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子育てパニック 入学前

 おばあちゃんとしてする事。
⓵夏のお盆休みには、ランドセルの購入。
⓶入学のお祝いを決めて貯金をする事。
 孫はどんどん大きくなり、あっという間に幼稚園でダンスを披露し、ピアノの発表会に出るという。
 それだけ真愛も歳をとっているのだが、白内障の手術後2メートル近辺に視点が合わせられずよく見えない。だから、シワもシミも見えなくなって本人は若いつもりでいる。
 脳内の萎縮はないが、思い込みや忘れ物が多くなった。
 去年の夏に「祝 ランドセル」と御祝儀袋に書いてお嫁さんに渡したら、
「お義母さん。まだ5歳です。
 これ来年頂きます。」
って言われたが、引っ込めるのも恥ずかしいので、
「あら!じゃぁ、拓とkaoちゃんのお小遣い。
 半分こにしてね。」
と、大盤振る舞いをしてしまった。
 小学校教員をやっていた割には、就学年齢を理解していない。いや、孫の成長が早くてついていけない。
 三つのお祝いの後は、駆け上がるように成長していく。
 息子の時もそうだったのかなと振り返るが、
1歳から入学までが可愛くて堪らなかった記憶しか残っていない。
 自分自身が子育てをしている時は、様々な大変さもあって、時間の感覚も麻痺してしまうのだろう。
 そんな可愛かった息子に「入学前に何しておくの?」と尋ねたら、AIに聞いた回答がLINEに添付されてきた。

?年前

【小学校入学前までに習得しておくと、
 その後の進学や就職に役立つ可能性がある
 ものについて、スコア化されたものを確認し
 たい。】
ってAIに質問したらでてきたよ。

 小学校入学前に習得することが将来の進学や就職に役立つとされているスキルや知識には、以下のようなものがあります。
 ただし、これらは全てスコア化されているわけではないので、要件となるのは教育機関や雇用先によって異なります。

基本的な読み書き能力
数学の基礎知識
論理的思考力
コミュニケーション能力
人間関係の構築能力
創造力や表現力
自己学習能力
 小学校入学前にこれらのスキルや知識を習得することができるのは、保育園や幼稚園などの教育機関、家庭や地域コミュニティなどが提供するプログラムやイベントなどが挙げられます。
 また、家庭や保育者とのコミュニケーションを通じて、子どもたちの日々の生活の中でも学習することが大切です。
 2022年11月にOpenAIという企業がリリースしたChatGPTは、その高度な技術から瞬く間に注目を集め、既に日本でもかなり話題になっています。
 今回の記事では、そんな『ChatGPT』を様々な観点から徹底解説していきます。
と、ながーい、むずかしーい解説が書かれていた。

 なんだか日本語が理解できなかった。
 真愛はすでにAIの話す日本語もわからないのだということがわかった。

 息子は、共働きだった両親に代わりほとんどを祖母(真愛の母親・60代)に見てもらい、幼稚園に通った。
 素直で優しく良い子に育っていたのは、祖母ちゃんのお陰である。
 入学前に字を教えたり、数を数えさせたりしたのは真愛だが、読み聞かせや外遊びを沢山やってくれたのは厚洋さんである。
 おばあちゃんは、やりたい事をやらせて、自分と一緒に過ごさせた。
 だから、小さい頃の息子は信心深かった。
 家族で山に遊びに行くと、野仏の前に花を手向、「南無南無」と手を合わせていた。
 今でも優しい息子の心根の中には、この時
培った弱気者・人知れず在る者への思いやりの心があると思っている。

 AIの回答よりも分かりやすい記事が載っていた。
 入学前のこの時期は、TVや書店で「ピカピカの一年生」「これもやりましょう。」「〇〇は、君のやる気をサポートします。」なんてキャッチコピーが並ぶ。
 親としては、頼るものがないのでそれに乗っかる。
 仕方がないことだと思う。
 真愛婆さんが、「シワが取れます!」につられて高額な化粧品を購入し「何にも聞かないじゃん!」となるのと同じような気がする。
 このお勉強グッズの中には、時計の読み方や平仮名・カタカナの読み書き・足し算や引き算・英会話・漢字…etcと小学校に入ってから習うものも多く入っている。
 教員をやっていた頃、よく同僚の1年生担当から聞いたことは、
「もう、子どもの学習差が困っちゃう。
 授業の最初で、『あっ。それ知ってる。
 答えはねー。』なんて言うのがいるの。
 『偉いね。後で発表してね。』って言ったら
 むくれちゃって。
 もう、やる気なし。みんなの邪魔するは
 外に出たがるわ。
 いざ、活躍して欲しい時は知らんぷり!」
と言う。
 一斉指導の中でどう生かすか悩みの種になっていた。
 ただ、全く字が書けず、自分の名前も書けないと困るかも知れない。
 机や椅子靴ばこには、ひらがなで自分の名前が書かれているし、「1ねん1くみ」と教室の前には張り出されている。
 多少読めないと困るのだ。
 真愛は、貧しくて保育園にも幼稚園にも行かず、母と一緒に過ごしていた。
 母子家庭の母は内職を沢山やっていたので、子どもに何かを教えるということは片手間だった。
 にも関わらず、真愛は6歳の時の入学説明会で行われたテストみたいな問題を覚えている。
 初任教員のその年度の入学説明会でその事に気づいた。
 公立小学校の入学前説明会は、身体測定や歯科・内科検診、視力聴力検査を行い、最後に知能検査みたいな簡易の検査をする。
 その問題を見た時に驚いた。
(あれ?これ見たことあるぞ。
 飛行機の尾翼を書き足したり、
 扇風機の羽を加えたりする問題だった。
 真愛の時には、桜の花びらをもう一枚足す答
 えだった。
 あっ。簡単な数を数えている。)
 真愛は、母の編んだ海苔の葦簀を数えていたので、十の束にして100を作る事が出来た。
 この学習は、一年生になって習う一対一対応の数概念と十進法による数概念である。
 生活の中で知り得たものしか持ち合わせていなかったが、知力はついていたのだ。
 問題は、コミュニケーション能力だった。
 大人たちに混じって内職の手伝いをしていたので、大人しくしていれば「良い子ね。」とお菓子がもらえた。
 大人にはしっかりとした挨拶ができた。
 しかし、子どもと接していないので、子どもが怖いのだ。真愛のテリトリーにずかずかと踏み込んで来ては、分からないことを言って、こちらの言い分も聞かずしでかして去って行く。
 子どもながらに子どもが嫌いだったのだ。
 だから、入学してから無口で何も話せない子。友達の椅子の下敷きになり指が折れても
「痛い」と言えない子になっていたのだ。
 虐められる原因である。

チューリップが咲く頃

 読んだ記事には、《不安を和らげるための準備》として、素敵なコメントが載っていた。
 あれもこれも春までに身に付けさせなきゃ」と過度に焦る必要は無い。
 それでも、小学校入学前に身に付けておいた方が良いことを強いて挙げるとするならば、
「挨拶ができる」
「自分の名前をひらがなとカタカナで読める」
「数字が読める」
この三つだという。
「挨拶」は、コミュニケーションの入り口だし、社会の基本行動。気持ちの良い挨拶は、相手から好感を持たれる。
 大切なのは、親が日頃から、お手本になるような挨拶をすることである。
 習慣化されている事が大切なのだ。
 初等教育の内容が変わって、1・2年生に生活科という変な学習が入ってきた時に、違和感を覚えたのを思い出す。
 その科での指導内容は、「箸の持ち方」「布団のしまい方」「豆腐の作り方」なんていうのがあり、
「なんじゃこりゃ、みんな家の人や地域の人
 から教えてもらっていたことではないか。
 親が教えられなくなったのか?」
と呆れたものである。
 当時は、基本的な生活体験ができていないと思われたのだろう。
 本来的には、「主体性」に基づき「気付きから始まる基礎知識」を獲得し、さら に自分で決めた課題に取り組み、考え、判断したうえで、「自分自身を活かす力」(実生活への 活用力)の3点こそが、生活科に求められる「全人的学力」の内容である。
 この全人的な学力なんて、この真愛婆さんだって今だに楽しんで生きていかれる力である。 
 それをたった7歳の子が、国際社会に通用する「全人的学力」もつけようなんて…。
(文科省は何を考えているのだろうねぇ?)
 厚洋さんと絵本を10000冊ぐらい楽しく読めりゃこんな生活科なんて必要ないよねと話だが、平教員のぼやきでしかなかった。
 話がまた飛んでしまった。
 平仮名や片仮名・数字の読み方は、一年生での学習内容である。
 しかし、入学当初の自分の教室や自分の机などには平仮名表記の名札が貼られている。
 これが読めなければ不安だと思う。
 不安を和らげるための準備である。
 もちろん、子どもさんによっても、住んでいる地域環境によっても他に不安要因が有れば取り除いてあげたい。
 例えば、学校に行く道順や方法。
 世の中物騒になってきているので、途中で何が起こるか分からない。
 どんな時でも、身の安全を守れる方法や手立ては身につけさせたい。

大事な時間

 多くの場合、小学校に通い始めると学校で長時間過ごすようになり、その分家庭での親子の時間が少なくなってしまう。
 そう考えると入学準備も大事だが、子どもと思いっきりスキンシップできる貴重な《親子の時間》でもあるというのだ。
 回転寿司に連れて行くのも良い。
 公園で遊ぶのも良い。
 土手で虫を捕まえるのも、池の鯉を見るのも
 スケボーに乗せるのも、パンケーキを焼くのも、洗濯物を畳むのも、お風呂洗いも…。
 子どもが好きなことをとことんやって行く中で、親(養育者・家族)は自分の気持ちを大切にしてくれる信頼できる人であり、場所であるという【安心感】を持てるようにすること。

 保育園や幼稚園・学校に対する過剰な期待はしてはならない。
 学校は完璧な場所でも、万能な場所でもない
 合わない子にとっては苦痛の場になり得るのだ。
 どこの先生方も「子どもの成長」を願っていることは間違いないし、その子に適した教育を学校に期待するのも良いことである。
が、過剰な期待は禁物である。
 自由に動き回っていた幼稚園や保育園とは違い、椅子に座り長い時間学習するのだ。
 ストレスも溜まるだろうし、真愛のように寡黙児なるかも知れない。
 そんな時、この準備期間で培った「家に帰れば…。安心が待っている。」の思いさえあれば、学校生活で苦しくても頑張れるのだ。
 そう言えば、幼稚園でも保育園でも小学校でも入りたては
「おうちに帰りたい。
 ママに会いたい。」
となく子が多い。
 大人になった教職20年目の真愛が赴任して3日目に
「お家に帰って、厚洋さんに話がしたい。」
とトイレで涙ぐんだものだ。
 新しい環境に飛び込めるのは、安心安全な頼れる誰かがいる事、困った時はそこに帰って翼を休める事ができるという信頼できる場所がある事が一番大事なのだ。
 入学前準備の話を書きながら、
【人が一歩前進する力は、
 その人を支える何かがなければ生まれない】
と思った。
 6歳の子だろうと真愛のようなお婆さんだろうと心の支えがなければ…。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります