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子育てパニック     親は先生にはなれない

 小学校教員をしていた頃の真愛は、
「私は、逆上がりのできない子を
    出来るようにする事ができる。」
と自信を持って言った。
 厚洋さんの受け売りなのだが、彼の指導方法はなかなか面白かった。
 指導の法則化運動とか技法研なんていう教育サークルで活動したり、原稿を書いていたりしていた厚洋さんは、様々な指導法をぶち上げる。
 ぶち上げる前に、必ず『真愛のクラスでも試してみてくれ!』と指導方法の追試を頼まれた。
 厚洋さんの指導法で実践して見ると、本当に子どもたちが楽しく学習してくれたし、技能面でも伸びていくのが見えた。
 自慢話だが、普通に指導している先生よりは、面白く興味を唆る学習活動を展開したし、『先生に教わって、出来ないことができるようになった。』と子どもや親に喜んでもらえた体験を多くしていると思う。
 まっ!悪い先生ではなかった…。と思う。
 厚洋さんのおかげで…?

ピアノの練習

 ところが、我が子に逆上がりの指導をするとなるとそうは上手くできなかった。
 まだ、「逆上がりの指導法」の開発の前だったこともあるが、学校の子ども達にはそれなりにやる気を削がないように、褒めたりポイント指導をしたり、出来なくても《今日は頑張りすぎ。焦らないで、また明日一緒にやろうね》なんて優しい声をかけたりもした。

 我が子の場合は違った。
 たった1日しかない休日に公園の鉄棒で練習をした。
 息子はまだ、幼稚園の年長さんだったと思う。
「逆上がりがやりたい。」っていうから週案を書くのをやめて彼のために公園にやって来た。
 その時から、(早く終わらせたい!)なんていう親の身勝手な気持ちと、(最近、忙しくて構ってあげていない。パパ大好きになっているから、ここでママの点数をあげなくちゃ。)なんていやらしい根性で始めたのだと思う。

 最初は優しく握り方なんぞを教えるが、腹筋力のない幼子にちょっと高めの鉄棒でやらせるものだから、蹴り揚げ足が上がらない。
 当然、お腹は鉄棒に近づかない。
「ほれ!頑張れ。」
なんて言っていられるのは、3回ぐらいだ。
 我が子である事を忘れて、
「顔じゃなく、お腹を近づける!」と怒鳴ってしまう。
 怒鳴られた子どもは、叱られたと思って切なくなり、顔が曇り泣きそうになる。
「泣かないの。
 拓がやりたいっていうから来たんでしょ?」

 息子の本心は、パパだけでなく、たまにはママと公園で遊んでやろうかと『鉄棒やりたい』と言ったのかもしれないのに、母親は先生になっちゃったのだ。
 前周り降りだけやらせて、「上手!」って言う褒めて気分よく変えればよかったのに、(おっ!我が息子運動神経いいかも?)なんて思ったのがいけない。
「逆上がりやれたら凄いね!」
と煽てあげ、木に登らせようとしたのだ。
 親のエゴである。そして、最後の手段。
 幼稚園の子の逆上がりを補助してしまったのだ。
  小5の男の子が出来なかった時のように…。
 やりたがるだけのことはあり、片手補助で簡単に逆上がりは出来たのだが、息子は勢い余って、唇を鉄棒にぶつけて切ってしまった。
「出来たね!」
と喜んで彼の顔を見ると、流血である。
 お馬鹿母親は、テッシュで傷を押さえて抱き抱えて帰った。
 傷は浅く絆創膏を貼って終わった。
 あの時の息子の泣かなかった痛そうな顔が今でも忘れられない。
 小さいながらに母親に心配をかけまいとしたのだろう。
 折角の子どもが作ってくれたママとの楽しい練習会は、熱血教師による流血補助で幕を閉じた。
 他人様の子どもと自分の子どもとでは、当然接し方が違う。
 まして、人間が出来ていない真愛は、自分の子どもにはゆとりを持って指導が出来なかった。
 前述の「逆上がり事件」を忘れた頃の事だ。 
 音楽担当をする事になった真愛は、貧乏で買えなかったアップライトピアノを厚洋さんに買ってもらった。
 真愛自身が躍り上がるほど嬉しかったので、ピアノを楽しそうに弾いている母親や妻をたくさん見る。
 厚洋さんは、
「俺は、バイエルンの46番しか弾けない。
 単位をもらうためにそこだけ練習した。
 で、当日は指を怪我したと言って
 右手だけで弾いて合格だ!」
と言いながら、真愛と連弾をして笑った。
 そんな夫婦の様子を見て息子が
「ぼくもピアノが弾きたい!」
と、嬉しい事を言ってくれたのだ。
「逆上がり事件」があったのだから、よせば良いのに
「教えてあげる!」
なんで言ってしまった。
 ピアノ教室の先生ならば、導入は楽しく、
「また、来週も来るねー!」
って言わせるような指導をするのだろうが、無知な音楽の先生は、バイエルンのスタートから始めてしまった。
 学校では
🎵ドレミのドの音は♩
     黒ちゃんと黒ちゃんの左下🎶
と歌いながら、教えるのだが…。
 息子には
「ここがド♩ココがレ♩…。」
「親指・人差し指・薬指。1♪2♪3♪!」
なんてつまらん事をやったのだと思う。
「つまんない!ジャン!ジャカジャン!!」
と息子の大暴れである。
 逆上がりどころではない。
 幼稚園児の逆上演奏である。
 お馬鹿母親の怒鳴り声でピアノ練習は終了した。
 呆れ顔で見ていた厚洋さんに
「我が子には指導ができない。
 どうしてなんだろう?」
と呟くと
「当たり前だろう。
 アイツにとって、お前は先生じゃないんだ。
 お前はアイツの母親。
 母親は一緒に楽しむことは出来ても
 アイツが指導してもらいたいと強く思う程の
 力量がお前になければ無理!
 お前の話が面白くなければ聞かんね。
 無理だよ。」
と、サラッとと言われた。
 その後も馬鹿親真愛は何度となく、彼に教える事を試みたが、小3までは我慢して聞いていたようだ。
 習字も水泳も作文や算数も…。
  しかし、必ず
「もう、良いよ!自分でやる。」
と馬鹿親は捨てられた。
 息子のピアノの時のトラウマは小学校の音楽の時間にも現れたらしく、音楽の成績は悲惨なものだった。
 しかし、高校になるとバンドを組んで、ギターやキーボードを演奏していたようで、卒業してからは、「クラブ」でデスクジョッキーのアルバイトをしていた時期もあった。
 今でも、時々仲間内では回しているらしい。
 大人になった息子は、
「あの頃ちゃんとピアノをやってたら
 ちょっとは別のなんかが出来たかもね。」
なんて言ってくれるが、
「ちゃんとピアノの先生について
 習わせればよかったわね。」
と答える。
「親は先生にはなれない。」

教えなくても覚える一升酒

 漸くここからがためになる話である。
※子どもに接するときは、
 親の所有物としてではなく、
 一つの人格を持った人間として接する事!
 子どもにあれもこれも教えようとしてしまうかもしれないが、親は《先生》にはなれないし、なる必要もない。
 育児は「子どもを育てるもの」であるが、公教育と家庭教育の大きな違いがあるのだ。
 子どもたちは毎日の生活の中で、五感(六感も)で感じるすべてのことを無意識のうちに吸収している。
 だから、吸収したことに言葉を付けてあげることで知識を身につける事ができる。
 補助して指導することではなく、逆上がりってこんな事って見せてあげればよかったのだ。
「へぇ〜。ママ凄いね。
 鉄棒揺れてたよー!」
ってパパに話して、次はパパが大車輪でも十字懸垂でも見せればよかったのだ。
 やりたがったら、全て補助をし
「お空が下に見えたでしょう。」
なんて言えたらもっと素敵な親子関係だったと思う。
 教師の子だから、「出来ることが良いこと」
「教師の子はできて当然」と思われるから、出来るようにさせないと恥ずかしい…。と思ったのは母親であり、その時、息子は私の所有物になっていた。
 子どもの環境には、習い事やおもちゃや本などの物理的な環境もあるが、親の振る舞いや話し方・考え方などのじんてき環境も大きく作用する。
 夫婦喧嘩をしたら子どもの前で仲直りをするとか。(我が家では子どもの前では言い争いをすることはなかった。厚洋さんがそれをさせなかった。)
 自分から進んで挨拶をする。
 声をかける。
 ものを出したらしまう。
 最後まで使う。
 大切に使う。
(我が家は、
 活字の物・本・新聞・雑誌は跨がない。
 パパが一番偉い!
 枕元は歩かない。返事は「はい。」なんて
 変なルールごあった。)
 他にも、親こそが苦手なことにチャレンジしたり、好きな事を思い切り楽しんだりする姿勢が子どもに伝わるのだ。
 だから、ピアノを弾きたがったり、本を読みたがったりと親の好きな事を一緒に真似ていたのだ。
 そう考えると、我が家の家庭教育は中途半端でダメダメだったが、
「仕事は忙しいが楽しんでやっている。」
「好きなことは思いっきり楽しんでやる。」
と言うことは伝わったようで、大人になった息子は、父親を超える程の仕事好きであり、忙しい中でも、自分の趣味は十分に楽しんでいる。
 特に、母親に優しい(昔より)
 それは、親も人間なので、落ち込みもするし、大失敗もする。弱い弱い人間である親が懸命に生きる姿を見て息子が優しく雄々しく立派に育ったのだと思う。
 子育ての良し悪しなんて、その子の人生が終わるまでわからない。
 親は子どもが死ぬまで生きていられない。

Snow board

「子は親の鏡」とか「子は親の背を見て育つ」なんて言い得て妙である。
 親は先生になれないが、気をつければ
「良い環境」に慣れる。



ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります