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繋がって生かしてもらっている

 ケーキ屋さんの桜大福である。
 ここに辿り着くまでに、沢山の「ご縁」で繋がっていて、亡くなった厚洋さんが
「こっちだ。」
「あっちに行け。」
と言っている様でならない。
 決して運命論者でもなければ、自分の生きていくレールは既に敷かれていて、そこを走っている列車に過ぎないとも思っていない。
 生きている限り、「自分の意思」で前進したいと思っている。
 だが、不思議な「縁」「奇縁」「因縁」「繋がり」なんだか上手い言葉が浮かばないが、「行きたかった場所」に「会いたかった人」に出会える真愛がいる。
 それは「運命論者だよ。」と言われればそれでいい。こんな繋がりが嬉しくて日々を生きている気もするからだ。
 元気で動ける自分がいて、多少のお小遣いを使えて、厚洋さんにもらった一人暮らしという気ままさも有る。
 これら全ても、父母から生まれ、厚洋さんと出会い、教員という職業をやってきた「縁」であり、一つ一つがなければ今はない。
 奇跡的な出会いだったのだ。

どこの雪だろう

 遡ること2022年1月30日。
 2回目の三絃のお稽古に伺った。
 まだまだ、大寒の最中であった。
 お稽古と言っても、プール友達の方から頂いたお三味線を持って行って、使えるか調べてもらう事が中心だった一回目は1月16日。
 ということは、この日がご縁のスタートではなく、プール友達に出会うところから書かなくては行けない。
 プール友達に出会うためには、プールの入会の縁も、厚洋さんが「ずっと続けろよ。」って言ってくれた縁も書かなくては行けなくなる。
 遡ること…。ひたすら過去へ進んでしまう。

 1回目のお稽古は、
「これは長唄のお三味線。
 私の三絃をあげるわ。
 どう?やってみない?」
と言われ、一つ返事で、三絃の皮を張り替え、撥から糸・指擦り・撥のケース・滑り止め…を頂いたて、お稽古に来る事を決定して帰った。
 厚洋さんが元気だった頃からの「お琴のお師匠さん」で、合唱にお琴を取り入れたり、公開研究会での「野点茶屋設営」にも力を貸して下さった方である。
 お師匠さんのコンサートに行って帰ってくると、真愛は必ずその様子を厚洋さんに話した。
「素敵なの。[初音]ってね。色っぽいのよ。」
「お三味線か。いいなあ!
 俺も弾いてみたいな。
 坂本龍馬みたいに…。
   お龍さんの三味線借りてさ
 弾くんだよ。いいなぁ三味線かあ。
 お前。やったら?」
 我が家には格好だけの三味線があった。
 二人とも弾いてみたいと思っていたし、母が昔弾いた事があるので、一人の時の楽しみにと購入したが、弾かないまま、彼方へ逝ってしまった。

 2回目のお稽古の後は、お師匠さんが参加した合唱団の記念コンサートの話になった。 
 前日の余韻冷めやらぬ中で、合唱団の発表会に差し入れたケーキの話になった
「ロンシャンが閉店してしまったので、青い鳥の
 ロールケーキです。
 ロンシャンさんとは開店当初からのお付き合い
 で、厚洋さんのお友達みたいなものかしら…」
 長い長い話を聞いて頂いた。
 お師匠さんもロンシャンさんが好きで、閉店を残念がっていたし、個人的なお付き合いもあったようだ。
「ロンシャンのスポンジはいいわよねー。
 でね。中学校の近くに出来た可愛いケーキ屋
 さんは、ロンシャンさんのお弟子さんみたい
 よ。」
 その一言で、そのケーキ屋さんに行き、ロンシャンのマスターの家の場所を無理やり聞くことになる。
 ロンシャンのマスターに届けたい「真愛の教え子の育てた苺」を持って「プティ フルール」に行った。
 売り子さんがパティシェに聞いたが、真愛に住所を教えて良いかと不安顔であった。このご時世だ。個人情報を簡単には教えられない。
 そこで、真愛の携帯番号を知らせると、その日のうちに、マスターからの電話が来た。
 翌日、苺を持ってマスターのお家へ。
 厚洋さんが入院中、
「ロンシャンのロールケーキが食いてぇ!」
と言って、急いで買いに行った事。
 売り切れていて、大切なロールケーキを出してくれた事。厚洋さんが亡くなってからも、お返しに沢山のクッキーを購入しに行った事。息子の家の帰りに小岩のお稲荷さんをお土産にする楽しみができた事。
 溢れるほどの思い出と感謝の想いを伝えた。
 ひょんなことから
「そうだ。知ってるかい?
 Rが亡くなったんだよ。」
という情報を聞いた。
 昔から、家族ぐるみで行っていた洋食屋さんで、厚洋さんが作文の添削をしていたり、仲間と勉強会をしていたお店のマスターだった。
 ちょっとした事があり、厚洋さんが亡くなってからは行かなかったが、
「彼方に逝ったら、仏様。
 厚洋さんともお話しするのでしょうから
 ご挨拶だけはしたいと思います。
と、息子に連絡を入れると
「お母ん。偉い。」
と褒められた。褒められると頑張っちゃう真愛である。
 ご挨拶の手紙を書き、御仏前と御線香をお送りした。褒め上手なむすこは
「流石、俺のお母ん。
 色々あっても、俺にとっては家族で過ごした
 いい思い出の店。ありがとう。」
と帰ってきた。
で、このnoteに書いたのだ。

色づいた花芽

 まだ、桜大福には至っていない。
 そのnoteを読んでくれた厚洋さんの教え子さんでパーマ屋さんをやっているMちゃんからLINEが来た。
「仕事の合間、ここんとこ、読んでいなかった
 ノートをいまみていたら、あらビックリ‼️
 ロンシャンで修行していてお店をだした女の子
 は、厚洋さんの教え子の娘さんですよ。
 私の同級生の6年4組(だったと思う)
 一緒に拓くんのドーナツ枕を持って遊びに行っ
 たんじゃないかな?(ちょっと不確かな記憶)
 Kちゃんの娘さんです。
 多分、お店でお手伝いもしていると思います
 よ。」
 驚いた。
 この間の売り子さんだ。
 お師匠さんの話でも
「お母様と一緒にやっているらしい。」
とおっしゃっていたので、あの売り子さんは、「厚洋さんの教え子」なのである。
 40年ほど前に、団地住まいの我が家に来てくれた女の子達の一人だったのだ。
 縁である。
 厚洋さんが
「おい。応援してやってくれよ。
 俺の教え子なんだ。」
と自慢げに笑う顔が見えた。

桜桃の花が咲いた日

 3月14日。
 三絃のお稽古には、「プティ フルール」のケーキを買って持って行った。
 全てのご縁への感謝の印に!
 厚洋さんの教え子さんは、彼が亡くなった事を知らずにいた。
 それを告げると
「いい先生だったのに。
 大好きな先生だったのに。
 家庭訪問はいつも我が家が最後。
 父と母と楽しそうに飲んでいたのを
 覚えています…。」
と涙ぐまれた。
 嬉しかった。厚洋さんの素敵な思い出が蘇ってくれたのだ。
 ただ、驚いたのは、
(あらー。ここのうちでも上がり込んで飲んでた
   のね。真愛という女房がいながら…。
 人前では寡黙な人だったけど、結構、保護者の
 方々には好かれていたのね。)
と、心の中で笑いながら喜べた自分を発見した事だった。
 愛する人が、人に好かれていた事を「喜び」と捉える事ができるようになった落ち着いた真愛だからこそ気付けたのだ。
 時のなせる技である。
 その時に購入したのが、ケーキ屋さんの桜大福である。

満開の桜桃の花と月

 桜桃の花が満開になり、その向こうに月が昇り美しい夕方だったその夜。
 大きな地震が来た。
 全てが、あってこその今である。
 しかし、多くの人が悲しんだり、苦しんだり、不条理な立場に置かれることは、「有るべき」とは言いたくない。思いたくない。
 なんだか、自分勝手な生き方のような気がしているが、これから、パーマ屋さんの教え子のところに行くのに、ケーキ屋さんの教え子の所でケーキを買っていける事が、
《最高に嬉しいこと》である。

可愛いケーキ 美味しい❣️

 愛しい人が教えた子の成長と頑張りを応援できる「幸せな真愛」である。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります