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アクアマラソン応援

 3年前の台風で倒れた杉の上に烏瓜の花が真っ白いベールを広げて咲きました。
 祈ることの美しさを枯れた杉の上に描きたいと思いました。
 たった一夜しか咲けないのに他者を思い祈れる花。
 そんな人間として生きたい!
と、公募展に出品しましたが、「落選」。
「今回も入選したい。」という嫌らしい強欲な自分が招いた「嫌らしい作品作り」だった事に気付かされ、落ち込みました。
 偶然にも、田中一村の作品論を読む事ができ、以前厚洋さんから聞いた「田中一村の生き方の素晴らしさ」と「生き方から生まれる作品の凄さ」をもう一度感じる事が出来ました。
 厚洋さんがあちらで何かを操って、真愛を沼底から引き上げるために、田中一村とで合わせてくれたのだと思います。
 落選してからもう直ぐ一週間が経ちます。
 打たれ強いというか、能天気と言ったらいいのか、真愛は「落選」のショックから抜け出しました。
(今できる事。
 生い先短いのだから…。
 何事にも一生懸命に立ち向かえる真愛で
 いる事。
 どんな事からも、必ず何かを学び取る事。)
と思っています。
 ですから、今日は、アクアマラソンの応援に江川運動公園までやってきました。

頑張れ❣️のプラカードを下げて


 厚洋さんの教え子のikuちゃんがハーフマラソンに参加するというので、彼女のお母さんと一緒に来ました。
 厚洋さんが逝った年のアクアマラソンにも応援に来ました。
 教え子のK君がフルマラソンに参加したからです。
「先生。外に出てないんだろう?
 フルマラソン走るから応援してよ。」
と言われ、自衛隊付近、長須賀交差点前と移動して応援していたのですが、その前の回のように走っているK君を見つける事が出来ませんでした。

四年前のアクアマラソン応援


 しかし、厚洋さんの後追い、自殺も考えて家に篭っていた真愛に10000人以上のランナーを応援するという形で観戦することによって、
「みんな、辛い苦しい人生の坂を進んでいるんだ。苦しいのは、真愛だけではない。
みんな人生背負って走ってる。」
と、最終ランナーを見ながら泣きました。
 その後、厚洋さんの納骨式の日にK君は、アクアマラソンの完走賞のメダルをお墓に掛けてくれました。
「旦那さん。
 人生の完走賞ね。」
って。
 忘れられない彼が亡くなってからの思い出です。

今は、遺影に「人生の完走賞」


 今日もきっと何かを学ばせてくれると思ってきました。

車椅子ランナー

 早速、出発して5分もたたないのに、車椅子ランナーが走ってきました。
 「走」漢字の部首になった走ニョウ。
 その大切な足が悪いのに走る。
 要するに、現状を悲観してしまわないことだ。現状は受け止めるが、生きている限り少しでも前に向かうこと1センチでもいいんだ。
 後悔して過去に絡め取られるのではなく、反省して次の目標を立てるんだ。
(厚洋さんの言葉通りだ。)

5キロ地点
頑張るね!
ボランティアスタッフさんと

 12000人のランナーが真愛の前を駆け抜けていった。
 以前の応援の時は、私自身がボランティアをしていなかったので、ボランティアの大切さが分からなかったけれど、今回、5キロ地点に立つことによって、声のかけ方「本当は声を出しちゃいけないのだけど、マスクしてついつい『頑張れ!5キロ地点だよー。』と違っていた。
 世の中、何かをするときには、必ず誰かが影で支えてくれているんだ。
 見えないものへの感謝を忘れている自分を見つけられた事も、この応援に来られて良かった事だ。

この方は前回はランナーだった。

 完走した彼女が完走賞を送ってくれた。

完走賞

 真愛も人生を完走しなくては…。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります