見出し画像

booちゃんの不安 目は心の窓

 ハズキルーペを買った。
 7年前にも買ったが、教え子にあげたので今はなかった。
 7年前の購入理由は、「老眼が始まった?」
と思ったからだった。しかし、母の形見の老眼鏡や厚ちゃんのお古の方が使いやすかった。
 畑仕事も多く、外では裸眼で問題なかった。
 その頃、よく眼科に行った。
 畑仕事中に「竹が当たった。」「杉を切ったらゴミが入った。」などの目の充血による通院だった。
 花粉症用のサングラスをかけて作業をしていたが、隔月ぐらいで病院に行っていた。
「人より目玉がでかいんだから、いろんな物が 
 入るんだな。気をつけろよ。
 お前はよく泣くし、そのうち、目玉が流れ出
 すぞ。目は大事。目は心の窓。」
と、充血したbooちゃんの大きな目玉に点眼の手伝いをしてくれた。
 視界がいつもと違うと感じたのは、厚洋厚ちゃんが入院していた時のスーパーの買い物時だった。
 突然、スーパー内の蛍光灯が眩しくて、目が開けられなくなった。買い物を中断して、駐車場の車の中で目をつぶって少し休んだ。
 そのまま見えなくなっていれば、病院に行ったと思うが、10分程度休んだら治ったので、(看護疲れかな?)と思っただけだった。
 同じ頃、厚ちゃんの携帯をスマホにしたが、彼が使えずbooちゃんが使った。今から、2年半前のことだ。
 厚ちゃんが亡くなり、booちゃんは淋しくて切なくて毎日、毎日泣いて暮らした。
 booちゃんの視界は、毎日ぼやけていた。
 車を運転していて、センターラインが2本に見える。夜の対向車のライトが眩しい。
 booちゃんは眼科に行って
「先生。夫が亡くなって毎日泣いていたら、目の見え方が悪くなりました。涙は良くないのですか?」
と尋ねた。booちゃんよりずっとお年を召した先生は、穏やかな笑顔で
「それは大変でしたね。
 でもね。泣きすぎても目は悪くなりません。
 加齢。目も年をとってきているのですよ。
 検査してみましょう。」
と言い、検査を始めた。
 検査結果は「白内障」。
 booちゃんの母親も「白内障の手術」をしているので焦った。
「来年が免許の更新ですね。
 進行を遅らせる薬を点眼してください。
 2月に改善されなければ手術しましょう。」
 不安でたまらなかった。
 目の手術なんて…。
 占いでbooちゃんの空亡は眼・心臓と聞いたことがあるので、(失明して、精神を病んで自殺するの?)なんて悪い方に暗い方に想像を巡らせ恐れた。
 お利口さんに、3ヶ月を過ごしていたら、視力は1.0にまで戻り、8月の免許更新も無事にクリアできた。

 プールでも元気に泳ぎ、畑仕事もして、紫外線も気にしていなかったが、目は無事だった。
 いや、気がついていなかったのだ。
 その頃、教え子に我が家の駐車場を作ってもらった。教え子と一緒にお昼ご飯を食べている時に「老眼鏡」の話になって、booちゃんは厚ちゃんの眼鏡を使いたかったので、ハズキルーペをあげたのだ。
 
 厚ちゃんの三回忌を終えてから、半年。
やや視界に違和感を覚えた。
 車の運転中に遠くが霞むようになった。
 白内障が進行しているのかもしれない。

 何か進行を早めるような、
 目を酷使している何かをしていないか、
振り返って気がついた。
 【note blogを初めて一年になります。】
 noteを始めた時は、内容も初心者なので短い。スマホを見ている時間も短いのだ。
 しかし、毎日書いているにしたがって、だんだん長文になり、内容も検索して書くことも多くなった。スマホを見ている時間が長くなったのだ。
「これだ!」
で、「ブルーライト避け」のために

 ハズキルーペを買ったのだ。
 直ぐ改善されるわけでもなく、掛けて不安感を削減しているに過ぎない。
 
 厚ちゃんと付き合って1週間も立たないお正月。

 髪を日本髪に結い上げたbooちゃんに
「お前の目は大きいなぁ。
 吸い込まれそうだ。
 真っ直ぐにものを見る心は目に現れる。 
 濁った目になるなよ。」
と、厚ちゃんは言い、
「目は心の窓。」
        と付け加えた。
 凄く褒められた気がして、その言葉が好きだった。
 歳とともに充血することを避け、目薬を使う事も多くなった。

「目は心の窓」
 目を見ればその人がどのような人間なのかがわかる、目は自分の本性を隠しようもなくあらわしている」という意味の諺(ことわざ)。
「濁った目になるな。」ということは、真っ直ぐで澄んでいたのだ。
 今のbooちゃんも、白内障・変性黄斑だが、そんなには濁っていない。
(booちゃんの視界が曇っている)
 しかし、このコロナ禍で人々の「暗い目」「怯えた目」「猜疑心に満ちた目」etcが多く見られ、「清々しい綺麗な目をした人」を見かけなくなった。
スマホの普及で、情報収集も情報発信も素早くできるようになり、人を「信じる」より「疑う」ことの方が多くなったからではないだろうか?
「目が暗く、澄んだ輝きを持たない人」は、無意識のうちに「警戒心」を抱いているのだ。
他人から害を受けないように、騙されないようにという「警戒心」が「怯え」となり、知らない間に心を閉ざしてしまっている。
 booちゃんもそうだ。
(ということは、濁っているのかな?)
「窓」を閉ざせば、光も風も入って来ない。それでは、目が澄むはずがない。換気できずにウィルスが潜んでしまうのだ。
精神科医は、暗い目をした人をよく見ると、目が濁っているというよりも、目が光を失っている状態であるという。
 希望の光が入った目を持った人は、「生き方」が前向きで、明るい方に自分の身体を自分で向けることができるのだ。
 自分を信じて、
「幸せは自分自身が決める事」
「今、私は幸せ!」と毎日を生きている。
「毎日が発見」と生き生きしているから、目がキラキラしているのだ。
「興味津々で、ものを見ていると瞳孔が開いて可愛くみえる。」と厚洋さんに言われたことがある。(厚ちゃんはbooちゃんを可愛いと思ってたんだよー。)
 だから、好きな人に写真を撮ってもらっている時が一番可愛く撮れるのだ。
 さて、「暗い目」「目に光がない」ことは、人前にさらしていて簡単に見破られる。しかし、自分では気付くことが出来ない。
 取り繕うことが出来ない「生き様の真実」心を読まれてしまっているのだ。
 改めて、
「目は心の窓。濁らせるなよ。」
と厚ちゃんの声が聞こえる。
 ハズキルーペをかけようが、白内障の手術をしようが、「心の窓」を曇らせてしまってはいけない。
「でっかい目」を濁らせることのないような生き方がしたいと思った。
 しかし、白内障を治すには手術しかなく。
変性黄斑を治す手立てはないという。
 目を酷使している今の若者がこのnoteをここまで読んでいたら
「目は大事にしなさいよ。
 15分に一回はスマホから目を離しなさい。
 年寄りにならなくても、
 白内障の人いるんだよ!」
「目を休めましょう❣️」
 



ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります