は人に薦めにくいとおっしゃる。
「自分にとっては、素晴らしい出会いであっても、他の人がそうなるとは限らないから。
何か自分と噛み合うものがあれば、引き寄せられて行くとは思うが…。」
「人は、誰もが固有の本との出会いを持ち得る。」
「人は、美味しいものを食べたいのと同じように、いい言葉を欲する存在だ。
無意識のうちに求めているのだと思う。何かをきっかけに回路が開けば、読書は一生楽しめる。一冊丸ごと引き込まれる本に出会えなくても、良い行・良い一文に出会うために読書をする。
それで十分でしょう?」
厚洋さんご全く同じことを言っていた。
それも、厚洋さんは、良い一文良い言葉は、子どもの作文の中にも存在する。子どもの日記の中に最高の悔しいほどの言葉遣いを発見することがあると話してくれた。
読書ではないが、彼にとっての子どもの日記や作文や詩を読むのは「読書」良い言葉との巡り合いの時だったのだ。
厚洋さんは素晴らしい事を言っていたのだ。
気が付かなかった真愛が居ただけだ。
彼はもう何も言わなくなった。
しかし、真愛の思い出の中の彼はどんどん素晴らしくなっていく。
私は歳を取って、あなたに近づくが、あなたの時は止まったまま。
若々しく、最後まで素敵な人だった。
厚洋さんの本棚の本を捨てられず、
「厚洋さんがもう一度読もうと思った本を
一冊ずつ読んだら捨てれば良い。」
そう思って読み直したら、良い言葉に巡り合って、良い一文と巡り合って、また捨てられなくなってがしまった。
厚洋さんが薦めてくれた本が真愛の何かとも噛み合い、引き寄せられたことがとても嬉しい。」
本への趣味が似てるって、良い相性なのだと思った。
(単に安あがりなだけかも…。)
何も言わない厚洋さんが雄弁に語る。
後藤正治さんや森毅さんの言葉を借りて…。
「特だよね。
逝ってしまって何も言わないから、
素敵なことを沢山思い出す。
あなたは、真愛のこんなに愛していることを
分かってくれていたのでしょうか?
居ないのですものね。
語れないのですものね。もう…。」
いずれ私が彼の歳を追い越してしまうのだろう。
今は、まだまだ先輩として尊敬しているのに、
真愛があなたより歳を取ったら、見下しちゃうのだろうかしら?
その時は、どうすれば良いのでしょう?
いや、いつまで経っても、お馬鹿な真愛にぶつぶつ言った厚洋さんの思い出だけが残るのだとしたら嬉しいな。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります