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手紙

 神戸のしず子先生から「葉書」が届いた。 
 厚洋さんが亡くなり、自死を考えた真愛に寄り添ってくださり、今を生きていられるのは先生の手紙(言葉)のおかげである。
 先生とのお付き合いは、26年前。
 勤務校が「防災教育の全国大会会場校」になった折、全体公演の講師として(阪神淡路大震災の時に避難所になった小学校の女性校長先生)をお呼びした。
 お話も有意義なものだったが、そのお人柄が素敵だった。児童会担当だった真愛は、1月の集会を「阪神淡路から学ぶ」という防災教育を目的にする集会を企画した。
 集会には生の声が欲しいと神戸まで取材に行った。その時にもたくさんお世話になり
「神戸のルミナリエ」
「本山第二小学校のメタセコイア・被災館」
「三宮の小学校の先生に液状化現象を」
を取材し、我ながら素晴らしい集会ができた。
(翌年の全国教研に発表する事となる。)
 3回目にお会いしたのは、真愛が職員旅行の幹事をやらせて貰ったので「いざ、神戸へ」とみんなを連れて出掛けた。夜の六甲山を楽しませていただいた。
 その後は、お手紙や電話でしかお話しできなかった。
 先生はたくさんの講演をしていたので真愛の地域の近くにおいでになった事もあったが
「今ね、来てるのよ。」って電話はあったが会えなかった。
 なぜだろう。こんなに会えなかった方なのに、3回しかお会いしていないのに…。
最初の出版(詩画集・夢幻)」の時もご相談した。
 先生の手紙を読んで、「ヨッシヤー!ヤレル。頑張レル!」といつも思えたのだ。

 先生はカウンセリングもなさる。「災害後の子どもたちの心のケア」を昔から訴えていらっしゃった。
 人の心の脆さと強さを知ったえうで、人に寄り添うことの大切さを知り語ってくださっていたのだ。
 先生からの手紙の嬉しさは、真愛にとって「自己肯定感」を持たせて頂ける事だったと思う。
 
 また、先生は、真愛より若くして旦那様を亡くしていいらっしゃるので、厚洋さんを亡くした時の真愛の思いを全てわかってくださった。
 「受容・容認・あるがままの理解」
カウンセリングマインドって言われるものだろう。全て丸ごと・・・!針が出ていれば針ごと
刃が出ていても刃ごと、包んでくれる。
 神戸という遠く離れた地から抱かれている気がした、お母さんみたいに…。
 当然、拙著「白い花にそえて・文芸社版」の出版の力も頂いた。
 恥ずかしがり屋で、泣き虫の真愛は、電話で話すのは難しい。先生の手紙を心待ちにする。

 コロナ禍で、会えない遠くの人とリモートやLINEビデオで会話することが多くなったが、真愛は、手紙がとても嬉しい。
 だった一行でも、その人の文字を見るだけで、その言葉に込められた思いを想像するだけで幸せになるのだ。
 アナログ人間なのだ。

 昨日から、カミユの「ペスト」を読んでいる。その中で、「通信手段が「手紙」から「電報」になり短くなっていく一節があった。
「バンジシンパイナシ スグカエル」と。

 思いを書くと言う時間と
 その文章を読み取る時間の
 切なくて大切な時間の共有を感じた。
 アナログ人間は
「もっと手紙を書こう。
 思いをゆっくりと紐解く大切な時間を…。」
      と、今だからこそ言いたい。

 こう書いてきたら、愛しい厚洋さんともたくさんの文字・言葉のやり取りがあった。
 機会があったら「手紙 Vol 2」としてnoteに書かせて頂く。


ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります