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紫陽花の庭

ー紫陽花や白よりいでし浅みどりー
             渡辺水巴
 6月の学級通信には、必ず入る一句だった。
「先生。紫陽花って紫じゃないんですか?」
「紫陽花は水色よ。空の色だよね。」
「白って見たことある?」
「白っぽいピンクは見たよ。」
「白より出しだから、白がスタートです。」
「えー?蕾は緑じゃない。」
「先生。浅みどりって何色?」
 放って置いても、バズセッション!
真愛先生は、人差し指を立ててゆっくり言う「紫陽花。 見に行こうか?」

 いつものことだから、隣のクラスに気づかれないようにそうっと移動する。
 昇降口で靴を取り出しながら
「紫陽花どこにあったっけ?」
「俺 知ってる。旧校舎の…」
「うん。北側」
 そして、いつもと同じように真愛先生は言う
「昇降口でも静かにして!シー!」
人差し指を立てるのももう一回。

 薄い緑から白、青、そして紅紫色と複雑にその色を変えてゆくので【移り気・七変化】の花言葉をもつ紫陽花。
 この句もその紫陽花のある時期を詠んだものであり、一般人とは違う感性を感じる素晴らしい句だと思う。
 真愛先生がこの句を好きなのは、彼に教えて貰った句であり、この学区の山にある『水巴の句碑』を一緒に見に行って、渡辺水巴も彼も好きになったからだ。 

ーかたまって うすき光りの すみれ草ー
 鹿野山九十九谷公園にその石碑はあり、まだ風の冷たい山肌に「タチツボスミレ」が咲く。
薄紫の可愛い花がその細い花茎を光に向けて咲いている。どこにも薄紫色を表現していないのに、まさに薄き光を集めている色なのだ。
「行って見ないとわからん」彼との感動の共有だった。
 感動とは、思いの共有である。
 子供達には言えないが、(好きな人の好きなことを子どもに知らせ、『素敵な句だね。』なんて言ってもらえたら、最高の時間だ。)と思っている真愛先生である。

「浅みどり」は、単純に薄い緑色ととるのが普通かもしれないが、萌黄色(青と黄の中間の色)の少し薄い色とも言える。
「白よりいでし」という点を考えて、薄い水色(浅黄色)とも考えられる。
 紫陽花の幼ない幼ない毬は、葉と同じような緑色から発し、花の形をととのえつつ白くなってゆく。
 その状態では「白よりいでし浅みどり」とはいわないだろう。むしろ、緑より抜け出してゆく白だ。この句は、その白から、ほんの少し萌葱色に色づきはじめたその時を表現しているのだと思う。
 「白より出し」を見つけた時に感動がある。  
 何度も何度も句を声に出して読むうちに、雨に打たれた後の「さっぱりした紫陽花」「雨雲の間の鮮やかな青空」が浮かんでくるから不思議だ。

 子どもたちは、紫陽花を見ながら、数分で感受してくれる。
 更に真愛先生お得意の雑学を披露する。
「ねぇ。知ってる?
 6月10日に紫陽花のおまじないをすると、
 そのおまじないをした日から1年間はお金に 
 困ることがなくなるって?!」
 子どもはこっちの話の方が好きだ。遠くにいた子もすっ飛んで来て真愛先生を取り囲む。
「金運を上げたい人?」
 全員が毎年だった。どんな学年でもだ。
「6月10日に紫陽花のおまじないをしましょ
 う。
 方法はとっても簡単!
 6月10日の朝。紫陽花の花を1本切って、
 それを逆さにして吊るすというだけ。
 家の中ではなくても、玄関だったり家の軒先 
 でもいいそうです。端午の節句の薬玉みたい 
 にね。」
「商売繁盛のご利益にあやかるため、
 昔は家の軒先に蜂の巣を吊るしておく習慣が
 あったのと同じ。
 紫陽花の様子が蜂の巣に似ていますよね。
 そのためいつからか、蜂の巣のかわりに縁起
 花の紫陽花を飾るようになったのでしょう。
 でもね。紫陽花の花びらと思うところはガク
 です。花は、この小さいところ!」
「じゃ、巣より小さいなあ。」
「はい。その通り、小銭が貯まるそうです。」
「チョキチョキ貯金だね。」

 今、真愛先生の家の庭は紫陽花でいっぱいだ。愛しい人の愛した庭を守るために頑張って手入れをしていたからだ。 

 昨年は、この紫陽花の庭と土手の蛍袋を5年かけて群生させた。その写真を撮って応募したら、「毎日が発見・輝き大賞・銀賞」を受賞して1万円の賞金を頂いた。

今年も蛍袋が咲き紫陽花が色付き始めている。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります