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grand parents Day
“Happy grand parents Day”
と書かれたハガキが届いた。
考えなかったが、厚洋さんが逝った日は、「敬老の日」9月15(日)の翌日だったのだ。
Happy Mondayになってから、「〇〇の日」のような祝日意識がなくなった。
小学校勤務をしていた時は、祝日のいわれを必ず話したので、その意識も高かったが、退職してからは毎日お休みなのですっかり忘れていた。
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図らずも、祥月命日に2人の孫からもらったハガキをお供えすることができた。
さて、今年は敬老の日が9月19日だった。
真愛は、ホテル併設のスポーツクラブに泳ぎに行くのだが、その連休の前から「敬老の日」の先取りお祝いをしたと思われる家族にあった。
なんと、三世代でプールに来て楽しんでいたのだ。素晴らしい健康家族!って思って、気持ちよく人間ウォッチングしていて、どえらいショックを受けた。
70代のおばあちゃまと20代の女の子の孫と男の子の孫高校生ぐらいがプールにいる。
孫2人が頑張って25メートル泳いでいるのをガラス張りのラウンジからお父さんとお母さんが応援をしている。
その少し離れた席で、おじいちゃまがじっと座っている。
おお。プールにいるおばあちゃんも端の方に立ちニコニコ見ている。
ここまでは、許せた。
30分経っても、おばあちゃまはプールの端を歩いたり立ち止まって孫たちを見たりしている。まだ、水は冷たくないが、ジャグジーに入ってゆっくりすればいいのに…。
孫たちは相変わらず、楽しそうに二人ではしゃいでいる。
ラウンジの中のお父さんはこちらを向いているが携帯…。お母さんもこちらを向いているが本を読んでいた。
おじいちやまは動かない。
ここからは、真愛の妄想だ。
この連休を使って、家族で敬老の日を祝ったのだろう。
ちょっと遠出をして、おじいちゃまの行きたい所で観光をしたのかもしれない。
そして、夜はホテルのディナーでお祝い。
良い事だと思う。
年寄りだけではなく、若い子たちも楽しめたのだから…。
しかし、その翌日の午前中、ホテル併設のプールに行きたいと言ったのは、孫たちだと思う。おばあちゃまは、孫のやりたい事をさせたいから、
「あら!じゃあ、私もプールに行きたいわ。」って言ったのだろう。
一時間後。
孫たちはプールを我が物顔で占領している。 大声を出して注意もされて…。
おばあちゃまは、相変わらず一番橋のコースを歩いていた。
おじいちゃまは、首をのけぞらせて寝ているようだ。
お父さんも寝落ちしていた。
お母さんは本を読んで動かない。
敬老の日とは、何を祝う日なのだろうか?
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祝日法では、敬老の日を
「多年にわたり社会につくしてきた老人を
敬愛し、長寿を祝う日」
という。
厚洋さんも真愛も「敬老の日」は好きではなかった。両方の親には「誕生日」は祝うが「敬老の日」ではなく、重陽の節句にあわせてプレゼントをした。ちょっとした好きな食べ物を送っただけだ。
自分の親が歳をとっていく事を認めたくなかったのだ。
敬老の日の由来は諸説あるが、1947年(昭和22年)9月15日に兵庫県多可郡野間谷村(後に八千代町を経て現在の多可町八千代区)で、村主催の「敬老会」を開催したのが始まりであるとされている。
当時の日本は戦後の混乱期にあり、重いムードに包まれていたが、野間谷村の村長は子どもを戦地に送った親に報いるべく55歳以上の人を対象に敬老会を開催したという。
その方たちの子どもさんの何人が帰らぬ人になったのだろうか。励ましたかった(子どもさんの分まで長生きしてください。)思いは痛いほどわかる。
その後、敬老会は県全体に活動の輪を広げ、1950年、兵庫県は「としよりの日」を制定。
1951年には中央社会福祉協議会(現在の全国社会福祉協議会)が9月15日を「としよりの日」に定め、9月15日から9月21日までを「老人週間」としたそうだ。
敬老の日が現在のように国民の祝日となったのは、1966年。
その後、ハッピーマンデー制度が導入された2003年から、9月の第3月曜日に変更された。
「年寄りの日」なのだ。
日本の敬老の日と同様に、お年寄りを敬い感謝を伝える日は世界各国にもあるらしい。
【パラオ 5月5日 】
「シニアシチズンデー」と呼ばれる。
日本と同様祝日。
55歳以上の方が対象というが、55歳で5月5日なのかな?
平均寿命が80を超えているので、55歳なんて、「まだまだガキのうち!」ってこどもの日かな?
【アメリカ 9月第2日曜日 】
「祖父母の日」と呼ばれる。
1973年にウエスト・バージニア州に住む主婦が、自分の祖父母と、老人ホームの老人たちのために始めた慰問活動が発端とされる。
孫が祖父母へグリーティングカードや花を贈る。
我が家の孫たちが園の先生と作って送ってくれたのはこれだ!
英語の学習もする園なので、アメリカ風なんだと思った。暫く会っていないおばあちゃんにカードのプレゼントなんてとても嬉しい物だ。
【中国 旧暦の9月9日 】
「重陽節」と呼ばれる。
かつては9を「陽数(奇数)」と呼ぶことから、9がふたつ重なる9月9日を「重陽」としたことが名前の由来。
中国古代から定着しており、長い歴史を持つ。これは五節句の一つなので、無理やりこじつけたわけではない。
真愛や厚洋さんは五節句の考え方が好きだった。
【韓国 10月2日】
「敬老の日」と呼ばれる。
韓国には目上の人を敬う「仁」という思想が定着していて、年上の人を大切にするのは当たり前の行為。
そのため、「敬老の日」を特別視する風習はなく、定着はしていない。これは立派な事だと思う。
【イタリア 10月2日】
「祖父母の日」と呼ばれる。
行政が中心となり、お年寄りを敬うためのイベントなどが開催されている。
日本のように祖父母に贈り物を贈るなどの風習は定着していない。
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今年の秋のお彼岸の入りは、9月の20日。
敬老の日の翌日である。
プールで見た家族は、「敬老の日」ではあったか、「祖父母を尊び、敬う心」は見られなかった。
ボランティア仲間の中には、
「何でもかんでも横文字にするのは嫌ね。
grand parents Dayだなんて、
敬老でいいじゃない。」
とムッとする方もいらっしゃる。
厚洋さんも、なんでも横文字にするのは好きではなかった。
しかし、英語が得意な彼は、孫からのgreeting cardを見て、きっと喜んだと思う。
英語でなくても、「元気でいてね!」という思いやりが「心」が嬉しいのだ。
「老々介護」という言葉があるが「老老敬老」が1番、相手を尊敬していると思う。
今日は、お彼岸の入りである。
敬老もいいが、「自分がこの世に存在することができる幸せに感謝し、自分に繋がるずっと昔の人たちに感謝できる」真愛でありたいと思った。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります