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MAAちゃんパニック  どうしよう🥶

 お師匠さんに
「3月の演奏会では、
 いっしょに弾きましょうね。」
と言われてしまった。
 どちらかと言えば、(出たくない。)と思う。
 理由は当然の事。
 下手だからだ。
 自尊心の強い真愛は、最初から負けることは、全て避けて来た。

 唯一、負けてもいい!ダメでもいい!と思って行動したのが、厚洋さんとの恋だった。
 結構、女ったらしの厚洋さんの噂は聞いていたが、どんな相手がいようとも、どんな人が現れようと
(私はこの人が好き。
 この人の子どもを産みたい。)
と思った。完全に真愛が惚れたのだ。
 失敗してもいい、自分の思いは伝えたかった。真愛の全てを曝け出し、恥も外聞もなく「好き」と伝えた。
(恋は盲目とは名言である。)
 運良く(亡くなってから聞いた話では、厚洋さんの方が真愛を狙っていたらしい。ずっと知らなかった。)結婚でき、いっしょに暮らし、最期の45日間で、再び恋は再炎した。
(私がこの人を好きなのだ。
 どんなことがあろうともこの人を
 思い続けることは誰にも邪魔されない。)と…。
 今でも、そう思っている。
 恋することは自由である。

 ところが、その他のことに関しては、(こりゃダメそうだな?)と思ったことは、逃げるし、絶対手をつけない。
 特に、「落ちる」とか「失敗」するということは、極力避ける。
 このnoteには、前向きな事を書くが、それは読者の皆さんの手前の事であって、本当は、失敗を恐れる弱虫なのだ。
(noteご愛読の常連様なら、『分かるね。』
         と言ってもらえそうだ。)

 小さい頃から貧しかった真愛は、常に崖っぷちにいた。
 1番怖かったのは、高校入試の時だ。
 真愛の周りの友達は、本命校のほかに、
「滑り止め」と称して私立高校の試験を受けていて、その入学金も払っていた。
 当然頭の良い子は、本命一本で楽勝であった。お馬鹿な真愛は、そうはいかない。
「滑り止め」を受けた子達は、本命校のテストは少々のリラックス感があったと思う。
 真愛は、一発勝負である。
 落ちたら「中学浪人」!
 いや、その当時は就職だった。
 忘れもしない。
 大雪が降りそうな寒い日で、前日に体育館に集められた真愛たち受験生は、
「明日。
 雪が降ったら、汽車が止まる。
 線路伝いに歩いて行くので、
 3時間程度早く来い!」
と言われた。
 それでなくても寝られないのに、その晩は一睡もできなかった。
 当日、雪は降らなかったが寒い日で、母がなけなしのお金で、白金カイロを買って持たせてくれた。
「手が冷たくて鉛筆を握れないと困るから。」
 私立高校の受験をさせられない母のせめてもの贈り物だった。
 さて、最初は国語の試験。
 国語・社会は得意な教科なので、本人としては落ち着いて会場に入った、はずだった。
 校内放送で
「只今から、国語の試験を開始します。
 問題用紙はありますか?
 解答用紙はありますか?
 それでは、受験番号と氏名を記入して
 ください。」
と、一斉放送がかかった。
 受験番号は受験票を見て書けた。
が、氏名が出てこない。
「私の名前?大…?!」
 全身の血の気が引いた。
(私は、合格できない。)と思った。
「それでは、問題をよく読んで
 始めてください。」
館内放送は美しい声で、冷たくスタートを告げた。
 真愛は、氏名欄が空欄のまま長文読解を始めた。
 文字は読めているのだが、意味が頭に入ってこない。日本語で書かれているのに…。
(私は、問題文も読めない。落ちた!)
 白金カイロの暖かさなんて感じなかった。
 鉛筆を持つ手が悴んでいくのがわかった。
 しばらく、真愛の思考回路はオーバーヒートのままショートしていた。
 試験監督の先生には、そのショート状態で
火花を散らしている真愛が見えたのだろう。
 そりゃそうだ。
 みんな夢中で、解答用紙に書き込んでいるのに、ひとりポケッと前を向いている真愛と目があったのだ。
 後の学級担任になる先生だった。
 先生は、真愛に向かって、にっこり笑ってくれて、「うん!」と頷いてくれた。
 それで我に返って、問題を読み始めたのだ。
 今まで生きてきて、こんなに怖かった思いをしたのは、これが最初だろう。
 どれだけプレッシャーに弱い人間か、自分自身が分かった気がした。
 だから、高校から短大に進むときは、「入試」の無い「推薦入学の枠」を頂いた。
 毎回の試験をしっかりと受けて、良い成績を取り、文句なしの推薦入学だった。
 別の高校Kに行った友達が
「なんで、K校受けなかったの?
 貴女なら楽勝だったのに。」
と言ってくれたが、無理してK高校なんて受けていたら、絶対に落ちていたと思う。
 試験に弱い。
 プレッシャーに負けるからだ。
 短大を卒業して、教員採用試験の時もプレッシャーはあったが、そこはなんとか引っかかる方法を考えていた。
 昔は、教員採用試験は都道府県別に日にちが違っていたので、2つ3つ受けることができたのだ。「滑り止め」「試験の練習」ができたのだ。
 真愛は、東京都と千葉県を受験した。
 更に、どこで働きたいかのアンケートに
「島やへき地の教育がしたい。」
と書いた。希望者が少なければ、雇ってくれるかもしれないからだ。
 案の定、東京都は合格。「東村山」の二次試験だった。
 運がいい時だった。千葉県も合格し、なんと我が町の教育委員会の二次試験だった。
 母が用務員をしていた関係もあり、顔見知りのおじさん(恩師で学校課長)が面接官だった。
 心の安定は、表情も良く素直に自分を話すことができた。
「東村山町」には申し訳ないが、
「母が病気で我が町を離れられない。」と嘘をついて断った。
(当時、腎臓病で食事療法をしていたので、
 事実ではあるが赴任できないことはなかっ
 た。真愛のような不届き者がいたから、
 今はそんなことは出来ない。)
 千葉が受かってなかったら、厚洋さんとも結婚していないことになる。
「ご縁」とか「運命」とかどうしても、信じてしまう。
 その後も日頃の努力でなんとかする事は出来たが、「試験」や「人前での発表」は好きではなかった。
 失敗するのが嫌なのだ。
 誰だって「失敗」や「負け」は嫌だと思う。
 真愛の場合は、恥をかくことが嫌だったのだ。
「人からどう思われているか?」
 貧乏人の悲しい性である。
 そうだ、試験は車の免許取得の時にも経験したが、「失敗しても、何度もやれる事」は、苦ではなかった。
 教員になって、子どもたちには
「失敗を恐れるな!」
なんて、偉そうに言っていたが、大嘘である。
(失敗は、出来れば回避したいよね。
 失敗しないようにいっぱい練習しようね。)
が本音である。
 ところが、サボり屋の真愛は、練習を怠る。
 
 自分を分かっているので、ニコニコ顔でお師匠さんが仰った、
「3月の発表会で一緒に弾きましょうね❣️」
に凍りついた。
 プレッシャーに弱い真愛が、クソ下手な三絃を人前で弾く。
 考えられない事だ。
 厚洋さんが大学で単位を取るために、ピアノの試験に行った時、
「先生。指を切りました。」
と、包帯をして行った事を真似るか?

🎶クラリネット壊しちゃった。🎶
「ドとレとミとソの音が出ない!」なんて言ったら曲にならないし、三絃はお高い楽器なので、壊すなんて出来ない。

 どうしよう。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります