愛しい人の時
「愛しい人の時」なんて書くと、若い女の子が愛してしまった彼の時間のような感じがしますよね。
「…の時」であって「…との時」ではないので二人の時間ではない。
「食事の時」とか「遊びの時」のように動きと結びついて、それらをしている時間の意味を持つのだが、捻れた名詞の場合は結構複雑な感じがする。
「花の時」「逢魔が時」なんて、詩人が題にしそうな複雑な感じを表現する時間を表現しそうだ。
「愛しい人の時は止まった。」としたら、「亡くなった。」の比喩的表現なのかもしれない。
「愛しい人の時に飛び込む」なんて書いたら、
彼の過去について介入したり、彼の生活に入り込んだり、未来に飛び込むならば同棲か結婚かするのかもしれない。
詩人の言葉遊びだ。
「時」と検索すると3000文字ぐらいの意味や使い方がコトバンクの中に書かれている。
時とは、名詞。
知覚された事物を配列する尺度の一つ。
過去・現在・未来と連続して、止まることなく戻ることなく、永遠に流れ移ってゆくと考えられ、空間と共に認識の最も基本的な形式をなすもの。
(物凄く詩的表現の様な気がする。)
物事の変化
運動を通して感知され、
一般には年・月・日・時・分・秒などの単位を用いて表わされる。
⓵時間の流れをさしていう言葉。
時間。光陰。
万葉の頃から使われていたらしい。
万葉集(8C後)三・四六九
「妹が見し やどに花咲き 時は経ぬ
吾が泣く涙 いまだ干なくに」と歌われているそうだ。
⓶客観的に定められた時法(単位と尺度)に
よって示される一昼夜のうちの一時点。
時法には時代によって変遷があるが、
大別して定時法と不定時法とがあり、
そのそれぞれにまた多くの種類があって、
明治初期までは同じ時代にも複数の時法が
行なわれるのが常であった。
時刻。辰刻(しんこく)。刻限。
いずれかの時法で示される一時点。
⓷時間の流れの一部分、
または一点をさしていう。
・特定の事物の生起・
事象の推移などに対応して意識される時間
の一点。時点。
・時代。年代。世。なかに」
・時節。季節。時候。
上田敏の『海潮音』には、
春の朝
「時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に露みちて」とある。
・その時点。現在。当座。
⓸順当な時機、
然るべき機会などをさしていう。
・ふさわしい時期。時宜。
ちょうどその時。
また、そうしなくてはならない時期、時間。
(これは古事記に出てくるらしい。
「天の時(とき)未だ臻(いた)らずして」と。
・時運にめぐまれ栄えている時期。
勢い盛んな時代。得意な時。
「山城の久世の社の草な手折りそ
わが時と立ち栄ゆとも草な手折りそ」
(我が時!って、チャンス到来なのだね。)
・陰陽道で、何か事を行なうに適当な日時。
暦の吉日。
「今日はよき日ならむかしとて、暦のはかせ召して、ときとはせなどし給ほどに」
と源氏物語の葵の上の巻に出てくるらしい。
(一条の御息所に呪われちゃうんだから、
陰陽師に良き日を占ってもらいたいです
よね。)
・天台・真言などの密教で行なう、
定時の勤行(ごんぎょう)。
時の修法(ずほう)。→時(じ)。
(イ) (意図的動作の動詞を受けて)
普段はその動作をあまりしないが、
し出すと普通の人以上に集中的にする、
の意を表わす。
「彼はああは見えても勉強するときには
勉強する」
(ロ) (非意図的動作の動詞を受けて)
まわりからの働きかけとは無関係に
十分…する、の意を表わす。
「ただの風邪なら薬など飲まなくても
治るときには治る」
時といえば、一般的には、時制のこと。
面白いことに、40年ほど前の小学校3年生の国語の教科書の「時を計る」と言う説明文を思い出すことが書かれていた。
時法の主なものを挙げると
(1)律令時代には陰陽寮所管の漏刻(水時計)
を用いて時を計り、鼓や鐘を打って時を
告げることが行なわれた。
教科書には(線香時計)(日時計)なんて言う時計が載っていて、人々が時を計りたいと言う思いについて感じさせる説明文だった。
当時は、定時法で一昼夜を十二辰刻に分け、それを十二支に配して表わした。
真夜中(正子(しょうし))が子(ね)の刻で鼓を九回打ち、丑(うし)の刻に八回、寅(とら)の刻に七回、以下一辰刻ごとに打数を一回ずつ減らして、巳(み)の刻に四回打つ。
真昼(正午)は午(うま)の刻で鼓の打数は再び九回にもどり、以下同様に一回ずつ減らして亥(い)の刻に四回打つ時法であった。
なお、鼓の打数に合わせて、九つ…四つとも呼んだ。
(まさこ,正子は、しょうし,正子で真夜中の零時であったことを初めて知り、正子の名前も好きになった。母は、それを知っていたのだろうか。小さな硝子の鼠を大事にしていた。その鼠、今は母のお位牌の側に置いてある。)
(2)江戸時代には日の出・日没を基準にした
不定時法が広く用いられた。
夜明け(明け六つ)から日暮れ(暮れ六つ)までの昼間と、日暮れから夜明けまでの夜間とを各六等分した。
このため四季によりまた昼夜により、一辰刻の時間は一定でない。
時刻の呼び方は前代と同様で、九つ・九つ半から四つ・四つ半まで。
また、一夜を初更(戌)・二更(亥)・三更(子)・四更(丑)・五更(寅)と五分し、
または甲夜(こうや)・乙夜(いつや)・丙夜(へいや)・丁夜(ていや)・戊夜(ぼや)と呼ぶ別称もあったと言う。
(3)明治六年(一八七三)改暦以後は
平均太陽時を用い、一日を二十四等分する。
日付が昼間に変わることを避けて、
平均太陽が観測地の子午線を通過する時刻を
零時とする天文時より一二時間早い
真夜中を零時として起算する常用時が
採用され、一般には二四時を
午前・午後の各一二時に分けて呼んだ。
ここまで、長い時間読んでくださりありがとうございます。
グダグダと書いてきましたが、私が書きたかったことは、【止まってしまった「愛しい人の時計」が動き始めた】事が書きたかったのです。
今年の4月15日。
動きが悪くなった厚洋さんの時計が止まってしまった。
彼が亡くなる前日まで、痩せ細った腕にしっかりとつけてベットで過ごしていた時計だった。
全て金属の重そうな時計だったので、「外したら?」と尋ねたが、
「時間が知りたいんだ。
壁には時計がないし、テレビの横の時計じゃ
小さくて読めない。
昼夜は光で分かる。
点滴の落ちる時間じゃ、時刻が分からん。
時計が付けたい。」
と言った。仕方がないので、軽い時計を購入したが、やっぱりこの時計に思い入れがあるらしく、痩せ細った腕の肘の近くまで落ちてくる時計をつけ続けた。
同じ頃、厚洋さんがプレゼントしてくれたGUCCIの時計もボロボロになり、動きも悪くなって来ていた。
修理をするところが見つからず困ったままでいたので、真愛が病室を開ける時には、軽い時計は彼に、重い彼の時計を真愛が借りて出かけた。
彼が逝った後は、真愛の時計が止まり、四十九日が過ぎて彼の時計も止まった。
なんとか動かしたいと思ってもどこに持って行ってもダメだった。
彼の時計はOMEGAだったのだ。
真愛は、彼の結婚指輪を中指に、真愛の指輪を薬指につけて日々を送っていた。
お馬鹿な真愛は、プールにも付けたままだった。
読者のご想像通り、プールで彼の指輪のオニキスを落としてしまった。(本当に馬鹿である。)
その指輪を直すために「加持時計店」に持っていったのだ。
「加持時計店」は、厚洋さんが結婚指輪を買ってくれた所で、「指輪の保証書」を保管していたのだ。
結婚指輪も元に戻してもらい、緩くなった厚洋さんに買ってもらった沢山の指環のサイズ直しもしてもらった。
「加持時計店」の旦那様は職人で、時計も直せると言う話だったので、厚洋さんの時計も直してもらった。
「愛しい人の時計」が動き始めた時は、「愛しい人」が生き返った、止まった時が再び動いてくれた気がして切ない幸せ感を味わった。
それからは、大事な時にだけ付けていくようにして大事に使っていたのだが、今年の4月に結婚記念日に止まってしまった。
電池切れだと思う。
即、「加持時計店」に行ったが、お店は閉まっていた。あの当時、旦那様も奥様もご高齢であった。ご無沙汰のままいた自分を責めた。
時を動かす手立てが無くなった。
それから、3ヶ月。
オーバーホールの言葉を見つけ、その仕事をしてくれる会社を見つけた。
真愛の産土様「手古奈霊堂」がある市川市の会社であることも「ご縁」を感じた。
スマホで探した会社である事が、年寄りにはやや不安だったが、問い合わせてみた。
メールで送られてくる文章から感じられる言葉は、「生き返らせてください!」の想いをしっかりと受け止めてくれる優しい会社のような気がした。
厚洋さんに相談した。
「騙されたって良いよね。
動かないままより、生き直して欲しいもの。
あなたと同じ時間を過ごしたいもの。」
厚洋さんはちょっと笑って
「いいよ。
俺、ちゃんと生き返って来るから。」
と言った。
丁寧な対応だった。
「直らないかもしれません。」
「見積り結果が高額になるかもしれません。」
と良い未来より、不安な未来を教えてくれる事が信じられた。
そして、8月にはいって申し込んだのだ。
で、25日に帰って来た。
「ありがとうございました。
大好きな夫が、もう一度我が元に生き返って
きてくれた気がしました。
お世話になりました。
数年後、また、よろしくお願いします。」
とメールすると、
「奥平正子 さま
お世話になります。
時計修理の千年堂の星と申します。
ご連絡をいただきありがとうございます。
無事に時計が到着し、安心いたしました。
また何かございましたら、是非ご相談ください。
この度はご利用いただきまして、誠にありがとうございました。
今後とも、何卒よろしくお願いいたします。」
と返信された。
出来れば、星さんに厚洋さんも蘇らせる力があったらなあと思った。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります