![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/92773497/rectangle_large_type_2_f920846541ccb3847ce8b62ba3124e75.jpg?width=1200)
愛しい人の靴 👞👞
逝ってしまった愛しい人の物が捨てられない。四十九日までは、彼の匂いを犬のように嗅ぎ回っていた。
当然、彼のパジャマを着て寝た。
が、使って洗えば彼の匂いは消えてしまう。
切なかった。
聞こえなくなった彼の声。
見る顔は写真だけ。
撫でてくれる彼の手は無い。
彼の匂いが消えていく。
どうやって、彼の存在を実感しようか悩んだ結果は、
「やっぱり、匂いが無くなっても使う事だ。」
彼のツナギに彼のシャツで出かけた。
彼のトレンチコートも来た。プールに行く時こっそりパンツも履いていた。
古くなって使えなくなったら、その時にリメイクすればいい。彼の逝った年になるまで着続けようと考えた。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/92854085/picture_pc_6beb0c66aa0cc36b0ef44cf4f66bfd0f.png?width=1200)
まだ、6年(彼とは六つ違い)が経っていないのに、まだ使えるのに…。
彼が逝って1543日めに「愛しい人の靴」を捨てた。
この靴は、真愛とお揃いで買ったパックスキン。
「本物だぞ!
鹿の皮なんだ。」
って、高価だった事を言いながらプレゼントしてくれたのだ。真愛は、よく履いたがどうも底が硬くて厚洋さんが元気なうちに捨てた。
その頃の厚洋さんは、作務衣を着て雪駄か下駄を履くことが好きだったし、冬になれば、真愛がプレゼントした和装スーツをカッコよく着たので足袋を履いて雪駄だった気がする。
このバックスキンを履いていたのは、真愛とお揃いのツナギを着た時だけだった。
彼の物を使おうと決めた時に、彼の靴をどう使おうか悩んだが、玄関に置いて置くだけでも防犯になるし、ちょっとゴミ出し程度ならブカブカでも履いていけるので、古いものから使い始めた。
4年が過ぎ、一足目を履き潰したので、このバックスキンを履くようになったのだ。
履き始めて一週間。
彼が何故、履かないのか分かった。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/92854851/picture_pc_2efa28f24ec4942f3776e3c0e6ebe027.jpg?width=1200)
左足の内側の縫い目が当たって、靴擦れを起こす。
その日は、たった20メートル先のゴミ捨て場に行って、帰りに玄関周りを掃除しただけだったのだが、素足で履いたため硬い縫い目に擦られてしまった。
久々の靴擦れは、なかなか治らず、更にプールに行くために薄皮ができてもまた剥がれてしまう。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/92855540/picture_pc_b7320573f17392c84b18ad730264bacf.jpg?width=1200)
(厚洋さんもきっと痛かったんだろうなあ。)と思った。
そして、なぜ捨てなかったのかを考えた。
お揃いで買った靴だから思い入れがあったのだとしたら、早々に履かなくなって捨てた真愛の事を悲しく思っていたのでもしれない。
同じようなお揃いを真愛が買って来るのを待っていたとしたら…。
(もう、言わなきゃ分かんないでしょ?)と言いたい。
「必要な事は感じ取れよ!」って言うのが彼の言い分。若い頃から、雑学の話や指導法については饒舌に話してくれたが、自分がして欲しい事は言わない人だった。
同僚からも「シャイな人・無口・寡黙・変人」と言われていたのだから、
「お揃いを捨てちゃうのか?
また、お揃いを買おうか?)
なんて言えなかったのだろう。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/92856238/picture_pc_bd3e9bf3a2251c0eb396a0750c1bdab0.jpg?width=1200)
それ以前に、痛くて履けなかったのかもしれない。
それを履いて、お揃いのツナギを着てくれたのは(真愛が喜びから…。)だったのだと気が付いた。
申し訳ない。
彼が逝って1543日めに気づくなんて、
情けない妻である。
革靴は履けば履くほど皮が柔らかくなり足に馴染むのだと言う。
履かなければ硬くなりちょっとした縫い目すら擦れて痛くなるのだ。
もっと、お揃いの服を着てお揃いのバックスキンを履いて出かければよかったのだ。
「俺は一人で旅をするのが好き。
お前も自由に一人旅に行ってこいよ。」
と言ってくれたが、本当は二人で行きたかったんだろう。
真愛も厚洋さんと一緒に行きたかった。
しかし、仕事にかまけて誘いを断ったり、
40〜50代は、教え子と出かけることが多かった。
「行ってこいよ!
俺が家にいるから…。」
この言葉の裏を考えなかった。
教え子と出かけるより、厚洋さんと一緒に行けばよかったのだ。
申し訳ない。
お揃いだったバックスキンの靴を捨てながら、今頃になって彼の思いを拾っている。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります