双子座流星群 小さい自分
昨夜も夜中に庭に出て、首が痛くなるまで上を見た。雲ひとつない空を見上げて、オリオン座を見つけ、
「あれがオリオン。あれがスバル。」
と指差す厚洋さんの息が白く凍てついていたことを思い出した。
冬のお迎えは、帰りが寒くなる。お店であったかい物を食べさせてくれるが、我が家に帰ってくる時にはコートを脱いで運転する真愛は結構冷えてる。
でも、車から降りて見上げた星空が綺麗な時は、2人で暫く星座を見ながら話をする。
同じ小学校の教員でよかった。興味とか楽しみとかがにているのだ。
真愛の下手くそな「冬の星座」を歌うのを聞いてくれたり、冬の大三角形の話や大熊座とオリオン座と紅葉の話をしてくれたり、体が冷えるまで外にいる事になる。
部屋に入って、彼はまた飲むのだから良いが、真愛は寒いままだ。
でも、「手が冷たい!」って言って、彼のコートのポケットに手をっつ混んで、身体をくすぐって楽しむことが好きだった。
彼は、嫌そうに、
「おいおい。辞めろよ。外で!」
って言いながら、真愛の好きにさせてくれた。
星を見ながら、流れ星を見つけた時、間に合う様に、ずっと
「厚洋さんに会いたい。
厚洋さんに会いたい。」
と、願い続けた。
一個だけ流れた。
叶いっこない願いだとは分かっているけど、「ひょっとしたら?」
と、まだ思っている真愛だ。
今夜も、懲りもせず外に出た。
厚洋さんのコートを着て、厚洋さんの帽子をかぶって…。
我が家の上の空には、少しだけ雲が掛かって、「今夜は見えないかもしれない。」
今夜もオリオン座が雲間から見え始め、冬の大三角がはっきり輝き出した。
と今夜も短い尾を引いて、2つ流れた。
↑上の小さな白い点が3つ見えるだろうか。
紅葉の葉っぱがみんな落ち、細い枝の先に星が引っかかっていた。
2、3歩下がって紅葉の下から見上げたら、小さな星が木の枝に咲いたように見えた。
大きな大きな星座群が、今にも折れそうな細い枝先にぶら下がっているんだ。
あちらの星から見たら、地球なんてもっと小さいのだろう。
そんな小さい地球の中で、日々諍いが起き、コロナ禍で人が亡くなり、差別をして生きている。
小さい地球の中で、点にもならない、小さい自分が蠢いていると思ったら、「虚しく」なった。
しかし、
小さい自分だから、適当に生きるのではなく小さい仲間とちょっとでも手を繋いで、「この思い」を大きくしなければいけないのかもしれないとも思った。
真愛の誕生日に厚洋さんがくれたペルセウス流星群は、降るように落ちて音まで聞こえそうだったのに、最大に流れると言われた双子座流星群は、あまり見られなかった。
厚洋さんからのギフトは、「己の小ささの発見」だ。
「小さいからこそ、人と力を合わせろ!」
「小さいからこそ、全力で立ち向かえ!」
明日からの生き方の方向性を教えてくれた気がする。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります