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木枯らし

 今日、木枯らし1号が吹いた。東京で1号を観測したのは、30年ぶりだったそうだ。「木枯らし」って言う言葉が持つイメージが悲しい 
 同じ空気の移動の風なのに、なぜ悲しいのだろう。
 そこで風について調べてみたら,風の名前だけで250語近くザッと並んで出て来た。
「裾風」や「袖風」の様に、何かが動いた時に起こる風の名前もあった。何やら着物に焚き込められた香りが仄かに漂い、麗しい方の近くで起こりそうな風だ。
 多くの風は,その吹き方や吹く方向・季節、何を渡るかで名前がついていた。
 春や夏の風の名前が多かった。真愛が知っていたり、ちょっと素敵だなと思った風を下記に列挙する。
「春一番」早春の頃に吹く、南風
「青嵐」初夏の青葉を吹き抜ける風
「梅下風」梅の香りを運んでくる風
「荻風」荻に吹く風
「花信風」春先に花の咲くことを知らせる風
「薫風」初夏、草木の緑を通して吹いてくる快い風
「桜風」桜の花に吹く風
「梅風」梅花の香りを吹き送ってくる風
 やっぱり、良い香りの花を通ってくる風は素敵な名前だった。
 「凍風」なんてすごく寒そうな風の感じは伝わってくるが、悲しさはない。
「木枯らし」が悲しく感じるのは、真愛の言葉への個人的な感覚なのかもしれない。「ひょっとしたら、小さい頃から聞いていた歌の歌詞の中に「木枯らし」のイメージ作りに関係したのがあったのかもしれない。」と思って、思い出してみた。
 木枯らし吹き抜く寒い朝も…。
木枯らし木枯らし寒い道 焚き火だ…。
木枯らし途絶えて 冴ゆる空より…。
 木枯らしのずっと向こうで鳴っている…。
でも、悲しくないと感じた時,ふっと思い出した。
 今年の5月あたりから、車に乗る度に聞いていた「さだまさしさんのアルバム・存在理由の中・柊の花」が原因だ。
歌詞の一部に
愚かしい過ちの数々を
一つ一つ胸に並べている 
あなたはそれでもこんな私を
許してくれるだろうか
終列車が鉄橋を渡る音 
秋風の気紛れなカデンツァ
明日は「木枯らし」が吹くらしいと 
遠い窓の灯りが言う
辛い夜を過ごすあなたに 
いつか本当のさいわいを 
届けることが出来ますように
私に許されますように
 切ないバイオリンの音色と切ない思い。明日は「木枯らし」が吹くと言う。そんな辛い夜を過ごしているひとに「いつか、本当の幸い」を届ける事を許されるように願うなんてもっと切ない。悲しい。
 要するに「擦り込まれていた」のだ。ちょっと恥ずかしい感性だった。
 しかし、さださんの歌を聞く前から「木枯らし」は、悲しかった。大好きな厚洋さんに抱かれて,幸せだった時も「木枯らし」は、悲しい言葉だった気がする。
 秋から冬にかけて、女性がセンチメンタルになる体質を真愛も持っていたのかもしれないし、秋は、「葉が落ちて」死を意味する感覚を持っていたのかもしれない。
「木枯らし」が木を枯らす。「死」「別れ」を意味しているように感じたのだろう。
 厚洋さんが逝ってしまって、「木枯らし」は、真愛を1人ぽっちにする「悲しい響きを持った言葉になった。

 「今日は、東京で木枯らし1号が観測されました」とニュースで聞いた夕方、いわし雲が出た。
 厚洋さんはこの雲が出ると、
「いわし雲だ。鯖も鰯も大漁だ。
 海の底では、何万の魚が弔いをするだろう。
 でも、俺の好きな魚が食えるぞ。
 今は、高くなったからな。
 昔の釧路じゃ猫の餌だったよ。
 拾って来たなあ。
 シメサバ作るか?鰯の刺し身?
 どっち食いたい?」
って、よく言ってた。
この雲が出る度に言ってた。
「木枯らし」が吹いたからって、
「悲しいと思うな。俺がそばにいる。」
と言われた気がした。

「木枯らし吹き抜く寒い朝も
    心ひとつで暖かくなる」である。
 鯖も鰯も本当に高級魚になったが、明日は、厚洋さんが好きだった「鯖の押し寿司」でもつくるかねぇ。
 自分の気持ちの持ちようで、
    「本当の幸い」を見つけたいものだ。
 


 

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります